出産と産後うつを振り返って

長女の妊娠・出産とその後の産後うつ、9か月で完治後、次女の妊娠・出産を振り返りました。

2人目出産 ⑦授乳(入院中)

2012-03-27 | 出産と産後うつのこと
授乳は、お産の翌日の午後から開始でした。
これは、私だけではなく、他の人も同じでした。

規則授乳というのか規律授乳というのか、3時間おきに授乳の時間が決められていて、
決まった時間に、授乳室へ行って授乳する、という方式です。
母親がずっと側にいて、赤ちゃんが欲しがったら、時間に関わらずいつでもすぐおっぱいをあげる、
というのとは、すべてがすべて、正反対。
ひとむかし前は、みんなこういうやり方だったんだろうな、という感じでした。

私は、バースプランに「混合」で育てることを希望と書いていたため、
その意思を、看護師さんに改めて確認されました。
もちろん、母乳がたっぷり出るのなら、母乳主体としたい、
ただ、またいつ薬を飲むはめになるかもしれないので、
いざという時に、哺乳瓶やミルクを受け付けない、ということのないようにしておきたい、
また、3日間、何も与えないまま放っておく、ということをしたくない、
それで「混合希望」にした、と伝えました。

T病院の時は、徹底して母乳育児をめざすため、
哺乳瓶は一切使わないこと、とにかくおっぱいをくわえさせることを指導されました。
「赤ちゃんは、3日間分のお弁当と水筒を持って生まれてくる」と教えられ、
母乳が全く出なくても、生後3日間、本当になにひとつ与えられませんでした。
私の娘は、3日間、ひたすら声がかれるまで泣き続け、
2800あった体重が2400を切る寸前までいって、3日目の夕方、やっとはじめて糖水を与えられました。
いくら、何もあげなくても死なないとはいっても、これは少々恐ろしい気がしました。
結局、退院間際になっても母乳が出ず、ミルク10~20ccを足すことになったのですが、
哺乳瓶は禁止なので、小さなコップから口に流し込んで飲ませるように言われ、
その様子を見た私の母は、驚愕していました。

今回は、初めから、母乳が足りなかったら、ミルクを足すということが決まっていました。
特別に希望するまでもなく、みんなそのように指導されていて、
1人ずつ、小さなミルクの缶と哺乳瓶2つ、その洗浄液などを持たされていました。
調乳のしかたも、病院と提携しているミルク会社の人が、教えてくれました。
1日目は20cc、2日目は30cc・・・という具合に、与える量も定められていて、
母乳が出なくても、飲む量が不足する、という事態にはなりませんでした。

いつもお腹が満ち足りているので、子どもは、だいたいはよく眠っていて、
不思議なほど、本当にきっちり3時間ごとに、泣いてきました。
1時の次は4時、4時の次は7時、という具合で、
それ以前に激しく泣いてきたら、看護師さんが早めに授乳に来るよう教えてくれたりするのですが、
大きく時間が変わることがありませんでした。

上の娘は、いつでも「飢えて」いたので、獰猛な野生動物のようにおっぱいをせわしなく探し、
必死そのものでかぶりついて来ましたが、
今度の子は、ほとんど空腹を味わっていないためか、ふにょふにょふにょ、とおっぱいを遊びなめて、
やおら、もぐもぐ、と飲みだすような、おっとり授乳でした。

授乳室には、常に看護師さんが一人いてくれ、丁寧に授乳指導してくれました。
人気のあったT病院とは違って、今回はお産後の人が、私を含め3~4人しかおらず、
むしろ、こちらのほうが一人一人に手厚く、教えてくれました。
カチコチに張った胸をもみほぐしてくれたり(とても痛かった!)、
小さな保冷剤を持たせてくれたり、乳頭を保護するビニールを貸し出してくれたり、
おせっかいなほど親切でした。

入院中、母乳はほとんど出ず、搾乳しても15ccほどしか取れませんでした。
授乳前と授乳後の赤ちゃんの体重記録を見ると、他のお母さん2~3名の方も、同じ様子でした。
産後すぐでも、経産婦だったら少しは出やすいのかと思って期待していましたが、
そうでもないようで、少々がっかりでした。
それでもみな、
「初めは2~3分ずつ2回ほどくわえさせて、赤ちゃんが疲れるから15~20分以内には終わるように」
と教えられていたので、それ以上どうこうすることもなく、15分ほどでさっさと授乳を終え、
さっさと部屋に引き上げて、足らず分のミルクをあげていました。


