隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

『Taking Sides ~ それぞれの旋律』 どちらの側につくの?

2019年05月31日 20時00分13秒 | ライブリポート(演劇など)

2019.05.28
Taking Sides ~ それぞれの旋律
 at 本多劇場


     ロナルド・ハーウッド
     小田島恒志 小田島則子
 演出鵜山 仁

 CAST
 加藤健一(スティーヴ・アーノルド少佐)/今井朋彦(文学座)(ヘルムート・ローデ) 

 加藤 忍(エンミ・シュトラウベ)              /小暮智美(青年座)(タマーラ・ザックス) 
 西山聖了(デイヴィッド・ウィルズ中尉)/
 
小林勝也(文学座)(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー) 



 下北沢の駅前が、訪れるたびに様変わりで、改札を出たときに「ここはどのあたり?」と見知らぬ街に降り立ったような気になる。
 久しぶりのカトケンさんの芝居だ!

 ロナルド・ハーウッドの作品は、6年前に『ドレッサー』を三谷幸喜演出で観たんだっけ。橋爪功+大泉洋の魅力的な舞台に感動した記憶が蘇る(ココにあった!)


 ナチス政権下、多くの音楽家や科学者が国外に亡命したなかで、ユダヤ人の音楽家たちを庇護しつつもドイツに残り、ナチス政権の協力者だったのでは、という嫌疑をかけられた、世界的な指揮者フルトヴェングラー。彼は戦後、連合軍側のアメリカ人のアーノルド少佐の冷徹な尋問を受ける。
 芝居は、この二人の論争を主軸に、アーノルド少佐の下で働く、フルトヴェングラーを敬愛する若きドイツ人たちの動揺とユダヤ人のローデの駆け引きが絡み合って、交わることのない信念と信念が交差したりはじき合ったりして、進んでいく。
 軽い言葉で煽ったり、相手の弱いところを巧みに攻めたり・・・。アーノルド少佐の真意はどこにあるのだろうと追い求めた私の前で、次第に彼の中の怒りや苦悩も明らかになっていく。

 戦争の当事国にとって、勝敗がどうだったか、は大きな問題で、それは取り調べをするアーノルド少佐の態度にも、なぜ私がここに?という思いが見え隠れする「偉大な」指揮者フルトヴェングラーの戸惑いにも明らかだ。

ナチスドイツによるホロコーストの事実はさまざまなノンフィクションの映像や記事などで明白にされてきたので、真実への追及の手を緩めずにここまでやってきたドイツ政府の姿勢は十分に伝わる。
ただ、この舞台で繰り広げられるのは、それより少し前の、戦後間もない頃の連合国による審判の模様だ。だから、そこは少し異なる気がする。

 舞台でのフルトヴェングラーには、ナチスが政権をとった1933年の時点でも、またナチスへの協力を疑われて、まさに審判を受けている1945年の段階においても、自分の行為がもたらすであろうこと、あるいはもたらしたことへの認識の曖昧さが際立って見えた。
 なぜこんな場で私は追及されているのだ?という戸惑いが、私には強く感じられた。芸術家としても誇りとか威厳や、自身の信念とか、そういうものより、「なぜ?」という戸惑いだ。それは、意図された演出なのか、原作の主題なのか、あるいは私の読みの浅さなのか、今でもわからない。
 ただ、一般人ではなく、むしろそうした多くの人々への影響力を鑑みたとき、彼の「私はただ行く末を見たかっただけなのだ」という苦悩の言葉も、またヒトラーや彼の部下たちの画策に「はめられたんだ」という弁明も、そのまま受け止めて寄り添えるかというと、そんな単純なものでもないような気がする。

 けれど、こういうことを言うとそれまでのような気がするが、すべては結果論、と思えてしまうところが戦争の恐ろしいところだというのもわかる。
 彼はいったいどうすればよかったのだろうか、ということを考え始めると、もうきりがない。
 私の思考はそこで止まってしまって、舞台を見てからもう数日たつけれど、そこから先に進めないでいる。
 タイトルの「Taking Sides」は、直訳すると「一方の肩をもつ/一方の側につく」という意味だそうだ。そうなると、私は結局、まんまとこの芝居の狙いにはまってしまったということなのか。アーノルド少佐とフルトヴェングラーのやりとりを目の当たりにしつつも、結局どちらの側につくこともできずに、ああだこうだと考えを巡らせているのだから。

 偉大な音楽家フルトヴェングラーは、本当に、音楽の、芸術の普遍性を信じていたのだろうか。そこまでわからなくなるなんて、彼の多くの信奉者から呆れられるか?

 芸術やスポーツが政治に利用された例は枚挙にいとまがないのだとすれば、この芝居の「Taking Sides」という問いかけは、今の時代にも通じるのだろう。
 あ、でも、こんなところでこの芝居の感想を締めくくいっていいんだろうか・・・。ちょっと不安。

 モノラルのレコードが奏でる雰囲気はそれだけで知らない時代へと私たちをいざなう。私にそれぞれの曲への深い造詣があれば、その音楽たちからのメッセージをもっと味わえただろう。
 舞台上には、星条旗が掲げられ、舞台の手前には大きな石や楽器が無造作に置かれている。そこに、戦争の爪痕、敗れた国の事情、混乱のようすなどが象徴的に描かれているのかもしれない。




                             

 


 「ロックのほそ道」の参加アーティストが発表された。
 https://spitz-web.com/summer/2019/
 
 8.31  スピッツ/秦 基博/フラワーカンパニーズ/My Hair is Bad
 ● 9.01  クリープハイプ/スピッツ/sumika/UNISON SQUARE GARDEN

 さっそく、sumikaの片岡健太くんが・・・。
 https://twitter.com/sumikaken/status/1134370202735353856?s=11




 
そして、われらがスピッツの田村明浩さん。
 今年一年、あなたの雄姿をステージで
見られることを信じて、こころから、

 「52歳、おめでとう!」
 
スピッツのリーダー兼ベーシストでいてくれて、ありがとう。


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