『At Home At The Zoo』
(第1幕 ホームライフ/第2幕 動物園物語)
2010年7月6日 at シアタートラム
原作 エドワード・オルビー
演出 千葉哲也
出演 堤真一/小泉今日子/大森南朋
大好きな劇場「シアタートラム」での「AT HOME AT THE ZOO」。
なんといっても、まず役者が魅力的。
HPを読んでいただければわかるけれど、もともとは今回の第2幕のみの一幕物の芝居で、1958年のオルビーのデビュー作。
衝撃のデビュー作と言われているが、その後半世紀もたってから、第1幕を加えたという作品。
もとの「動物園物語」は芝居では観たことはなく、たまたま早川書房のコレを読んで、「なんで私はこれを観ていないんだろう」と胸に突き刺さるものを感じたのが去年。
そこへ、この配役による上演が決まったというので、本当に待ちに待った・・・という夜だったのです。
●夫と妻
第一幕「ホームライフ」は、実直な編集者のピーター(堤真一)、その妻のアン(小泉今日子)のスリリングな会話劇。
「いい人」なピーターはいい人ではあるけれど、どこか鈍感な部分が見え隠れ。日常の軋み音が聞こえなければすべてはOKとどこかで安住して生きているタイプか。自分も含めて、そういう人はいくらでもいる。そうやって生きていられたほうが楽だ。
そういう夫との、経済的にも家庭的にも安定した暮らしを壊す気なんかまったくない普通の平凡な妻アンにしのびよる、自分でもワケのわからないいらだち、焦り。
そんな妻の心のよじれが、なんてことない休日の昼下がりにムクムクと頭をもたげる。
ひと言、ふた言、夫の反応を見つつしゃべり始めると、不可抗力みたいな力が現れて、どうにも止まらなくなる。
幸せだってわかっていても、ほんとうにこれを望んでいた? こんなもんだった? 夫もびっくりのsexの不満があとかたあとから出てくるけど、それだからよけいに、彼女の中の、なんだろう「寂しさ」かな、やっぱり中年の域に入ったゆえの「焦燥感」かな・・・、そういうものが浮き彫りになってくる。
夫は焦って、「俺だって昔は・・・」と、妻に煽られるように昔のハチャメチャを身振り手振り、臨場感?たっぷりにわめき始めるけど、そうすればそうするほど、妻の表情は冷めてくる、あきれているかのような表情に、見ているほうも悲しくなる。
わかってないな、という妻のあきらめ。でも傷つけてしまった夫への気遣い。
本を携えて「いつもの公園」にでかける夫に、「愛しているわ」、そう優しく告げる。
何も解決はしないし、元来、解決策なんてないんだ。明日からも同じ時間が、この夫婦の間には流れ、いつしか妻ももう何も言わなくなるだろう。だって、幸せではあるのだから。幸せってなに?と問われると困るけど。
皮肉っぽく、思わせぶりに話していた妻の言動がどんどんエスカレートしていき、それにつられるかのように、穏やかな夫にもかすかな(あくまで、かすかなんだけど)狂気に似た空気が宿っていく・・・。
それは決して、安定という一線は越えないのだけれど、その少しずつのエスカレートを二人の役者が言葉と身体で表現する。それに引き込まれた。
小泉今日子のかわいらしさと狡さのバランスが見事。その動の演技を堤真一の大きさが受け止めている、という感じ。
この一幕でも十分に独立した感慨を味わわせてくれる。
●見知らぬ男と男
この第二幕がもともと「動物園物語」という一幕物の芝居だった。
公園で読書をするピーターに、
「動物園に行ってきたんだ」と突然話しかける男ジェリー(大森南朋)。
ピーターの戸惑いに気づくふうでもなく、自分の日常やいらだちや動物園での動物と人間に象徴される諸々を、あらゆる言葉を駆使して、畳み掛けるように話す。
聞くともなく聞いているうちに、ピーターも少しずつその危険にエスカレートする話の渦に取り込まれていく。
機関銃のようなセリフの連続にも、ジェリーの苦い思いや隠された日常を彷彿とさせる大森の演技には脱帽。
身のこなし、小さな動きにも生命が通う。
ただ、これは私の勝手な思い込みなのだけれど、この「動物園物語」の衝撃のラストを際立たせるには、最初はほぼノーマルな男が自分の発する言葉に自身が刺激されるように過激にエスカレートしていく怖さが重要だと思うのだ。
そう思うと、ジェリーは最初から、乱暴な物言いの中にいかにも危うい壊れそうなものを秘めていることがこちらには明らかすぎて、だからエスカレートする彼にこっちがどんどん引き込まれていく異常さがちょっと希薄だったかな、と。
それはジェリーに刺激されて狂気の世界へといざなわれるピーターにしても同様で、最後にベンチの所有を争うところまで自分を失っていくまでの軌跡が「だんだんに」ではなく「急に、急激に」というところで、ちょっとこっちは取り残された感があるのだ。
うまく言えないけれど。
それはたぶん役者のせいではなく、そういう演出だったということなのだと思う。
最後に。
第二幕で、見知らぬ男の言葉に踊らされ、その男の運命を握る「不運な行為」にまで至ってしまうピーターの、穏やかで常識家のはずのピーターの変貌に、新しく加えられた第一幕が説得力を与えていると思う。
さて、一人で観に行くことをオススメします。
穏やかな毎日を過ごしているけれど、じゃ、パートナーはどーなんだろう、なんて、そんな微妙な時期にあるご夫婦は、一緒に観ないほうがいい。
ごまかしきれていると思っているほころびや、気づかなかった焦りや、気づきたくなかったパートナーの小さな、でもふか~いやりきれなさを目の当たりにしてしまうかも。
そんなのは怖くないさ、わがパートナーにそんな不満はあるわけないさ・・・、そう思える方は、ぜひぜひお二人で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0061.gif)
★話は変わりますが、レコ直の「ビギナー」、配信されましたね。
聴きたい気持ち80%、「アルバムまで待つぞ!」20%で、無駄に揺れています。
もともと、シングルを聴きすぎると、いざアルバムとして聴くときに、どうしてもシングルが浮き上がってしまうというか、かすかな違和感を感じてしまうんですよね。
そういう方、多いでしょ?
