隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

生きていれば、名もない「77歳の女性」だったかも~『朝日新聞』「天声人語」より

2007年02月25日 19時22分53秒 | プチエッセイ
●最近つまんねーぞ、「天声人語」だったけど
 10代の頃、そう新聞を読む習慣がつき始めた頃、『朝日新聞』の「天声人語」がすごく好きだった。あんな短い文章なのに、心が震えることがあったし。もちろん最初は意味不明な内容ばかりだったんだけど。
 それがいつの頃からか、感動しなくなって。なんとなく奇をてらったり、作り事めいていたり、ただ批判ばかりで説得力がなかったり…などと生意気に思うようになって。つる~っと読み流してしまうことが多くなっていたな、いつもではないけど。
 それって、「天声人語」の質が落ちてきたのか、私の好みがうるさくなってきたのか、それとも私の心が単に硬くなっていろいろなものを受け入れることに鈍くなってしまったからなのか…。
 そこへひさびさの心地よい朝がやってきました。今朝の「天声人語」は大感動ではないけれど、どこかストンと素直に心に落ちてきたのです。

●名もない人生を生きていくこと
 導入は、アンネ・フランクの父親がアメリカへの移住ビザの仲介を頼んだ手紙が発見されたという話題。
 一方、当時リトアニアの領事代理だった杉原千畝の発行したビザで日本経由でアメリカに逃れ、今は孫5人のいる穏やかな生活をしているという、ユダヤ人の女性もいるという。
 アンネの父親の手紙を公開したときに、説明役の歴史学者はこう言ったそうだ、「(もしビザが出ていれば)アンネはいま、ボストンに住む77歳の女性であったかもしれない」。
 「アンネ・フランク」といえば、いまでは知らない人がいないと言っても言いすぎじゃない。でも過酷な運命から逃れられていたなら、無名のただの「77歳の女性」として、いまどこかで生きていたかもしれないということだ。
 「名もない人生を築けることの幸せを思う」という結びのことばが胸に残った。

●ただの歴史じゃない?
  それにしても、アンネは生きていたらまだ77歳だったということに驚いた。15歳でなくなった少女が77歳、と思えば長い年月を感じるが、いまこのときに生きていた可能性があったのだと思うと、あの第二次世界大戦は単なる「歴史の出来事」ではなく、いまの私たちに確実につながる悲劇だったのだなあ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« かわいくて、ちょっとあった... | トップ | 古いトレイン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。