Nクリニックは、3万円プラスすれば、無痛分娩してくれるところでした。
私は、無痛分娩を希望しました。
普通、無痛分娩を選ぶ人は、陣痛を避けたくて選ぶものだと思いますが、
私の場合は、痛さを味わいたくない、というよりも、とにかく、
少しでも体力を消耗したくない、産後の回復を早めたい、
その方法があるなら、どんな手段でも取っておきたい、という気持ちからでした。
むしろ、陣痛の痛みについては、1人目の出産のところでも書きましたが、
「なんだ、こんなものだったのか」と思うぐらい、私にとっては、余裕だったのです。
もちろん痛いけれど、取り乱したり叫んだりするほどのものでは、決してないというのが実感でした。
陣痛の痛さよりも、3日間断続的に痛みに耐え続ける疲労、のほうが苦痛であり、
さらに、その後の「いきんでもいきんでも全く出ない」状態のほうが、もっともっと苦痛でした。
だから、もし、なんらかの事情で麻酔が間に合わなくても、
まあそれならそれでもいいや、というぐらいの「希望度合い」だったのですが、
今回は、実際のところ、ほんとうに間に合わないかも、と思うようなお産でした。
おしるしが来て、ドキドキの毎日を過ごすこと8日目、
夜中に、前駆陣痛?らしきものがやってきました。
20分から30分に1回くらいの間隔。
早めに入院させてほしいとは言ってあるものの、さすがにまだ早いなあと思い、
寝相の悪い上の娘の足蹴りを食らいながら、ベッドでごろごろ過ごしていました。
翌朝、おおよそ20分に1回間隔。
幸い日曜日で、夫が家におり、朝食の準備をしてくれ、それを食べました。
「まだ大丈夫なの?」「んー、とりあえず、実家に移動しとこうかな。」
そんなやり取りの後、実家の母に車で迎えに来てもらい、
夫と1歳半の娘を家に残して、車に乗り込んで間もなく、
なんだか陣痛が強まってきたような感じがしました。
「とりあえず、病院に電話入れといたら?」と勧められて、ケイタイから電話。
「まだ20分に1回間隔ぐらいで、早すぎるかもしれませんが、行ってもいいですか?」
とたずねると、
「はい。日曜ですし、国道も混むかもしれませんし、早め早めに行動してください。」
と、看護師さんの、きっぱりとした、とても心強い返事。
こだわって産院を変えただけあって、今回のお産では、
1人目を産んだT病院とは「180度違う!」と思うこと、驚くことが、何かと多かったのですが、
その最初が、この電話での対応でした。
T病院のときは、“できればまだ来ないで!”感が、ありありだったからです。
「じゃあもう、実家じゃなくて、直接、病院へ向かおう」と病院へ。
車の中で、時間を計っていると、だんだん15分間隔→10分間隔→8分間隔に。
「着いたらすぐ産まれたりなんかしてね」と笑いながら、病院到着。
診察してもらうと、「もうだいぶ下がってる。6センチ開いてる。」
と言われて、え、もうそんなに??と、びっくり。
後に、看護師さんに
「あなた、そうとう我慢強いのでしょ。痛い時は、痛いって言っていいのよ。」
と、呆れたように言われました。
やっぱり、陣痛については、私は他人より少々鈍感なのかもしれません。
それよりなにより、この時にされた、何かの処置の強烈に痛かったこと。
ぐいぐい、ぎりぎり、と力任せに何かされ、思わずうめき声がもれました。
これこそ、麻酔の後で、やってほしかった!
