麻酔が切れて、脚が動くようになるまで、そのまま待たないといけませんでした。
私の場合は、特別よく麻酔が効いていたようで、下半身に感覚が戻るまで3時間半ほどかかり、
結局、LDRには、出産前よりも出産後のほうが、よっぽど長く居たことになりました。
看護師さんが何度も、子どもと私の様子を見に来てくれ、
この時から、ここはずいぶん手厚い病院なんだ、と感じました。
出産の少し後から、ものすごい寒気に襲われ始めました。
歯の根元がカチカチと合わなくなるぐらいの悪寒でしたが、
「よくあることですよ。血圧も正常だし、大丈夫、すぐ収まります。」とのことでした。
暑いほど暖房が入っていたようでしたが、毛布の上から布団を掛けてもらい、
震えながらも空腹を覚えつつ、麻酔が切れるのと、点滴が終わるのを、待ちました。
やがて悪寒も収まり、無事、脚に感覚が戻って動くようになってきて、
点滴や麻酔の管が抜かれ、2人の看護師さんに支えてもらいながら、部屋に移りました。
部屋は、改築した後というだけあって、ホテル並かそれ以上のキレイな個室でした。
そして、最大にありがたいことに、部屋に、トイレがついていました。
私が「トイレになるべく近い部屋」をお願いしたから、特別なのかと思っていましたが、
ここでは、お産を終えた後の人は、希望を聞かれることもなく全員、
当たり前のように、同じタイプの個室に入っているようでした。
家族が帰るまで、子どもは部屋にいましたが、その後は、
「今日は、とにかくゆっくり休んでください。」と、預かってくれました。
「ゆっくり休んで。」
・・・これこそ、待ち望んでいた言葉でした。
お昼過ぎに出産し、その日は、本当に食事以外は何もすることがなく、授乳もしなくてよく、
ただただ横になって、ぼーっと身体を休めることができました。
もちろん、無痛分娩で、安産だったとはいえ、
身体がぴんぴんに元気だったかというと、全くそんなことはありません。
麻酔が切れると、最初に痛みを感じたのが、意外なことに、お尻でした。
ほとんど「いきむ」ということが無かったので、今回は痔にはならなかった、と思いこんでいて、
お尻に激痛を感じ始めた時は、「いったいどこをどんなふうに切ったのだろう」と思わず考え、
それが、痔の痛みだと分かるまでに、時間がかかりました。
上の娘の出産後まで、一度も痔を経験したことがなく、
それが治ってしまうと、妊娠中ですら、再び痔で苦労することも全くなかったのに、
やっぱり、麻酔のもとであれ何であれ、
3キロほどのものが身体から一気に出てくるパワーというのは、それだけ凄いものなのでしょう。
肛門の内側が、全部めくれ上がって腫れている、とでも表現すればよいのか、
とにかく激痛で、切った傷の痛みなど、かすんでしまうぐらいでした。
その日の夜には、38度を超える熱が出ました。
発熱の辛さをまったく感じていなかったので、体温計を見て自分でも驚いたのですが、
どんな安産であっても、それだけ体力は消耗している、ということなのだと思いました。
下半身が痛むので、立つも座るも寝るも、ひと苦労、そろそろと何をするにも時間がかかり、
立ちくらみを覚えながら、脚をひきずって歩いている、その状況は、
かなり楽なお産だった今回でも、前回となんら変わりません。
これが、もし再び、
「今日からべったり母子同室、今日から1日10回以上の授乳、
しかも授乳室へいったん入ったが最後、小一時間かかる」
あの、T病院だったら。
上の娘を産んだ日、あの3日間の難産の後、あの痛む下半身、ふらふらに疲れきった身体で、
7回だけとはいえ、よく授乳やオムツ替え等ができたものだと、
自分でも感心しながら、思い出していました。
明け方5時前に産まれたのでしたが、その日一日は、時間との戦いのように過ぎ、
気がついたら、もう夜になっていたという感じで、訳が分かりませんでした。
食事も口にできず、ほとんど夫に食べてもらっていました。
今回は、お腹が減って仕方なくて、結構な量のものをしっかり完食しました。
私は、ばくばくと食事を取りながら、この時はじめて、
「今度は大丈夫。うつにはならない。」と、思いました。
それでも、その日の晩は、なかなか眠れませんでした。
看護師さんから、
「痛いときは早めに言ってください。早めに言ってもらうほうが、こちらもありがたいんです。」
「痛み止めの座薬もありますから。」
と言われていましたが、
座薬を入れるほうがよっぽど苦痛そうで恐ろしい、と思い、飲み薬だけ飲んで、
