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第39回釜ヶ崎越冬闘争報告

2009年09月10日 | 日記

 

第39回釜ヶ崎越冬闘争報告

 

今年で39回目を迎えた越冬闘争も7日夜の医療パトロールをもって終わりました。

  

 昨秋のリーマンショック=アメリカ発の金融恐慌から世界大恐慌へと向かう中で、日本経済も不景気感を強め、史上初の長期大好況を謳歌してきたトヨタやキャノンなど巨大輸出製造業各社は、大量の派遣社員、期間工の契約解除、雇い止めが吹き荒れる中で行なわれました。
 政府が発表した大手企業を対象とした調査だけでも8万5000人の契約打ち切り、雇い止めという事態は氷山の一角だろうと誰もが予想できることであり、いったいどうなってしまうのか、日本中の人々が不安を感じる中での越冬でした。


医療センター前ふとん敷き
いたずらや路上強盗から身を守る集団寝床

 今年の特徴は、名古屋圏、首都圏で契約解除、雇い止めになり、野宿をせざるを得なくなった期間工、派遣労働者のことをマスコミが大々的に取り上げ、連日ニュースに流れる中で行なわれました。大阪でも反響は大きく、マスコミの取材が多数あり、失業した製造業の労働者の動向を探っていました。同時に報道を見たり、聞いたりした方々から、ボランティアの申し出や物資のカンパが例年より多く寄せられました。

 

三角公園の炊き出し

 我々、実行委員会も製造業からの新しい野宿者が増えるかも知れないと予想し、年末、大阪駅周辺の夜間パトロールを2回実施しましたが、未だ路上への影響はほとんど無いようでした。期間中の釜ヶ崎においては、若い野宿者の顔もチラホラ見受けられ、実際の相談活動では、中高年の釜ヶ崎を知らない新しい野宿者が増えたようです。


 もう一つの特徴は、例年減少傾向にあった大阪市の南港無料臨時宿泊所の利用人数が10%ほど増加に転じたことです。
この秋から、大不況の先取りかのように労働センター寄り場の求人車の数が減り、全く求人の声がかからない状態(顔見知りの人だけ求人する『顔付け』手配)になっていたからだと考えられます。
 事実、西成労働福祉センターの調査では、仕事が少なかった前年と比べても、9月以降毎月20~30%減となっています。また、キロ170円ほどだったアルミ缶の値段も9月以降2ヶ月間で一気に60円まで値下がりしたこともその一因と考えられます。


 こうした新たな大失業時代を迎えつつあるとき、越年対策の転換を迫られている大阪市が、財政難を優先させ、昨年から進め始めた「あいりん越年対策」の「高齢者対策」化路線に固執したことです。具体的には40歳未満の切り捨てと開所期間の短縮をおこないました。

 越年期の問題は年齢には関係ありません。稼働能力があっても仕事がなければ稼働できないからです。同時にムリをしてでも年越し資金を稼ごうと、業者を選ばなかったりすると、行政の目の届かない寄せ場では、悪徳業者に引っかかり、脅され、デタラメな賃金計算を突きつけられたり、支払ってもらえなかったりと年末に放り出されることが昔から後を絶たないからです。これは年齢に関係なく、寄せ場経験の浅い労働者によく見受けられます。
 財政問題も含めて「越年対策」を転換するのであれば安易な切り縮めや足切りではなく、根本的な問題を見つめつつ、費用対効果で考えて貰わなければなりません。
 期間を短縮し、仕事の出具合と関係なく、行政窓口が閉まっている間だけというのなら、行政窓口が開くと共に、野宿しなくていいような施策に乗せるべきです。


夜の炊き出し
やっぱり大勢います。

今年の炊き出しの配食数は、昨年並みに終わリました。これは一度作った物がなくなるまで何度でもおかわりして貰う、というスタイルが配食数に変化をもたらさなかったのだと思います。


医療パトロール報告

 医療パトロールでは地域内で野宿をする仲間が増えていることが判りました。そして1月2日の日に、私たちが医療パトのとき手渡した毛糸の帽子と毛布をもって、野宿の仲間が亡くなっていたことは越冬実全体にとって大きなショックでした。


 地域外で野宿する仲間のところへは人民パトロール(昔からの呼び方の名残)で、釜ヶ崎に来れば炊き出しやふとんがあるよと宣伝し、激励します。梅田やなんば、天王寺への人パトでは参加者が例年より多かったことに加え、若者の襲撃で殺された藤本さん(道頓堀)、小林さん(天王寺)の現場追悼式のときも関心が強く、熱心にビラや立て看板を読んでくれました。


藤本さん追悼式
野宿者襲撃、虐殺は許さないぞ!