「早く産まれるおまじないをしてくれたのよ。」と子どもだましのように聞かされましたが、
未だに、あれが何だったのかは、よく分かりません。
その強烈な「おまじない」のせいでしょうか、
診察の直後に、ばしゃーっと破水。直行したLDRの入口で、また、だーっと破水。
3人の看護師さんが、ふうふう汗をかきながら、ばたばた走り回って、お産の準備をしてくれました。
「大変な時に悪いけど、これ読んで、サインして。」
と、分娩台の上で、無痛分娩の説明と承諾書を渡され、
ろくすっぽ、目も通さないままに、サインと拇印で捺印。
陣痛が来ると、冷静に息を吐いて痛みを逃しながら、先生が来るのを待ちました。
その後、ほどなく、背中から麻酔を入れてくれました。
麻酔の管を入れる痛みよりも、足先にピリピリと電気の走るような痛みが来て
それが結構な痛みだったのと、不安に感じたのとで怖かったのですが、
やがて陣痛を感じなくなり、寝ているだけになりました。
あっという間に、7センチ、8センチ、と子宮口が開いていって、
「いきんで。」というところまで来ました。
が、脚にもお尻にも全然力が入らないので、お腹から上だけでいきんでいる感じ。
それなのに、2度ほどいきんだだけで、もう「頭が出てきましたよ~」と看護師さんの声。
えっ、もう?もう?頭??と思って目をぱちくりさせているうちに、
「はい、おめでとうございます~」子どもが取り出されたのが、見えました。
麻酔を入れてもらってから、30分も経ったか経っていないか、ぐらいでした。
私の無痛分娩は、陣痛よりも処置の痛みをなくすために、あったようなものでした。
今回もやはり、お腹の子がちゃんとした方向を向いていなかったらしく、
先生が、逆方向なのを、苦労して手で回して出してくれた様子でした。
胎盤を出すのにも、先生がずいぶん汗をかき、全身に力を込めて奮闘している様子で、
・・・1人目の時は、なんの苦もなく、ちょっといきんだらつるっと出たのでしたが・・・
これ、もし麻酔されてなかったら、どんなに痛かっただろう、
このためだけでも、無痛分娩で良かったわ、と思ったぐらいでした。
(※後日、保険申請のための書類を見ると「癒着胎盤用手剥離」と書かれてありました。
普通は、あまりこのような癒着は起こらないか、もし必要があっても麻酔をして行うものみたいです。)
傷を縫うのも、1人目の時は、局所麻酔で痛みこそないものの、
ぐいぐい引っ張られて縫われる感覚が逐一分かって、なんとも気持ち悪かったのですが、
今回は、なんの痛さも気持ち悪さもなく、すべてが終わってしまっていて、
罪悪感を覚えるほど、あっけない楽なお産だった、というのが実感でした。
私が、私の実家に向かっていると思って、一安心していた夫は、
私の母から「病院へ直行した、もう産まれそう」と、連絡を受けて、あわてふためき、
上の娘とオムツだけを夫方の実家へ放り込んで、病院へ駆けつけ、
出産10分前にギリギリ到着、なんとか間に合った、という状況でした。
もともと立会いは希望していなかったので、どちらにしても出産時は私だけだったのですが、
夫が着いた後に産まれてくれたことは、良かったと思いました。
分娩所要時間1時間半。
上の娘のときに、3日3晩かかって産んだことを思うと、ウソのようでした。
それでも、不思議となぜか、今回のほうが「産んだ実感と感動」を覚えました。
前回は、それどころではなく、くたびれ切って、目を開ける余裕すらなかったのです。
もう、お産なんか、子どもなんか、どうだっていい、そんな感じでした。
今回は、まじまじと子どもを見つめて腕に抱き、無意識に涙が流れて、自分でも意外でした。
私は、無痛分娩を希望しました。
普通、無痛分娩を選ぶ人は、陣痛を避けたくて選ぶものだと思いますが、
私の場合は、痛さを味わいたくない、というよりも、とにかく、
少しでも体力を消耗したくない、産後の回復を早めたい、
その方法があるなら、どんな手段でも取っておきたい、という気持ちからでした。
むしろ、陣痛の痛みについては、1人目の出産のところでも書きましたが、
「なんだ、こんなものだったのか」と思うぐらい、私にとっては、余裕だったのです。
もちろん痛いけれど、取り乱したり叫んだりするほどのものでは、決してないというのが実感でした。
陣痛の痛さよりも、3日間断続的に痛みに耐え続ける疲労、のほうが苦痛であり、
さらに、その後の「いきんでもいきんでも全く出ない」状態のほうが、もっともっと苦痛でした。
だから、もし、なんらかの事情で麻酔が間に合わなくても、
まあそれならそれでもいいや、というぐらいの「希望度合い」だったのですが、
今回は、実際のところ、ほんとうに間に合わないかも、と思うようなお産でした。
おしるしが来て、ドキドキの毎日を過ごすこと8日目、
夜中に、前駆陣痛?らしきものがやってきました。
20分から30分に1回くらいの間隔。
早めに入院させてほしいとは言ってあるものの、さすがにまだ早いなあと思い、
寝相の悪い上の娘の足蹴りを食らいながら、ベッドでごろごろ過ごしていました。
翌朝、おおよそ20分に1回間隔。
幸い日曜日で、夫が家におり、朝食の準備をしてくれ、それを食べました。
「まだ大丈夫なの?」「んー、とりあえず、実家に移動しとこうかな。」
そんなやり取りの後、実家の母に車で迎えに来てもらい、
夫と1歳半の娘を家に残して、車に乗り込んで間もなく、
なんだか陣痛が強まってきたような感じがしました。
「とりあえず、病院に電話入れといたら?」と勧められて、ケイタイから電話。
「まだ20分に1回間隔ぐらいで、早すぎるかもしれませんが、行ってもいいですか?」
とたずねると、
「はい。日曜ですし、国道も混むかもしれませんし、早め早めに行動してください。」
と、看護師さんの、きっぱりとした、とても心強い返事。
こだわって産院を変えただけあって、今回のお産では、
1人目を産んだT病院とは「180度違う!」と思うこと、驚くことが、何かと多かったのですが、
その最初が、この電話での対応でした。
T病院のときは、“できればまだ来ないで!”感が、ありありだったからです。
「じゃあもう、実家じゃなくて、直接、病院へ向かおう」と病院へ。
車の中で、時間を計っていると、だんだん15分間隔→10分間隔→8分間隔に。
「着いたらすぐ産まれたりなんかしてね」と笑いながら、病院到着。
診察してもらうと、「もうだいぶ下がってる。6センチ開いてる。」
と言われて、え、もうそんなに??と、びっくり。
後に、看護師さんに
「あなた、そうとう我慢強いのでしょ。痛い時は、痛いって言っていいのよ。」
と、呆れたように言われました。
やっぱり、陣痛については、私は他人より少々鈍感なのかもしれません。
それよりなにより、この時にされた、何かの処置の強烈に痛かったこと。
ぐいぐい、ぎりぎり、と力任せに何かされ、思わずうめき声がもれました。
これこそ、麻酔の後で、やってほしかった!
