出産と産後うつを振り返って

長女の妊娠・出産とその後の産後うつ、9か月で完治後、次女の妊娠・出産を振り返りました。

⑯アカシジア(2)

2011-08-03 | 出産と産後うつのこと
「じっとできない」私の症状は、次第にエスカレートしてきました。
家事のやることが無くなって、娘も寝てしまう時間が来てしまうと、
ひたすら家の中の階段を行ったり来たりして過ごし、
娘をみてくれる人が来てくれると、救われたように、外をあてもなくうろうろしに行きました。

そのうち、ピアノを弾くと、落ち着いてくることが分かるようになりました。
状況が許される限り、しばらくご無沙汰していたピアノに向かうようになりました。
テンポの遅いものや、ゆったりした曲調のものは、ダメで、
音符がなるべくたくさんあって、指が忙しいものでないと、座って弾き続けられませんでした。
感情も芸術性も何もあったものではなく、ただただ機械的に、同じ曲を、何度も何度も弾きました。
それでも、弾き始めは、椅子に座り続けることを「我慢」しなくてはなりませんでしたが、
引き続けているうちに、歩きたがる身体をなんとかなだめ、多少落ち着くことができました。
ピアノが弾けて救われた、と思いました。

そのうち、夜、睡眠薬がわりのコンスタンを飲んでも、寝付けなくなるようになりました。
すぐに目が覚め、何度も寝返りを打って起き上がってしまいます。
せっかく毎日5、6時間は眠れるようになってきていたのに、
この「再び眠れなくなる」という事態が、たまらなく恐怖でした。

ついには、ピアノの前に座っても、身体が動きたがって座り続けられなくなりました。
両脚は、登山でもしたかのように筋肉痛でぱんぱんになり、もう休みたい、動きたくない、
なのに、立ち止まることさえ、身体が気持ち悪くて動かざるを得ない、
泣きたい思いで、せまい家中を動き回りました。
意を決して、「座ってテレビを観てみよう。」と、ソファに座ってテレビをつけてみました。
5分間我慢するのが必死でした。
これは、なんなのか、私は一体どうなってしまったのか。
もう、座り続けられない体質になってしまった、
こんなでは、電車もバスも乗れない、映画も観れない、美容院もいけない、
普通に座ってじっとできた頃に戻りたい・・・

ついには、食事ですら、一口含んでは、目的もなく1階から2階に上がって戻ってきて、
また、次の一口を食べては、2階まで上がっていって下りてきて・・・
というような事態になってしまいました。
もう完全に狂った、と思いました。傍目には間違いなく狂っていました。
私は、筋肉痛の足で階段を何十往復もしながら、仕事中の母に電話をかけ、
「もう限界。どうしたらいい?どうにかして。」と、泣きながら訴えました。
母は「今すぐ帰る。」と、忙しい仕事を無理に切り上げて来てくれました。
私が狂っている間、娘は、私の窮状を分かっているかのようにおとなしく、よく寝てくれていました。

私は、T病院の看護師さんのAさんに電話をかけ、
「新しい症状が出てきた、じっとしていられない、薬のせいかもしれない、薬をやめてみてよいか。」
と相談しました。
Aさんは、忙しい最中、迷惑な電話だったことと思いますが、親切に対応してくれ、
「副作用の可能性は薄いと思う、万一副作用でも、薬をやめてしまったら分からないから飲み続けるように。」
と言われました。

次の日、S先生も大変親切で、またまた診療時間外に時間を割いて、朝一番で待っていてくれました。
病院へ行く道中の車の助手席でも、私は、身体を揺すって耐え続けなければならず、
待合室の椅子に座ることもできず、うろうろしながら、診察を待つという状況でした。
完全に薬を信じられなくなっていた私は、「心療内科を紹介してほしい。」と申し出ました。
S先生は、すぐに紹介状を書いてくれました。