出産と産後うつを振り返って

長女の妊娠・出産とその後の産後うつ、9か月で完治後、次女の妊娠・出産を振り返りました。

⑭わが子恐怖症

2011-07-29 | 出産と産後うつのこと
「アビリット」(安定剤)を毎日飲み始めてからも、
体調は、良い日があったり悪い日があったり、波があり、
飲み続けて、どんどん良くなる、という実感が得られないのが、辛いところでした。
「明日は、気分のいい一日になりますように」と、毎夜祈りながら眠りにつきました。
比較的、普通に近い精神を保って過ごせる日もあれば、
朝から、辛くて辛くてたまらず、どうしてよいか分からず、
耳をふさいで思わず叫びたくなるような感情を、辛うじて押さえ続けながら過ごす日もありました。

T病院で、特別に話を聞いてくれた看護師さんのAさんが、
「私も、産後おかしくなったことがある。毎日綱渡りのような感じよね。」と仰いましたが、
その「毎日綱渡り」という表現が、まさに、そのとおりで、なんと上手い表現だろうと思ったものでした。


この気が狂いそうな「つらさ」と、常に発熱しているかのような倦怠感、動悸やほてり以上に、
最も辛かったのが「わが子恐怖症」(←私が勝手にネーミング)でした。
よく、産後うつについて調べると、症状のひとつに「赤ちゃんをかわいいと思えない」などと書いてありますが、
私の場合は、そんな生易しいものではありませんでした。
授乳時だけだった動悸は、「娘が泣き出すたび」になり、「娘を見るたび」になり、「娘のことを思うたび」になりました。
娘の姿が目に入ると、心臓が跳ね上がって、汗が滲み出すようになりました。
今となっては、どういう思考回路でそうなってしまうのか、不思議としかいいようがありませんが、
その時は、とにかく娘が怖くて怖くてしかたありませんでした。

朝起きると、娘と一緒に寝てくれていた夫が少し前に起きていて、
オルゴールメリーを付けている、その音楽を聞くと、もう心臓がドキドキして気分が悪くなりました。
いやおうなく「娘がいる」現実をつきつけられている、という感じでした。
メリーを付けているということは、もう娘は目が覚めているのか、どうしよう、と身構えてしまう。
夫だけが起きていて、娘がまだ眠っている朝は、若干ほっとしました。
夫が、眠ったままの娘を食卓の側に連れて来ようとすると、私はむしょうに怖くなり、
「こっちに連れて来ないで。眠っている時はなるべく眠ったままにしておいて。」と懇願しました。
夫は、そんな私と娘を心配しながら出勤していく、という感じでした。

毎日、実家の母や姑が、私の様子を心配して頻繁に来てくれていましたが、
仕事や用事で来れないで、私と娘の二人きりで居る時は、私は、娘を避けるように過ごしていました。
ミルクとオムツを替える以外は、娘を見ないようにしていました。

いつか児童虐待を報じた新聞記事で、
子どもを衣装ケースに入れてマンションのベランダに出していた、というものがあったのを思い出していました。
それを読んだ時は、なんとひどいことを、と思いましたが、
私が今やっていることは、結局おなじ「育児放棄、ネグレクト」ではないか、と思い、落ち込みました。
マンションの部屋とベランダ、1階の娘の居る部屋と2階の私が逃げている部屋、その違いだけ。
どうにかこうにか、必要最低限のミルクとオムツ替えを、恐怖と戦いながらやっているだけのこと。
もし、夫や母や姑が居なくて、私がシングルマザーだったら、この家でなくてマンションの1室だったら、
そう思うと、真っ暗な気持ちになりました。

実際、何度も「子どもを産んだという事実は消せない。」「今後一生、この子が居る。」
「出産前の状況には戻れない。」「この状況を変えるには、私が死ぬかこの子が死ぬかしかない。」
などというようなことを、ぐるぐるぐるぐる、頭の中で考えていました。
自殺しようとはしませんでしたが、何度も、自分の葬儀の場面を妄想しました。

なんで、こんなに自分の子どもが怖いのか。
普通、産後うつで、こんな、子どもが怖いなんていう状況になるのだろうか。
私は、人と違って、特別に「母」に向いていない性格なのかもしれない。
そういえば、昔から「お母さんごっこ」なんて興味なかった、年下の子の面倒見もよくなかった。
身体が勝手に拒絶反応をしているのかもしれない。
そしたら、もう一生治らないで、この子が居る限り、ずっとこの苦しい身体と精神のままかもしれない。
でも、この子と離れて暮らすことはできない。
どうやったら、怖いと思わずにこの子の世話ができるのか、
ペットだと割り切ってみようか、ミルクとオムツ替えを機械的にこなすだけ、とひらきなおればいいのか、
そんなことまで考えました。
母親なら、なにも考えないで無条件に我が子を愛せるものなのに、私はなぜ、
これは、産後うつじゃない、適応障害みたいなものなのかもしれない、
そんなことばっかり毎日毎日、真剣に悩みました。

