2015.8.15(土)
今年もこの日が。
終戦から70年。気の遠くなるような月日だ。
50年、60年、70年・・・とずっとつながって取り上げられるのは、そのあいだに日本が加担した「戦争」がなかったから。
70年と言ったら、1人の人間が生まれてさまざまな時代をくぐり抜けて、そろそろ来し方を振り返る年齢に近い。そう思うと、若い人に語るこの国の戦争が70年も前のものだというのは、すごいことなんだろう。
新聞で、村山談話の全文を読む。
国を代表して、というより村山さんの個人の心情さえ垣間見られるような率直な言葉の集合。20年前にこの談話があって、この国は少し腹を据えて戦後を進むことができたのかもしれない。
その三倍はあるという今回の談話。村山談話に比べて、一度読んだだけでは私にはその真意がはかりかねる。こっちの理解力の問題か?
8月15日の天皇の玉音放送の現代語訳を初めて読んだ(今まで、「きいていても内容はわからなかった、ただ戦争が終わったんだな、ということだけ、周囲の大人の表情で理解した」程度の感想しか目にしたことがなかったから)。
この戦争を終える意味や必然性への理解を、これまで苦労を強いてきた国民に求め、謝罪している言葉が連なっていた。
何ごとも、勢いで突っ走れる「始まり」より、時期や状況を鑑みて「どこで終わらせる?」ということのほうが難しいことを、それなりに長く生きている人間はその経験でわかっているものだ。それはあくまで、仕事とか、家庭とか、人間関係とか、ごくごく身近なことにつきるはずなんだけれど、それだけではないことを改めて恐ろしく思う。戦争がその最たるものかもしれない、という事実だ。
■母の誕生日なのだ■
毎年、ここで書いているけれど、終戦の日は実は母の誕生日。
猛暑の日々をへて、今年も適度にエアコンを使用しつつ、自然の風やら、庭の花々、韓国ドラマ、ご近所の奥さん・・・に支えられて、無事に1つ年を重ねた母。
理屈っぽい、難しい娘もそれなりに大人になり確執を(いまさら・・・で恥ずかしいのだが)、心の内をうまく隠して、娘らしい気遣いもできるようになった。
相方の両親も驚くほどの見事な年の取り方。
この三人を見送らなければ、こっちがくたばるわけにはいかない・・・などと今夜も思う。
反面教師などと生意気な物言いで母を語ったりするが、そういうところも自分の中ではごまかさずに、精神的にはうまく距離を保ちつつ・・・ということだ。昔のワタシが「ズルイね」と言っている気もするけれど、それはしかたないか。
■憧れられちゃった?■
「王様のブランチ」を見た友人からメール。
「草野君憧れの福山雅治が言ってたよ。自分の声はキライで、できればスピッツの草野さんみたいな高い声になりたいと思ってたこともあるらしい」
そいえばMCとかで、イイ男の代名詞のように福山さんの名前をだしていたっけ。
「SONGS」お収録のときには「龍馬伝」の紛争(じゃなくて「扮装」)のまま現れて挨拶してくれたとか、スピッツの曲をカバーしたときには自筆の礼状が届いたとか(あれ、これは福山さんじゃなかった?)。
■いつまでも現役で■
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00010017-fullcount-base
すでに今日の段階で、タイカップの記録を越えたようですが・・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150816-00010005-fullcount-base
先日のアンケートで、引退後の彼に何を望むか、を問うていて、「プロ野球の監督」とか「全日本の監督」とかいろいろあったけれど、なんだかどれもピンとこない。
もう、できるだけ長く現役でいてほしい・・・これだけかなぁ。
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