寝返りも打てずに、じーっと転がったまま時間を過ごしました。
私の場合は、特別よく麻酔が効いていたようで、下半身に感覚が戻るまで3時間半ほどかかり、
結局、LDRには、出産前よりも出産後のほうが、よっぽど長く居たことになりました。
看護師さんが何度も、子どもと私の様子を見に来てくれ、
この時から、ここはずいぶん手厚い病院なんだ、と感じました。
出産の少し後から、ものすごい寒気に襲われ始めました。
歯の根元がカチカチと合わなくなるぐらいの悪寒でしたが、
「よくあることですよ。血圧も正常だし、大丈夫、すぐ収まります。」とのことでした。
暑いほど暖房が入っていたようでしたが、毛布の上から布団を掛けてもらい、
震えながらも空腹を覚えつつ、麻酔が切れるのと、点滴が終わるのを、待ちました。
やがて悪寒も収まり、無事、脚に感覚が戻って動くようになってきて、
点滴や麻酔の管が抜かれ、2人の看護師さんに支えてもらいながら、部屋に移りました。
部屋は、改築した後というだけあって、ホテル並かそれ以上のキレイな個室でした。
そして、最大にありがたいことに、部屋に、トイレがついていました。
私が「トイレになるべく近い部屋」をお願いしたから、特別なのかと思っていましたが、
ここでは、お産を終えた後の人は、希望を聞かれることもなく全員、
当たり前のように、同じタイプの個室に入っているようでした。
家族が帰るまで、子どもは部屋にいましたが、その後は、
「今日は、とにかくゆっくり休んでください。」と、預かってくれました。
「ゆっくり休んで。」
・・・これこそ、待ち望んでいた言葉でした。
お昼過ぎに出産し、その日は、本当に食事以外は何もすることがなく、授乳もしなくてよく、
ただただ横になって、ぼーっと身体を休めることができました。
もちろん、無痛分娩で、安産だったとはいえ、
身体がぴんぴんに元気だったかというと、全くそんなことはありません。
麻酔が切れると、最初に痛みを感じたのが、意外なことに、お尻でした。
ほとんど「いきむ」ということが無かったので、今回は痔にはならなかった、と思いこんでいて、
お尻に激痛を感じ始めた時は、「いったいどこをどんなふうに切ったのだろう」と思わず考え、
それが、痔の痛みだと分かるまでに、時間がかかりました。
上の娘の出産後まで、一度も痔を経験したことがなく、
それが治ってしまうと、妊娠中ですら、再び痔で苦労することも全くなかったのに、
やっぱり、麻酔のもとであれ何であれ、
3キロほどのものが身体から一気に出てくるパワーというのは、それだけ凄いものなのでしょう。
肛門の内側が、全部めくれ上がって腫れている、とでも表現すればよいのか、
とにかく激痛で、切った傷の痛みなど、かすんでしまうぐらいでした。
その日の夜には、38度を超える熱が出ました。
発熱の辛さをまったく感じていなかったので、体温計を見て自分でも驚いたのですが、
どんな安産であっても、それだけ体力は消耗している、ということなのだと思いました。
下半身が痛むので、立つも座るも寝るも、ひと苦労、そろそろと何をするにも時間がかかり、
立ちくらみを覚えながら、脚をひきずって歩いている、その状況は、
かなり楽なお産だった今回でも、前回となんら変わりません。
これが、もし再び、
「今日からべったり母子同室、今日から1日10回以上の授乳、
しかも授乳室へいったん入ったが最後、小一時間かかる」
あの、T病院だったら。
上の娘を産んだ日、あの3日間の難産の後、あの痛む下半身、ふらふらに疲れきった身体で、
7回だけとはいえ、よく授乳やオムツ替え等ができたものだと、
自分でも感心しながら、思い出していました。
明け方5時前に産まれたのでしたが、その日一日は、時間との戦いのように過ぎ、
気がついたら、もう夜になっていたという感じで、訳が分かりませんでした。
食事も口にできず、ほとんど夫に食べてもらっていました。
今回は、お腹が減って仕方なくて、結構な量のものをしっかり完食しました。
私は、ばくばくと食事を取りながら、この時はじめて、
「今度は大丈夫。うつにはならない。」と、思いました。
それでも、その日の晩は、なかなか眠れませんでした。
看護師さんから、
「痛いときは早めに言ってください。早めに言ってもらうほうが、こちらもありがたいんです。」
「痛み止めの座薬もありますから。」
と言われていましたが、
座薬を入れるほうがよっぽど苦痛そうで恐ろしい、と思い、飲み薬だけ飲んで、
寝返りも打てずに、じーっと転がったまま時間を過ごしました。