青空文庫

徒然なるまま自分の面白いと思う本の書評や感想を書き綴っていきたいです。最新の本だけではなく、古書にも興味を持っています。

ε-N論法とε-δ論法

2013-12-02 19:06:49 | 日々思うこと

ε-N論法とε-δ論法

だれが考えたのか知りませんが、よくもまあここまで考えたなというのが最初の印象です。本タイトルの「ε-N論法とε-δ論法」との出会いは大学1年生の4月か5月です。どこの大学でもそうかもしれませんが、新入生というのは、未知なる学問の世界に胸を躍らせて入ってくるものかと思います(最近は価値観が多様化しているのでだいぶ違う人もいそうですが・・・)私も例にもれず「ヨッシャー、これから数学と物理学をガッツリ極めてやるぜー!!」と息巻いていたことを思い出します。

そういうワクワクした少年少女たちには有志で集まって自主ゼミとかしたりしますね。私も数学科の控室で一人自主ゼミを黒板に向かってやっていた時期があります。そういうことしていると、たまーに怪しい先輩方がフラッときて情報提供してくれたりします。そういう先輩がたが提供してくれるのは[数学&物理]に特化した知識が多いですが、まれにテスト直前に貴重な情報をくれたりする時があります。

私がいた某N大学には数学科の控室がありましたが、テスト前にはそこに愉快な仲間たちが集まって傷の舐めあい・・・ではなく、勉強会をしたものです。今でも思い出すのが、大学2年生前期の複素関数論テストの前日にローラン展開に関して色々疑問があった時のことです。テスト前日で頭を抱えていたら、当時仲の良かった「茶坊主」という数学科の大学院生がフラッと控室に立ち寄って、ローラン展開に関して知恵を授けてくれたためテストを乗り切れたことがありました。普段は「茶坊主」なのですが、この時ばかりは「賢者」に思えたものです。まぁ、テストが過ぎると茶坊主に戻ってしまいますが(笑)

さてそろそろ本題書きます。最近不思議に思ったのが、「そもそもなんでこんな面倒な書き方をしなければならないのか??」です。例えば、

lim(n→∞)1/n→0

というのは、高校生でもやりますが、「当たり前」すぎるでしょう。しかも、問題解くうえでは、この方法で全く困らないですし。もちろん、こう書くと「そういう、感覚的なことではアカン!当たり前ってただの感覚でしょ??」と言われそうですが。まぁ実際その通りだと思います。少なくとも数学やる人は、こういういい加減な感覚だけではいけませんね。でも実際に困るようなシチュエーションがないと、やっぱりピンときません。

ところがそういう困るようなシチュエーションがありました。lim(n→∞)1/n→0を例にとると、この意味は当然1/nが0.00001ではなくて0に近づくことを示したいわけです。しかし、ここにあまのじゃくな人がいて、「lim(n→∞)1/nの値は0じゃないんだけれども、うーんと0に近いαって数に近づくのさ」といったとします。そうしたらこちら側としては「いや、そんなことはない。なぜならα>0に対して、1/nがαよりも小さいようなnを見つけることができるよ」と反論することができます。そうしたら、このあまのじゃくは「いやいや失礼、αよりもさらにうーんと小さいようなβという数に近づくのさ。なんせ数は無限にあるからね」こちら側は先ほどと同様に「いやいや、1/nがβよりも小さくなるようなnを見つけてくることができるよ。こちらも同様に数は無限にあるからね」・・・・と常にイタチごっこです。

確かにこのあまのじゃく相手にはε-N論法を使うしか方法がなさそうです正の数εをどんなに小さくしても、n≧NならばlAn-αl<εがなりつような、自然数Nが存在するとき、lim(n→∞)An=αとなる」 確かにこれさえ言えてしまえば、このあまのじゃくは黙って引き下がるしかなさそうです。大学入ってこんな面倒な、と思っていたことも最近はへぇ~、と感心させられることが多いです。歳とったせいですかね(笑)

写真は、某N大学の理学研究科のライトアップされた樹木のズーム写真です。

 

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