お産翌日の夜22時、授乳室で授乳していると、先生がたまたま入って来られ、
「ゆうべは眠れた?」とたずねてくれました。
正直に「3時間半ほどしか眠れませんでした。」と答えると、
看護師さんに「おーい、薬あげて。」と、睡眠薬を出すよう指示してくれました。
その日も、夜間は、子どもの預かりをお願いして、部屋に戻るつもりでいたものの、
3時間ごとの授乳には、必ず来なければいけないと思いこんでいたので、
薬を受け取りながら「次は1時に来るのですよね。」と確認すると、看護師さんは妙な顔をして、
「1時に授乳したいんだったら、薬は飲めませんよ?明日朝7時までゆっくり寝てください。」
と言われました。
えっ、授乳が始まったのに、今日も夜中は看護師さんがミルクをあげてくれるのかと、
ほっとしつつも驚いていると、入院4、5日目の隣のお母さんにまで、
「今日はどうする?部屋に連れてく?こっちでミルクあげとく?」などと言っています。
「どうしようかな・・・じゃあ、今日もお願いできますか。」と、その方は答えられ、
赤ちゃんを預けて部屋に戻ってしまいました。
T病院では、考えられないことで、驚きでした。

結局、私も、退院の2日前まで夜中は看護師さんに甘え、自分はぐっすり眠り、退院の前日になって、
いくらなんでも最後の夜ぐらいは、自分の部屋で授乳しないとと、部屋に連れて帰ったのですが、
逆に看護師さんに、「明日退院ですよね、大丈夫ですか?」と心配そうにたずねられました。
これから家で大変になるから、今のうちに休んでおかなければ、という意味なのでしょう。
特に、私だけに気にかけてくれたふうでもありませんでした。


こうして、意図してのこととはいえ、
T病院のときとは、本当におもしろいほど、対照的な授乳を体験し、
おみやげのミルクや、ミルクの割引券などをもらって、退院してきました。

授乳の考え方にも、流行り廃りもあるようですが、病院によって、本当にいろいろあるものです。
そこで教えられた授乳方法が、初めてならなおさら、退院後も大きく影響するのではないかと思います。
この方法は古いとか、このほうがいいとかよくないとか、他の人がどんなに言っていても、
人それぞれに希望もあり、合う合わないが、あると思います。
もし、これから初めてお産で入院される方がおられたら、自分の経験と後悔から、
授乳がどういう方針の産院なのかだけは、予めしっかり確かめておくほうがよいことをお伝えしたいです。

2人目出産 ⑥入院生活(授乳以外のこと)

2012-03-19 | 出産と産後うつのこと
入院前、前回の反省から、家族に強くお願いしていたことが1つありました。
それは、「あまり見舞には来ないで欲しい。洗濯物だけ取りに来て欲しい。」
という、かなり身勝手なものでした。
家族とはいえ、さすがにストレートに「あんまり来ないで。」とも言えなかったので、
「今回は病院が遠いし、私も次はゆっくり休みたいから、
なるべく1人だけになる時間を多くしたい。その分、上の子の相手をしてやって。」
そういう言い方をしました。

上の子の時は、面会時間になると、晩までべったりと母や夫が付き添っていてくれ、
それはありがたいことでもある反面、私には、心身共に休まらない時間でもあったのです。
「ちょっと眠ったら。」等と気づかってはくれたのですが、
ひそひそ声で話をされていたりすると、なかなか眠れるものでもなく、
面会時間が終わってから、その辺りの物を簡単に片付けたりすることすら、    
いちいち疲れ切ってしまったのです。
それほど、前回の入院では、時間と労力に余裕が無かった、ということでもありました。

なので、LDRに居るときから、夫も母も、私に遠慮して、
側にべったり座って長時間しゃべって過ごす、ということがありませんでしたし、
入院中も、用事が済むと、さっさと帰っていってくれました。

病院の人たちには、あまり家族のかげの無い人だ、と思われていたかもしれませんが、
私は、自分の思い通り、こころゆくまで休息を取ることができました。
今回は、授乳や食事、シャワーの合間にも、「空白の時間」がありました。
テレビのスイッチを入れてちょっと見てみたり、友人に出産報告メールを打ってみたり、
いろいろもらった試供品の資料や、廊下に置いてある雑誌を眺めてみたり。
1人目の時、あんなにいそがしかったのは、一体何だったのか・・・

