大抵は高校くらいで理系か文系かが分けられることが多いようですが、そういう意味では私は完璧に文系の人間です。
少し前に『理系の人々』という本が流行ったのを受けて、先日その本の話を文系の人間ばかりで話をしているのを横で聞いていたのですが、それが何ともねえ。
というわけで以下は実話です。文系人間も結構面倒です。(史→史学系、法→法律系、社→社会学系、哲→哲学系)
史:そもそも理系ってどういう定義よ?
法:そこは消極的理系か積極的理系かによるよ。つまり文系以外が理系といことか、理系に含まれる学問を特定するかって意味で。
史:「文系以外が理系」ということになると結局は文系を積極的に定義することになるでしょう。この場合は理系と文系は対立概念なわけだから、どちらもが積極的定義でしかるべきじゃないかな。
社:ちょっと、だとしたら全てを理系と文系に分類することになるけど、現実問題としてかなりの部分が主観的になるから、簡単に同意できるような分類は不可能でしょう。それなら、理系、文系、それ以外で便宜上分けて考えるべき。
法:じゃあ文系理系どちらも積極的定義ということにして、ここはみんな文系でOK?
史:社会学なんかは分野に分かれると思うけど、便宜上今はOKということにしようか。逆に理系で考えると医学、科学、物理学、数学は鉄板でいいよね?
哲:ちょっとまった。数学も分野によっては哲学と不可分ではありえない。少なくとも西洋哲学においてはかなりの部分で哲学者=数学者と考えられるもん。
史:確かに西洋哲学としてはそういう一面はあるけど、東洋哲学、インド哲学とか哲学全体から考えると数学と哲学を密接不可分と完全に定義するのは無理があるんじゃないかな。
哲:しかし現状の数学はイスラムからヨーロッパへの流れの中で発展してきたことは否定できない。それにそれなら論理学との整合性はどうする?
法:そういう専門的視点じゃなくてもっと一般的に考えた方が良いんじゃないかな。
社:それに、だいたい理系、文系という考え方は社会的便宜に過ぎないよ。
史:でも、共通認識が確立しないと議論にならんじゃない
という全く実の無い論議が延々と続いたんですが、結論としては
文系のヤツラ―――タイトルにすら同意できない
基本的に学問を追及する人たちはみんなマニアックすぎてどうかと思うわけです。
少し前に『理系の人々』という本が流行ったのを受けて、先日その本の話を文系の人間ばかりで話をしているのを横で聞いていたのですが、それが何ともねえ。
というわけで以下は実話です。文系人間も結構面倒です。(史→史学系、法→法律系、社→社会学系、哲→哲学系)
史:そもそも理系ってどういう定義よ?
法:そこは消極的理系か積極的理系かによるよ。つまり文系以外が理系といことか、理系に含まれる学問を特定するかって意味で。
史:「文系以外が理系」ということになると結局は文系を積極的に定義することになるでしょう。この場合は理系と文系は対立概念なわけだから、どちらもが積極的定義でしかるべきじゃないかな。
社:ちょっと、だとしたら全てを理系と文系に分類することになるけど、現実問題としてかなりの部分が主観的になるから、簡単に同意できるような分類は不可能でしょう。それなら、理系、文系、それ以外で便宜上分けて考えるべき。
法:じゃあ文系理系どちらも積極的定義ということにして、ここはみんな文系でOK?
史:社会学なんかは分野に分かれると思うけど、便宜上今はOKということにしようか。逆に理系で考えると医学、科学、物理学、数学は鉄板でいいよね?
哲:ちょっとまった。数学も分野によっては哲学と不可分ではありえない。少なくとも西洋哲学においてはかなりの部分で哲学者=数学者と考えられるもん。
史:確かに西洋哲学としてはそういう一面はあるけど、東洋哲学、インド哲学とか哲学全体から考えると数学と哲学を密接不可分と完全に定義するのは無理があるんじゃないかな。
哲:しかし現状の数学はイスラムからヨーロッパへの流れの中で発展してきたことは否定できない。それにそれなら論理学との整合性はどうする?
法:そういう専門的視点じゃなくてもっと一般的に考えた方が良いんじゃないかな。
社:それに、だいたい理系、文系という考え方は社会的便宜に過ぎないよ。
史:でも、共通認識が確立しないと議論にならんじゃない
という全く実の無い論議が延々と続いたんですが、結論としては
文系のヤツラ―――タイトルにすら同意できない
基本的に学問を追及する人たちはみんなマニアックすぎてどうかと思うわけです。
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