「じっとできない」私の症状は、次第にエスカレートしてきました。
家事のやることが無くなって、娘も寝てしまう時間が来てしまうと、
ひたすら家の中の階段を行ったり来たりして過ごし、
娘をみてくれる人が来てくれると、救われたように、外をあてもなくうろうろしに行きました。
そのうち、ピアノを弾くと、落ち着いてくることが分かるようになりました。
状況が許される限り、しばらくご無沙汰していたピアノに向かうようになりました。
テンポの遅いものや、ゆったりした曲調のものは、ダメで、
音符がなるべくたくさんあって、指が忙しいものでないと、座って弾き続けられませんでした。
感情も芸術性も何もあったものではなく、ただただ機械的に、同じ曲を、何度も何度も弾きました。
それでも、弾き始めは、椅子に座り続けることを「我慢」しなくてはなりませんでしたが、
引き続けているうちに、歩きたがる身体をなんとかなだめ、多少落ち着くことができました。
ピアノが弾けて救われた、と思いました。
そのうち、夜、睡眠薬がわりのコンスタンを飲んでも、寝付けなくなるようになりました。
すぐに目が覚め、何度も寝返りを打って起き上がってしまいます。
せっかく毎日5、6時間は眠れるようになってきていたのに、
この「再び眠れなくなる」という事態が、たまらなく恐怖でした。
ついには、ピアノの前に座っても、身体が動きたがって座り続けられなくなりました。
両脚は、登山でもしたかのように筋肉痛でぱんぱんになり、もう休みたい、動きたくない、
なのに、立ち止まることさえ、身体が気持ち悪くて動かざるを得ない、
泣きたい思いで、せまい家中を動き回りました。
意を決して、「座ってテレビを観てみよう。」と、ソファに座ってテレビをつけてみました。
5分間我慢するのが必死でした。
これは、なんなのか、私は一体どうなってしまったのか。
もう、座り続けられない体質になってしまった、
こんなでは、電車もバスも乗れない、映画も観れない、美容院もいけない、
普通に座ってじっとできた頃に戻りたい・・・
ついには、食事ですら、一口含んでは、目的もなく1階から2階に上がって戻ってきて、
また、次の一口を食べては、2階まで上がっていって下りてきて・・・
というような事態になってしまいました。
もう完全に狂った、と思いました。傍目には間違いなく狂っていました。
私は、筋肉痛の足で階段を何十往復もしながら、仕事中の母に電話をかけ、
「もう限界。どうしたらいい?どうにかして。」と、泣きながら訴えました。
母は「今すぐ帰る。」と、忙しい仕事を無理に切り上げて来てくれました。
私が狂っている間、娘は、私の窮状を分かっているかのようにおとなしく、よく寝てくれていました。
私は、T病院の看護師さんのAさんに電話をかけ、
「新しい症状が出てきた、じっとしていられない、薬のせいかもしれない、薬をやめてみてよいか。」
と相談しました。
Aさんは、忙しい最中、迷惑な電話だったことと思いますが、親切に対応してくれ、
「副作用の可能性は薄いと思う、万一副作用でも、薬をやめてしまったら分からないから飲み続けるように。」
と言われました。
次の日、S先生も大変親切で、またまた診療時間外に時間を割いて、朝一番で待っていてくれました。
病院へ行く道中の車の助手席でも、私は、身体を揺すって耐え続けなければならず、
待合室の椅子に座ることもできず、うろうろしながら、診察を待つという状況でした。
完全に薬を信じられなくなっていた私は、「心療内科を紹介してほしい。」と申し出ました。
S先生は、すぐに紹介状を書いてくれました。
家事のやることが無くなって、娘も寝てしまう時間が来てしまうと、
ひたすら家の中の階段を行ったり来たりして過ごし、
娘をみてくれる人が来てくれると、救われたように、外をあてもなくうろうろしに行きました。
そのうち、ピアノを弾くと、落ち着いてくることが分かるようになりました。
状況が許される限り、しばらくご無沙汰していたピアノに向かうようになりました。
テンポの遅いものや、ゆったりした曲調のものは、ダメで、
音符がなるべくたくさんあって、指が忙しいものでないと、座って弾き続けられませんでした。
感情も芸術性も何もあったものではなく、ただただ機械的に、同じ曲を、何度も何度も弾きました。
それでも、弾き始めは、椅子に座り続けることを「我慢」しなくてはなりませんでしたが、
引き続けているうちに、歩きたがる身体をなんとかなだめ、多少落ち着くことができました。
ピアノが弾けて救われた、と思いました。
そのうち、夜、睡眠薬がわりのコンスタンを飲んでも、寝付けなくなるようになりました。
すぐに目が覚め、何度も寝返りを打って起き上がってしまいます。
せっかく毎日5、6時間は眠れるようになってきていたのに、
この「再び眠れなくなる」という事態が、たまらなく恐怖でした。
ついには、ピアノの前に座っても、身体が動きたがって座り続けられなくなりました。
両脚は、登山でもしたかのように筋肉痛でぱんぱんになり、もう休みたい、動きたくない、
なのに、立ち止まることさえ、身体が気持ち悪くて動かざるを得ない、
泣きたい思いで、せまい家中を動き回りました。
意を決して、「座ってテレビを観てみよう。」と、ソファに座ってテレビをつけてみました。
5分間我慢するのが必死でした。
これは、なんなのか、私は一体どうなってしまったのか。
もう、座り続けられない体質になってしまった、
こんなでは、電車もバスも乗れない、映画も観れない、美容院もいけない、
普通に座ってじっとできた頃に戻りたい・・・
ついには、食事ですら、一口含んでは、目的もなく1階から2階に上がって戻ってきて、
また、次の一口を食べては、2階まで上がっていって下りてきて・・・
というような事態になってしまいました。
もう完全に狂った、と思いました。傍目には間違いなく狂っていました。
私は、筋肉痛の足で階段を何十往復もしながら、仕事中の母に電話をかけ、
「もう限界。どうしたらいい?どうにかして。」と、泣きながら訴えました。
母は「今すぐ帰る。」と、忙しい仕事を無理に切り上げて来てくれました。
私が狂っている間、娘は、私の窮状を分かっているかのようにおとなしく、よく寝てくれていました。
私は、T病院の看護師さんのAさんに電話をかけ、
「新しい症状が出てきた、じっとしていられない、薬のせいかもしれない、薬をやめてみてよいか。」
と相談しました。
Aさんは、忙しい最中、迷惑な電話だったことと思いますが、親切に対応してくれ、
「副作用の可能性は薄いと思う、万一副作用でも、薬をやめてしまったら分からないから飲み続けるように。」
と言われました。
次の日、S先生も大変親切で、またまた診療時間外に時間を割いて、朝一番で待っていてくれました。
病院へ行く道中の車の助手席でも、私は、身体を揺すって耐え続けなければならず、
待合室の椅子に座ることもできず、うろうろしながら、診察を待つという状況でした。
完全に薬を信じられなくなっていた私は、「心療内科を紹介してほしい。」と申し出ました。
S先生は、すぐに紹介状を書いてくれました。