「余裕ができるまで母子別室」をお願いしていましたが、
出産翌日の日中からは、夜間をのぞき、ずっと一緒にいました。
子どもは、すやすやとよく眠ってくれていました。
上の娘の時は、空腹のために3日間、ひっきりなしに泣き続け、
母乳の出ないおっぱいを口にくわえさせるか、途方に暮れて抱いてまわるしかなすすべもなく、
それも負担で疲れ切ったのでしたが、
今回は、自分から何度も抱き上げては、ゆっくり眺めまわして楽しむ時間と気分的余裕がありました。

そんな環境で、私は産後の疲れをすっかり忘れ、元気を取り戻していくことができました。

朝、昼、晩に加えて、3時のおやつまで、
ボリュームたっぷりの、高級レストラン並の美味しい食事やデザートが出てきました。
毎食すべてを、ぺろっと完食しました。

便秘になるのが怖かったので、目の前にペットボトルの水を置き、
1日ほぼ2リットルの水分を、せっせと取りました。
前回のお産の後に処方してもらっていた「マグミット錠」という便秘薬の余りを持ち込んでいたので、
看護師さんに飲んでよいかどうかたずねると、
「酸化マグネシウムね、いいですよ。ここの病院のは粉薬だけど、錠剤のほうが飲みやすいよね」
と、あっさりOKが出て、自分で量を調整しながら、飲んでいました。
おかげで今回は、痛むお尻に苦労しつつも、便秘に悩むことはありませんでした。

なんといっても、下半身が傷と痛みだらけのお産後、
「自分だけのトイレ」が部屋の中にあるというのは、最大にありがたいことでした。
行きたくなった時に、すぐ行ける、
トイレのたびに自分が必要なものを、すぐ手が届くそばの洗面台に置いておける、
どんなに時間がかかっても、落ち着ける、
かなり助かりました。

そして、この病院にも、一度、エステのサービスがありました。
前回は、疲労のあまり、受けに出てゆく気力もなくて辞退しましたが、
今回は、溶ろけるほどみっちりと、顔も手も足も撫で回してもらいました。

日曜午前に出産、入院したので、前回の感じからいうと、
木曜ぐらいには放り出されるだろうと思っていましたが、土曜退院になる、とのことでした。
もっとも、経産婦は、希望すれば1日早く退院してもよいということだったのですが、
夫や母の仕事からも、土曜のほうが都合がよく、
たっぷり1週間、この入院生活を「楽しんだ」あげくに、晴れ晴れと退院しました。
最初にこの病院のHPで見たとおり、
「これからの育児のために、心も身体も元気になる期間」、そのものでした。

いろいろな考えがあると思いますが、
私は、病院を変えて本当に良かった、正解だった、と満足しました。
お産の疲れをひきずりこんで、クタクタで退院するのは、まず、最初の大きな間違いだと思います。

2人目出産 ⑤出産後・当日

2012-03-18 | 出産と産後うつのこと
麻酔が切れて、脚が動くようになるまで、そのまま待たないといけませんでした。
私の場合は、特別よく麻酔が効いていたようで、下半身に感覚が戻るまで3時間半ほどかかり、
結局、LDRには、出産前よりも出産後のほうが、よっぽど長く居たことになりました。

看護師さんが何度も、子どもと私の様子を見に来てくれ、
この時から、ここはずいぶん手厚い病院なんだ、と感じました。

出産の少し後から、ものすごい寒気に襲われ始めました。
歯の根元がカチカチと合わなくなるぐらいの悪寒でしたが、
「よくあることですよ。血圧も正常だし、大丈夫、すぐ収まります。」とのことでした。
暑いほど暖房が入っていたようでしたが、毛布の上から布団を掛けてもらい、
震えながらも空腹を覚えつつ、麻酔が切れるのと、点滴が終わるのを、待ちました。

やがて悪寒も収まり、無事、脚に感覚が戻って動くようになってきて、
点滴や麻酔の管が抜かれ、2人の看護師さんに支えてもらいながら、部屋に移りました。


部屋は、改築した後というだけあって、ホテル並かそれ以上のキレイな個室でした。
そして、最大にありがたいことに、部屋に、トイレがついていました。
私が「トイレになるべく近い部屋」をお願いしたから、特別なのかと思っていましたが、
ここでは、お産を終えた後の人は、希望を聞かれることもなく全員、
当たり前のように、同じタイプの個室に入っているようでした。