「早く産まれるおまじないをしてくれたのよ。」と子どもだましのように聞かされましたが、
未だに、あれが何だったのかは、よく分かりません。
その強烈な「おまじない」のせいでしょうか、
診察の直後に、ばしゃーっと破水。直行したLDRの入口で、また、だーっと破水。
3人の看護師さんが、ふうふう汗をかきながら、ばたばた走り回って、お産の準備をしてくれました。
「大変な時に悪いけど、これ読んで、サインして。」
と、分娩台の上で、無痛分娩の説明と承諾書を渡され、
ろくすっぽ、目も通さないままに、サインと拇印で捺印。
陣痛が来ると、冷静に息を吐いて痛みを逃しながら、先生が来るのを待ちました。
その後、ほどなく、背中から麻酔を入れてくれました。
麻酔の管を入れる痛みよりも、足先にピリピリと電気の走るような痛みが来て
それが結構な痛みだったのと、不安に感じたのとで怖かったのですが、
やがて陣痛を感じなくなり、寝ているだけになりました。
あっという間に、7センチ、8センチ、と子宮口が開いていって、
「いきんで。」というところまで来ました。
が、脚にもお尻にも全然力が入らないので、お腹から上だけでいきんでいる感じ。
それなのに、2度ほどいきんだだけで、もう「頭が出てきましたよ~」と看護師さんの声。
えっ、もう?もう?頭??と思って目をぱちくりさせているうちに、
「はい、おめでとうございます~」子どもが取り出されたのが、見えました。
麻酔を入れてもらってから、30分も経ったか経っていないか、ぐらいでした。
私の無痛分娩は、陣痛よりも処置の痛みをなくすために、あったようなものでした。
今回もやはり、お腹の子がちゃんとした方向を向いていなかったらしく、
先生が、逆方向なのを、苦労して手で回して出してくれた様子でした。
胎盤を出すのにも、先生がずいぶん汗をかき、全身に力を込めて奮闘している様子で、
・・・1人目の時は、なんの苦もなく、ちょっといきんだらつるっと出たのでしたが・・・
これ、もし麻酔されてなかったら、どんなに痛かっただろう、
このためだけでも、無痛分娩で良かったわ、と思ったぐらいでした。
(※後日、保険申請のための書類を見ると「癒着胎盤用手剥離」と書かれてありました。
普通は、あまりこのような癒着は起こらないか、もし必要があっても麻酔をして行うものみたいです。)
傷を縫うのも、1人目の時は、局所麻酔で痛みこそないものの、
ぐいぐい引っ張られて縫われる感覚が逐一分かって、なんとも気持ち悪かったのですが、
今回は、なんの痛さも気持ち悪さもなく、すべてが終わってしまっていて、
罪悪感を覚えるほど、あっけない楽なお産だった、というのが実感でした。
私が、私の実家に向かっていると思って、一安心していた夫は、
私の母から「病院へ直行した、もう産まれそう」と、連絡を受けて、あわてふためき、
上の娘とオムツだけを夫方の実家へ放り込んで、病院へ駆けつけ、
出産10分前にギリギリ到着、なんとか間に合った、という状況でした。
もともと立会いは希望していなかったので、どちらにしても出産時は私だけだったのですが、
夫が着いた後に産まれてくれたことは、良かったと思いました。
分娩所要時間1時間半。
上の娘のときに、3日3晩かかって産んだことを思うと、ウソのようでした。
それでも、不思議となぜか、今回のほうが「産んだ実感と感動」を覚えました。
前回は、それどころではなく、くたびれ切って、目を開ける余裕すらなかったのです。
もう、お産なんか、子どもなんか、どうだっていい、そんな感じでした。
今回は、まじまじと子どもを見つめて腕に抱き、無意識に涙が流れて、自分でも意外でした。