出産と産後うつを振り返って

長女の妊娠・出産とその後の産後うつ、9か月で完治後、次女の妊娠・出産を振り返りました。

⑲我にかえる

2011-08-03 | 出産と産後うつのこと
睡眠薬のロヒプノールがまったく効かず、ドラールという薬を処方してもらいましたが、
これも、4時間くらいで目が冴えてしまいました。
枕元に安定剤のデパスを置いておいて、夜中に目が覚めて寝付けなくなったら飲むようにすると、
再び眠れるようになりました。

この、安定剤のデパスというのは、この時期、とてもありがたい存在でした。
当初は、1日2錠分をもらっていましたが、2錠目を飲んでしまうと「もう今日は飲めない」と不安になり、
結局、1日3錠分を処方してもらうようになりました。

相変わらず、身体のだるさと動悸、子どもが怖い「我が子恐怖症」が続いていましたが、
デパスを飲めば、薬が切れるまでの3、4時間は、普通の精神状態に近く過ごせるようになりました。
私の体調を理解して、毎日のように、姑が3時間ほど娘を預かってみてくれていました。
娘を迎えに行く前には、デパスを飲んで恐怖心を押さえなければなりませんでしたが、
わずかずつながらも平常心で娘に向き合えるようになってきたことが、普通の母親に近づけたようで嬉しく、
また、アカシジアも無くなり、自力で最後までミルクをあげられるようになったことが嬉しく、
ひとつひとつ、薬の力を借りて、乗り越えていけるようになりました。

11月中旬のある日の晩、
ふっと「あ、私、今、これが本来の私だった。」と思える瞬間が来ました。
8月のお盆明け、陣痛が始まってから、3ヶ月経ってやっと
これが元気な普通の自分だった、そうだった、と「本来の自分」を認識した日でした。
抗うつ剤の、ジェイゾロフトが効き始めてきたのだと思います。
薬が身体になじみ、副作用の下痢や吐き気も治まってきて、
ようやく、ちょっと快適に過ごせる時間が長くなり始めた頃でした。

そうはいっても、まだ、娘と同じ部屋で眠ることはできず、お風呂にも共に入れず、
一人で娘を買い物に連れていったり、というようなことは、全くできない状況はしばらく続きました。
すべて、夫と母と姑の協力があって、生活をこなしていました。
それでも、周囲に甘えながら、ようやく回復の実感を得ることができてきました。

デパスを飲む回数も、だんだん減らしていくことができました。
薬を飲み始めた頃は、もう依存してしまうかも、と半ばやけになっていましたが、
N先生が言ったとおり、次第に飲まずに長時間過ごせるようになってきました。

12月のある日、とうとうはじめて、
「娘と二人きりだけで、家で一日過ごせる日」ができました。
仕事帰りに夜、立ち寄った母に、
「今日はお義母さんにも預けず、誰も来ず、二人きりで家にいた。」と伝えると、
母は、半分涙ぐんで笑い、幼い子にするように私の頭を「よしよし」と冗談めかしてなでました。
他人から見れば、いい年をして、なんと馬鹿馬鹿しいと、呆れられることだと思いますが、
それほどまでに、私にとっては、誰の力も借りずに、娘と家で二人きりで居られるということが、
「進歩」でした。


希望を感じ始めて調子に乗った私は、娘を実家に預け、しばらくぶりに美容院に出かけました。
用心して、予めデパスを飲んでおき、しっかりメイクをして揚々と行ったものの、
妊娠前から私を知っている担当の美容師さんは、私を見た途端、
「えっ、大丈夫ですか?」と言ったなり、しばらく絶句してしまいました。
私はあわてて、
「あ、ちょっと産後体調を崩して、今も本調子ではないんです。でも大丈夫です。」と言いましたが、
美容師さんは、「具合悪そうですね、急ぎますね。」と言って、いつものお喋りもどこへやら、
ひたすら無言のまま、シャンプーもカットも、ものの10分ほどで、ばーっと超特急で仕上げてしまいました。

私自身の中では、かなり良くなり、復活に近づいたつもりでしたが、
冷静に考えると、産後は一気に8キロ減り、顔もやせこけ、目は落ち込み、病人そのものの顔になっていて、
お産前の私を知る人は、驚いて当然だなと思い直しました。
年内に、娘を連れて、元職場へ遊びに行こうと考えていましたが、
年明けにしようと、考え直しました。