シリーズ第一弾『砂と霧の家』、第二弾『黄昏』に続いて、第三弾は『博士の愛した数式』です(やっと日本映画)。
この映画は、原作がおもしろくて、評判が高すぎて、宣伝もすごすぎて、賞レースでも本命で、配役は好きな役者ばかりで…、ってことで、ずっと敬遠していました(笑)。なんか、すべてそろいすぎていると、ヘソ曲げちゃう人なのです、いつも。
それで、そろそろ観たいなあ、などと思い始めていたのですが、レンタルショップではいつも「レンタル中」の冷たい表示。この前ようやく1本だけ発見したというわけです。
一言で、おもしろい映画でした。こうなると、あまり書くことがありません。だって、この映画はホントにおおぜいの人の心をつかんじゃったらしいし、たぶん同じような視点で私もおもしろかったんだと思うんですよね。だから、レビューとしては、絶対につなんないものしか書けないと思う、絶対に(力説してどうする!)
①原作がいい!
第一に、原作の質の良さ。記憶が80分しかもたないなんて、そんな奇想天外な主人公の物語なのに、そういうものをまったく感じさせないストーリー。記憶がもたないことがヘンに意味をもちすぎていないところがすごさなのだ。たぶん、それは博士を構成するさまざまなものの一部分でしかない。こういうすごさをすでに原作で味わってしまっているから、映画を観ても驚かない(笑)。
②登場人物がみんなステキ! で、役者もいい!
寺尾聡の博士は、どこまでも純粋に数字を愛し、でも偏屈じゃなく、底抜けな優しさと温かさを、おしつけがましくなく私たちに見せてくれる。
深津絵里の家政婦+母親は、なんでも受け入れる大きさをもっていて、抵抗することなく、水の流れに揺られて生きているようで、でもみえないところにたぶん信念がある。きっと若くして未婚の母になり、長年家政婦をしてきて、その中で培ってきた処世術なのだろう。
そして、成長して数学の教師になった息子・ルート。吉岡秀隆は、教室の場面で、数字のもつ不思議を生徒たちに語りながら、博士との思い出をたどる。その授業がなんとも魅力的で、こんな授業を受けたら、私だって数学が好きになってたかも?と思わせてくれる(受験には役だたなかっただろうけど)。この部分は、原作よりわかりやすかったですね。映像の妙味?
③義姉の悲しさが迫ってきます
ただ、原作と大きくちがっていたかな、と思うのは、博士の義理の姉の扱い方。浅丘るり子演ずる義姉と博士の関係はもっと軽く描かれていたような記憶なんだけど。
映画では、この義姉がとても印象的だ。事故のために、愛する義弟は、その直前までの彼女の若さ、美しさを記憶に残したまま、という悲しさ。でも、二人にとっては道ならぬ(死語かも)恋ゆえに、障害を負った愛する人がこんな近くにいながらも、彼女は何もすることができない。
その思いを抱いたまま生きている義姉は、たぶん昔はこんなじゃなかったんだろうけど、頑なな心をもち、笑うことも忘れた初老の女性になってしまっている。その悲しさが、この映画ではとても大事に表現されていたように思う。
原作の終わりあたりでもそうだったけれど、救いは映画のラストシーン。砂浜でキャッチボールをする博士(二人から贈られた、江夏の背番号のジャンパーを着ている)と成長したルートを、少し離れたところから見守る母親と、そして義姉。
愛 する人と思い出を共有できない悲しさは残るけれど、きっとそれでも違う幸せをみつけるしかなかったのだろう。
観終わったあと、急に原作をもう一度読みたくなって探しているんだけど、見当たらない。誰かに貸しちゃったみたいだ。
こうなると、読みたい気持ちがやけに募ってきて、困っております。
誰だ、借りたまま返してくれないのは!!
と、こんなわけで、もしまだ気持ちに余裕があったら(笑)、『綴り字のシーズン』もどうぞ。
この映画は、原作がおもしろくて、評判が高すぎて、宣伝もすごすぎて、賞レースでも本命で、配役は好きな役者ばかりで…、ってことで、ずっと敬遠していました(笑)。なんか、すべてそろいすぎていると、ヘソ曲げちゃう人なのです、いつも。
それで、そろそろ観たいなあ、などと思い始めていたのですが、レンタルショップではいつも「レンタル中」の冷たい表示。この前ようやく1本だけ発見したというわけです。
一言で、おもしろい映画でした。こうなると、あまり書くことがありません。だって、この映画はホントにおおぜいの人の心をつかんじゃったらしいし、たぶん同じような視点で私もおもしろかったんだと思うんですよね。だから、レビューとしては、絶対につなんないものしか書けないと思う、絶対に(力説してどうする!)
①原作がいい!
第一に、原作の質の良さ。記憶が80分しかもたないなんて、そんな奇想天外な主人公の物語なのに、そういうものをまったく感じさせないストーリー。記憶がもたないことがヘンに意味をもちすぎていないところがすごさなのだ。たぶん、それは博士を構成するさまざまなものの一部分でしかない。こういうすごさをすでに原作で味わってしまっているから、映画を観ても驚かない(笑)。
②登場人物がみんなステキ! で、役者もいい!
寺尾聡の博士は、どこまでも純粋に数字を愛し、でも偏屈じゃなく、底抜けな優しさと温かさを、おしつけがましくなく私たちに見せてくれる。
深津絵里の家政婦+母親は、なんでも受け入れる大きさをもっていて、抵抗することなく、水の流れに揺られて生きているようで、でもみえないところにたぶん信念がある。きっと若くして未婚の母になり、長年家政婦をしてきて、その中で培ってきた処世術なのだろう。
そして、成長して数学の教師になった息子・ルート。吉岡秀隆は、教室の場面で、数字のもつ不思議を生徒たちに語りながら、博士との思い出をたどる。その授業がなんとも魅力的で、こんな授業を受けたら、私だって数学が好きになってたかも?と思わせてくれる(受験には役だたなかっただろうけど)。この部分は、原作よりわかりやすかったですね。映像の妙味?
③義姉の悲しさが迫ってきます
ただ、原作と大きくちがっていたかな、と思うのは、博士の義理の姉の扱い方。浅丘るり子演ずる義姉と博士の関係はもっと軽く描かれていたような記憶なんだけど。
映画では、この義姉がとても印象的だ。事故のために、愛する義弟は、その直前までの彼女の若さ、美しさを記憶に残したまま、という悲しさ。でも、二人にとっては道ならぬ(死語かも)恋ゆえに、障害を負った愛する人がこんな近くにいながらも、彼女は何もすることができない。
その思いを抱いたまま生きている義姉は、たぶん昔はこんなじゃなかったんだろうけど、頑なな心をもち、笑うことも忘れた初老の女性になってしまっている。その悲しさが、この映画ではとても大事に表現されていたように思う。
原作の終わりあたりでもそうだったけれど、救いは映画のラストシーン。砂浜でキャッチボールをする博士(二人から贈られた、江夏の背番号のジャンパーを着ている)と成長したルートを、少し離れたところから見守る母親と、そして義姉。
愛 する人と思い出を共有できない悲しさは残るけれど、きっとそれでも違う幸せをみつけるしかなかったのだろう。
観終わったあと、急に原作をもう一度読みたくなって探しているんだけど、見当たらない。誰かに貸しちゃったみたいだ。
こうなると、読みたい気持ちがやけに募ってきて、困っております。
誰だ、借りたまま返してくれないのは!!
と、こんなわけで、もしまだ気持ちに余裕があったら(笑)、『綴り字のシーズン』もどうぞ。