家族が帰るまで、子どもは部屋にいましたが、その後は、
「今日は、とにかくゆっくり休んでください。」と、預かってくれました。

「ゆっくり休んで。」
・・・これこそ、待ち望んでいた言葉でした。
お昼過ぎに出産し、その日は、本当に食事以外は何もすることがなく、授乳もしなくてよく、
ただただ横になって、ぼーっと身体を休めることができました。


もちろん、無痛分娩で、安産だったとはいえ、
身体がぴんぴんに元気だったかというと、全くそんなことはありません。

麻酔が切れると、最初に痛みを感じたのが、意外なことに、お尻でした。
ほとんど「いきむ」ということが無かったので、今回は痔にはならなかった、と思いこんでいて、
お尻に激痛を感じ始めた時は、「いったいどこをどんなふうに切ったのだろう」と思わず考え、
それが、痔の痛みだと分かるまでに、時間がかかりました。
上の娘の出産後まで、一度も痔を経験したことがなく、
それが治ってしまうと、妊娠中ですら、再び痔で苦労することも全くなかったのに、
やっぱり、麻酔のもとであれ何であれ、
3キロほどのものが身体から一気に出てくるパワーというのは、それだけ凄いものなのでしょう。
肛門の内側が、全部めくれ上がって腫れている、とでも表現すればよいのか、
とにかく激痛で、切った傷の痛みなど、かすんでしまうぐらいでした。

その日の夜には、38度を超える熱が出ました。
発熱の辛さをまったく感じていなかったので、体温計を見て自分でも驚いたのですが、
どんな安産であっても、それだけ体力は消耗している、ということなのだと思いました。

下半身が痛むので、立つも座るも寝るも、ひと苦労、そろそろと何をするにも時間がかかり、
立ちくらみを覚えながら、脚をひきずって歩いている、その状況は、
かなり楽なお産だった今回でも、前回となんら変わりません。

これが、もし再び、
「今日からべったり母子同室、今日から1日10回以上の授乳、
しかも授乳室へいったん入ったが最後、小一時間かかる」
あの、T病院だったら。
     
上の娘を産んだ日、あの3日間の難産の後、あの痛む下半身、ふらふらに疲れきった身体で、
7回だけとはいえ、よく授乳やオムツ替え等ができたものだと、
自分でも感心しながら、思い出していました。
明け方5時前に産まれたのでしたが、その日一日は、時間との戦いのように過ぎ、
気がついたら、もう夜になっていたという感じで、訳が分かりませんでした。
食事も口にできず、ほとんど夫に食べてもらっていました。

今回は、お腹が減って仕方なくて、結構な量のものをしっかり完食しました。
私は、ばくばくと食事を取りながら、この時はじめて、
「今度は大丈夫。うつにはならない。」と、思いました。

それでも、その日の晩は、なかなか眠れませんでした。
看護師さんから、
「痛いときは早めに言ってください。早めに言ってもらうほうが、こちらもありがたいんです。」
「痛み止めの座薬もありますから。」
と言われていましたが、
座薬を入れるほうがよっぽど苦痛そうで恐ろしい、と思い、飲み薬だけ飲んで、
寝返りも打てずに、じーっと転がったまま時間を過ごしました。

2人目出産 ④無痛分娩

2012-03-07 | 出産と産後うつのこと
Nクリニックは、3万円プラスすれば、無痛分娩してくれるところでした。
私は、無痛分娩を希望しました。

普通、無痛分娩を選ぶ人は、陣痛を避けたくて選ぶものだと思いますが、
私の場合は、痛さを味わいたくない、というよりも、とにかく、
少しでも体力を消耗したくない、産後の回復を早めたい、
その方法があるなら、どんな手段でも取っておきたい、という気持ちからでした。

むしろ、陣痛の痛みについては、1人目の出産のところでも書きましたが、
「なんだ、こんなものだったのか」と思うぐらい、私にとっては、余裕だったのです。
もちろん痛いけれど、取り乱したり叫んだりするほどのものでは、決してないというのが実感でした。
陣痛の痛さよりも、3日間断続的に痛みに耐え続ける疲労、のほうが苦痛であり、
さらに、その後の「いきんでもいきんでも全く出ない」状態のほうが、もっともっと苦痛でした。

だから、もし、なんらかの事情で麻酔が間に合わなくても、
まあそれならそれでもいいや、というぐらいの「希望度合い」だったのですが、
今回は、実際のところ、ほんとうに間に合わないかも、と思うようなお産でした。