実家にいるとき、時折、眺めていた「育児百科」を見るのをやめました。
この子が、3ヶ月になったら、6ヶ月になったら、などと、先を想像するのが物凄く怖くなっていました。
離乳食なんて作れる自信がない。その時になったら、一体どうしよう。
チャイルドシートに赤ちゃんを乗せて、スーパーに行って、ベビーカーに乗せて買い物するとか、
普通のお母さんたちがやっていることが、離れワザのように思えていました。
しまいには、町内を歩く幼稚園児や小学生を見ただけで、動悸と吐き気がするようになっていました。

「この子がこれからだんだん大きくなっていくと思うと、たまらなく怖い。」
ある日、母にそう打ち明けると、母は呆れた顔で、
「大きくならずにどうするのよ。だいたい今のこともろくにできないのに、なんでそんな先のことを考えるの。」
と言いました。

その言葉に、私は、救われました。
そうだ、先のことを考えるのは、一切やめよう。「今日だけ」のことを考えて過ごそう。
この思考で、私は、自殺せずに済んだといえます。
とにかく「今日だけ」しか考えない。先のことを考えたら果てしなく絶望してしまうので。

だから、ある日の診察日、看護師さんのAさんが
「もうすぐ娘さんも微笑み返したり、声を出して反応したり、するようになりますよ。」と言ってくれた時、
私は、慌てて「先のことは一切考えないようにしてるんです。」と、Aさんの言葉をさえぎりました。
必死でした。

⑬眠れても、うつ

2011-07-29 | 出産と産後うつのこと
その日、私はお産後はじめて娘と離れて、一人で眠りました。
夫に哺乳瓶を託し、眠る前に薬を飲み、罪悪感とともにベッドに入りました。
コンスタンが効いて、その日は、4時間半ほどノンストップで眠ることができました。
陣痛が来た日から数えて1ヶ月10日ぶりに、
「連続睡眠時間」としてはもちろんのこと、「1日の合計睡眠時間」としても初めて、
「4時間以上」、眠ることができたのです。
ものすごく休めた気がして、気分が晴れました。

この日以来、半年間、私は、娘と同じ部屋で寝ることは一度もありませんでした。

この頃、娘は、夜中にだいたい1度、起きていました。
1度だけというのは、かなり親孝行な部類だと思いますが、
それでも、毎朝8時前に家を出て、だいたい20時、21時まで仕事をして帰ってくる夫が、
夜中に必ず1度は起きて、ミルクを調乳し、冷まして授乳する、ということを、
一言の文句も言わず、ずっとやってくれたのです。
それどころか、「全然眠くならないし、苦にならない。」と夫は言っていました。
実際、あまり辛そうではありませんでした。
確かに、22時半と早目に床につくようにし、1時間ほど眠りを中断しても、
6、7時間くらいは、眠れていたのだと思いますが、
私は、完全に開き直れるまでは、夫が倒れたらどうしよう、と気が気ではありませんでした。


コンスタンを睡眠薬がわりに処方してもらい、毎夜5時間ほど眠れるようになって1週間、
病院へ行った私は、S先生に「もう大丈夫です。」と申し出ました。
「コンスタンのおかげで救われました。ありがとうございました。」と笑顔で診察室を出る私を、
S先生は、ちょっと渋い表情で見ていたような気がしました。

私は、もう眠れさえすれば、体調が良くなり大丈夫なのだと思い込んでいました。
ところが、その3日後、私は再び病院を訪れて、追加の安定剤を処方されています。
(確定申告のために残していた領収書貼付の診療明細書が手元にあります。)

おぼろげの記憶では、この3日間のあいだに、私は、またおかしくなって病院に電話したようです。
実際、眠れるようにはなりましたが、
授乳の時の激しい動悸や、高熱があるかのような倦怠感は、全く取れていませんでした。
むしろ、眠れているのに、体調が良くならないという焦りが加わって、
精神的には、余計追い詰められたような感じだったと思います。
ものすごく「辛い」という感覚に襲われるようになり、なぜだかとにかく
「辛くて辛くてしかたがない。」
1日中、つらい、という自分の感情だけを、ひたすら頭でなぞって過ごしているようでした。
身体のだるさ以上に、身の置き場がなくなるような「つらさ」と戦うことに疲れ果てました。


T病院のS先生からは「また来ると思っていたよ。」と言われました。
S先生は、かなり良心的な先生で、診察時間でもなく、忙しい手術の直前に、
わざわざ時間を割いてくれていました。
この時は、私は一人で病院に行ける状態ではなく、実母が一緒に来てくれていました。
「別の心療内科を紹介することもできる。」と言われましたが、
このまま、こちらで診て欲しいと希望しました。

出産後1ヶ月半ほど経った10月初旬から、
「アビリット錠100mg」を、朝昼晩に1錠ずつ、眠る前に「コンスタン0.4㎎」1錠を、飲むようになりました。

授乳はこの時から完全に止めて、すべてミルクに切り替えました。
薬の影響が心配だったので、授乳をやめること自体については、
特に悲しいともくやしいとも、思いませんでした。
ただ、さすがに、「これが最後の授乳」と決めた授乳の時には、
私のおっぱいにむしゃぶりつく娘を眺めながら、たまらなく切なくなりました。