 例年、教会関係の方たちを主に多大な物資、資金の協力をして頂き越冬闘争をやっていますが、今年は泉大津市の地域産業が全国シェア98%の毛布の製造ということで、泉大津市長の呼びかけで同地の工業界、連合町会、市民の皆様方のご協力を得て5000枚を超える大量の毛布を手に入れることが出来ました。例年の毛布不足を解消できたと共に各地の支援団体に配布することが出来そうです。


 39回目の越冬闘争は1月5日に大阪府、大阪市への要請行動を行ない、7日の医療パト、8日の炊き出しをもって終わりました。来年はほんとうの失業の嵐が吹き荒れる越冬になりそうです。


 今回の実行委員会のスタートした頃に「39回も回を重ね、そろそろ『越冬闘争』から闘争をとってもいいんじゃないか」というような議論をみんなでしました。しかし「仲間うちから一人の餓死・凍死者も出さない」と続けられてきた越冬は、目の前で仲間が息絶えてしまうと「まさに闘いなんだなぁ」と再認識させられます。

 今回の越冬闘争は短い期間ではありましたが、久しぶりに社会から隔離され、押し込められた釜ヶ崎の中でもがくだけでなく、社会とのつながりの中で生き、闘っていけるという希望の見える越冬でした。
 と同時に、今注目を集めている野宿をせざるを得ない失業者は、派遣事業法の「原則自由化」(99年)、花形産業の輸出「製造業の解禁」(04年)によって新しく登場した「景気の調節弁」であり、彼らに救済の手がある程度伸びても、バブルの崩壊以降、長期にわたって失業・野宿状態におかれてきた、使い古され、スクラップとされた「古い調節弁」¬=建設日雇(最終的な職場として)は取り残されてしまうのではないかという不安も感じました。


 かつては不況期の安全弁として建設業がその受け入れ先となってきました。産業構造の転換によって大量に失業した炭坑労働者や政府の農業政策によって過剰となった農村からの出稼ぎ者、離職者、他産業からトコロテン式に押し出され、最下層へこぼれてきた労働者をここ釜ヶ崎のような“寄せ場”や飯場が受け入れ、調節弁としての機能を果たしてきたのです。

 この調整弁は、ひたすら右肩上がりに成長を続けてきた日本経済が欧米と肩を並べ、高度成長経済が止まると、その機能を失い、バブル経済の破綻以降、建設業がその力を失うと共に、全国的に失業者が野宿者として溢れる事態となりました。


 この10年ほどの間に、大手資本は、「構造改革」で派遣事業法を作り、労働法をちょっとだけいじり、「新しい時代の新しい働き方」とスマートなイメージだけのCMを垂れ流すだけで、雇用保険も、健康保険も、厚生年金も、あらゆる社会保障も負担もしないでいい、継続して働く権利も、職場で使用者と交渉する権利も無い、かつて労働者が持っていたあらゆる権利をも持たない、正規雇用の半分の賃金で働き、いつでも好きなときにクビを切れる大量の労働者=「新しい景気の安全弁」を手に入れたのです。

 そして、恐慌の声を聞くと同時に、経団連会長の出身企業のように、3兆3000億の内部留保を抱え、5800億の営業利益を見込み、750億の株主配当をする力を持ちながら、赤字でもなんでもないのに無情にも大量の労働者のクビを切り、失業させ、野宿へと追い込むのです。


 かつて大企業は、終身雇用制を軸にして会社に忠誠を誓う「日本型経営」で、一定程度労働者を庇護し、下請け構造の中で景気調整を行なってきました。下へ行くほど条件は悪くなり、最末端の寄せ場があったのです。上から押し込まれ寄せ場からこぼれ落ちた者が野宿生活へと追いやられてきました。
 それが「構造改革」以降、「景気の調節」を自ら自由に行えるように、企業の社会的責任を放棄し、一定の利益を派遣会社に与えるのと引き替えに、雇用責任を押しつけ、一足飛びに「調節弁」を内に抱え込んだのです。この大量解雇で企業はかなりのリスクを回避できるでしょう。無傷でいられるかも知れません。


 しかし、これだけ大規模になると誰の目にも問題が明らかとなり、野宿問題の一つの本質が見えてきます。ここに私たちは野宿問題の解決の一つの糸口を見つけることが出来ます。野宿問題が、単に「同情されるべき」、あるいはお金を与えて(生活保護)屋根の下に寝床を作ればすむ問題ではなく働く者すべてに共通の問題であることが。保護は、もちろん、取り敢えず緊急対策として重要なことですが…。


 まだまだ野宿問題には、課題があります。病院、製薬会社、福祉施設だけが儲け、当該は野宿で身体がボロボロになってから、病院-施設-野宿の生活をたらい回しという現行の保護・支援のあり方では、税金がかかって仕方がありません。また、営利目的の仕事とは違う、高齢になっても、身体が多少言うことをきかなくなっても、社会に貢献しながら、食べていけるような仕組みを作っていくことも、必要となるでしょう。


 「安心して働き、生活できる釜ヶ崎を」目指して、いろいろ考えながら、目の前にある現実に一つ一つ向き合い、来年も越冬闘争をやっていきたいと思います。

                第39回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会


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