おしるしが来て、ドキドキの毎日を過ごすこと8日目、
夜中に、前駆陣痛?らしきものがやってきました。
20分から30分に1回くらいの間隔。
早めに入院させてほしいとは言ってあるものの、さすがにまだ早いなあと思い、
寝相の悪い上の娘の足蹴りを食らいながら、ベッドでごろごろ過ごしていました。

翌朝、おおよそ20分に1回間隔。
幸い日曜日で、夫が家におり、朝食の準備をしてくれ、それを食べました。
「まだ大丈夫なの?」「んー、とりあえず、実家に移動しとこうかな。」
そんなやり取りの後、実家の母に車で迎えに来てもらい、
夫と1歳半の娘を家に残して、車に乗り込んで間もなく、
なんだか陣痛が強まってきたような感じがしました。
「とりあえず、病院に電話入れといたら?」と勧められて、ケイタイから電話。


「まだ20分に1回間隔ぐらいで、早すぎるかもしれませんが、行ってもいいですか?」
とたずねると、
「はい。日曜ですし、国道も混むかもしれませんし、早め早めに行動してください。」
と、看護師さんの、きっぱりとした、とても心強い返事。

こだわって産院を変えただけあって、今回のお産では、
1人目を産んだT病院とは「180度違う!」と思うこと、驚くことが、何かと多かったのですが、
その最初が、この電話での対応でした。
T病院のときは、“できればまだ来ないで!”感が、ありありだったからです。


「じゃあもう、実家じゃなくて、直接、病院へ向かおう」と病院へ。
車の中で、時間を計っていると、だんだん15分間隔→10分間隔→8分間隔に。
「着いたらすぐ産まれたりなんかしてね」と笑いながら、病院到着。

診察してもらうと、「もうだいぶ下がってる。6センチ開いてる。」
と言われて、え、もうそんなに??と、びっくり。
後に、看護師さんに   
「あなた、そうとう我慢強いのでしょ。痛い時は、痛いって言っていいのよ。」
と、呆れたように言われました。
やっぱり、陣痛については、私は他人より少々鈍感なのかもしれません。

それよりなにより、この時にされた、何かの処置の強烈に痛かったこと。
ぐいぐい、ぎりぎり、と力任せに何かされ、思わずうめき声がもれました。
これこそ、麻酔の後で、やってほしかった! 
「早く産まれるおまじないをしてくれたのよ。」と子どもだましのように聞かされましたが、
未だに、あれが何だったのかは、よく分かりません。

その強烈な「おまじない」のせいでしょうか、
診察の直後に、ばしゃーっと破水。直行したLDRの入口で、また、だーっと破水。
3人の看護師さんが、ふうふう汗をかきながら、ばたばた走り回って、お産の準備をしてくれました。

「大変な時に悪いけど、これ読んで、サインして。」
と、分娩台の上で、無痛分娩の説明と承諾書を渡され、
ろくすっぽ、目も通さないままに、サインと拇印で捺印。
陣痛が来ると、冷静に息を吐いて痛みを逃しながら、先生が来るのを待ちました。

その後、ほどなく、背中から麻酔を入れてくれました。
麻酔の管を入れる痛みよりも、足先にピリピリと電気の走るような痛みが来て
それが結構な痛みだったのと、不安に感じたのとで怖かったのですが、
やがて陣痛を感じなくなり、寝ているだけになりました。

あっという間に、7センチ、8センチ、と子宮口が開いていって、
「いきんで。」というところまで来ました。
が、脚にもお尻にも全然力が入らないので、お腹から上だけでいきんでいる感じ。
それなのに、2度ほどいきんだだけで、もう「頭が出てきましたよ~」と看護師さんの声。
えっ、もう?もう?頭??と思って目をぱちくりさせているうちに、
「はい、おめでとうございます~」子どもが取り出されたのが、見えました。

麻酔を入れてもらってから、30分も経ったか経っていないか、ぐらいでした。

私の無痛分娩は、陣痛よりも処置の痛みをなくすために、あったようなものでした。

今回もやはり、お腹の子がちゃんとした方向を向いていなかったらしく、
先生が、逆方向なのを、苦労して手で回して出してくれた様子でした。
胎盤を出すのにも、先生がずいぶん汗をかき、全身に力を込めて奮闘している様子で、
・・・1人目の時は、なんの苦もなく、ちょっといきんだらつるっと出たのでしたが・・・
これ、もし麻酔されてなかったら、どんなに痛かっただろう、
このためだけでも、無痛分娩で良かったわ、と思ったぐらいでした。
(※後日、保険申請のための書類を見ると「癒着胎盤用手剥離」と書かれてありました。
普通は、あまりこのような癒着は起こらないか、もし必要があっても麻酔をして行うものみたいです。)

傷を縫うのも、1人目の時は、局所麻酔で痛みこそないものの、
ぐいぐい引っ張られて縫われる感覚が逐一分かって、なんとも気持ち悪かったのですが、
今回は、なんの痛さも気持ち悪さもなく、すべてが終わってしまっていて、
罪悪感を覚えるほど、あっけない楽なお産だった、というのが実感でした。


私が、私の実家に向かっていると思って、一安心していた夫は、
私の母から「病院へ直行した、もう産まれそう」と、連絡を受けて、あわてふためき、
上の娘とオムツだけを夫方の実家へ放り込んで、病院へ駆けつけ、
出産10分前にギリギリ到着、なんとか間に合った、という状況でした。
もともと立会いは希望していなかったので、どちらにしても出産時は私だけだったのですが、
夫が着いた後に産まれてくれたことは、良かったと思いました。

分娩所要時間1時間半。
上の娘のときに、3日3晩かかって産んだことを思うと、ウソのようでした。

それでも、不思議となぜか、今回のほうが「産んだ実感と感動」を覚えました。
前回は、それどころではなく、くたびれ切って、目を開ける余裕すらなかったのです。
もう、お産なんか、子どもなんか、どうだっていい、そんな感じでした。
今回は、まじまじと子どもを見つめて腕に抱き、無意識に涙が流れて、自分でも意外でした。

2人目出産 ③バースプラン

2012-03-02 | 出産と産後うつのこと
出産にあたって、あらかじめ、
病院からのアンケート(バースプラン)を、提出するように言われていました。

1人目の時のT病院でも、同じような用紙がありましたが、
初めてのことで、訳が分からないこともあり、
「とにかく、無事に元気で生まれれば良いです。」というような、
ぼんやりした書き込みしかしていませんでした。

今回は、違います。
産院を変えたといっても、
「ここで、同じ過ちを繰り返しては、本当にバカだ。」
念には念を入れ、具体的に、次のような希望を書き入れました。


<自由記述のところ>

・陣痛が始まったら、早めに入院させてほしい。
&お産の進行が異常に遅いようだったら、薬で早めてほしい。
(1人目の時、10分間隔の陣痛を自宅で55時間我慢し、
入院してからも19時間半かかって、一睡もできずに疲れたので)

・いきみ始めてから普通以上に時間がかかるようだったら、吸引など早めにしてほしい。
(1人目の時、4時間半いきんだところで「あと3時間頑張れば自然に産める」と言われましたが、
 力尽きて吸引してもらいました。へその緒が短く回れなかったとのことでした。)

・お産の当日、疲れていたら、その日のうちに、休養する時間をいただきたい。

・余裕ができるまで、母子別室でお願いしたい。

・空いていれば、なるべくトイレに近い部屋にしていただけるとありがたい。

そして、1人目の出産後、産後うつになり精神科に通院した経過などを簡単に記し、

・再び、産後うつにならないように気をつけたいと、思っています。

と書いておきました。



<回答式のところ>

・どのようなお産がしたいか。・・・なるべく後に疲れを残さないお産。

・家族の立会いを希望するか。・・・しません。

・希望するお産の部屋、スタイル・・・特にありません。

・母乳で育てたいか、ミルクで育てたいか。
 ・・・ミルク(混合・母乳の出が悪く体重が激減するようなら、早めに糖水など与えたいです。)

・希望する処置など。・・・無痛分娩を希望します。


私にとっては、
陣痛のときに、音楽を聴きたいとか、アロマを焚きたいとか、
出産の時に、ビデオを撮りたいとか、誰が立ち会いたいとか、
はたまた、誰かがへその緒を切りたいとか、カンガルーケアをしたいとか・・・
そんなことは、一切、どうだってよかったのです。

とにかく、
「お産を、楽なものにして、体力を消耗しないこと」
「お産後、十分に休息をとりたいこと」
「すぐにトイレにいける部屋に入れて欲しいこと」

それに尽きました。

赤ちゃんのことよりも、自分の身の心配ばっかり、と言われそうですが、
なりふり構っている場合ではありませんでした。
すべては、再びあの地獄の日々を経験しないため、
自分が元気で退院できなければ、赤ちゃんの世話だって、満足にできないわけですから。

まずは、とにかく
「休養させてほしい!」を、強調しておきました。