今回は「ビギナー」だけ、我慢してみるかな。
・・・って、もちろんアルバムに収録されるんでしょうね?
(第1幕 ホームライフ/第2幕 動物園物語)
2010年7月6日 at シアタートラム
原作 エドワード・オルビー
演出 千葉哲也
出演 堤真一/小泉今日子/大森南朋
大好きな劇場「シアタートラム」での「AT HOME AT THE ZOO」。
なんといっても、まず役者が魅力的。
HPを読んでいただければわかるけれど、もともとは今回の第2幕のみの一幕物の芝居で、1958年のオルビーのデビュー作。
衝撃のデビュー作と言われているが、その後半世紀もたってから、第1幕を加えたという作品。
もとの「動物園物語」は芝居では観たことはなく、たまたま早川書房のコレを読んで、「なんで私はこれを観ていないんだろう」と胸に突き刺さるものを感じたのが去年。
そこへ、この配役による上演が決まったというので、本当に待ちに待った・・・という夜だったのです。
●夫と妻
第一幕「ホームライフ」は、実直な編集者のピーター(堤真一)、その妻のアン(小泉今日子)のスリリングな会話劇。
「いい人」なピーターはいい人ではあるけれど、どこか鈍感な部分が見え隠れ。日常の軋み音が聞こえなければすべてはOKとどこかで安住して生きているタイプか。自分も含めて、そういう人はいくらでもいる。そうやって生きていられたほうが楽だ。
そういう夫との、経済的にも家庭的にも安定した暮らしを壊す気なんかまったくない普通の平凡な妻アンにしのびよる、自分でもワケのわからないいらだち、焦り。
そんな妻の心のよじれが、なんてことない休日の昼下がりにムクムクと頭をもたげる。
ひと言、ふた言、夫の反応を見つつしゃべり始めると、不可抗力みたいな力が現れて、どうにも止まらなくなる。
幸せだってわかっていても、ほんとうにこれを望んでいた? こんなもんだった? 夫もびっくりのsexの不満があとかたあとから出てくるけど、それだからよけいに、彼女の中の、なんだろう「寂しさ」かな、やっぱり中年の域に入ったゆえの「焦燥感」かな・・・、そういうものが浮き彫りになってくる。
夫は焦って、「俺だって昔は・・・」と、妻に煽られるように昔のハチャメチャを身振り手振り、臨場感?たっぷりにわめき始めるけど、そうすればそうするほど、妻の表情は冷めてくる、あきれているかのような表情に、見ているほうも悲しくなる。
わかってないな、という妻のあきらめ。でも傷つけてしまった夫への気遣い。
本を携えて「いつもの公園」にでかける夫に、「愛しているわ」、そう優しく告げる。
何も解決はしないし、元来、解決策なんてないんだ。明日からも同じ時間が、この夫婦の間には流れ、いつしか妻ももう何も言わなくなるだろう。だって、幸せではあるのだから。幸せってなに?と問われると困るけど。
皮肉っぽく、思わせぶりに話していた妻の言動がどんどんエスカレートしていき、それにつられるかのように、穏やかな夫にもかすかな(あくまで、かすかなんだけど)狂気に似た空気が宿っていく・・・。
それは決して、安定という一線は越えないのだけれど、その少しずつのエスカレートを二人の役者が言葉と身体で表現する。それに引き込まれた。
小泉今日子のかわいらしさと狡さのバランスが見事。その動の演技を堤真一の大きさが受け止めている、という感じ。
この一幕でも十分に独立した感慨を味わわせてくれる。
●見知らぬ男と男
この第二幕がもともと「動物園物語」という一幕物の芝居だった。
公園で読書をするピーターに、
「動物園に行ってきたんだ」と突然話しかける男ジェリー(大森南朋)。
ピーターの戸惑いに気づくふうでもなく、自分の日常やいらだちや動物園での動物と人間に象徴される諸々を、あらゆる言葉を駆使して、畳み掛けるように話す。
聞くともなく聞いているうちに、ピーターも少しずつその危険にエスカレートする話の渦に取り込まれていく。
機関銃のようなセリフの連続にも、ジェリーの苦い思いや隠された日常を彷彿とさせる大森の演技には脱帽。
身のこなし、小さな動きにも生命が通う。
ただ、これは私の勝手な思い込みなのだけれど、この「動物園物語」の衝撃のラストを際立たせるには、最初はほぼノーマルな男が自分の発する言葉に自身が刺激されるように過激にエスカレートしていく怖さが重要だと思うのだ。
そう思うと、ジェリーは最初から、乱暴な物言いの中にいかにも危うい壊れそうなものを秘めていることがこちらには明らかすぎて、だからエスカレートする彼にこっちがどんどん引き込まれていく異常さがちょっと希薄だったかな、と。
それはジェリーに刺激されて狂気の世界へといざなわれるピーターにしても同様で、最後にベンチの所有を争うところまで自分を失っていくまでの軌跡が「だんだんに」ではなく「急に、急激に」というところで、ちょっとこっちは取り残された感があるのだ。
うまく言えないけれど。
それはたぶん役者のせいではなく、そういう演出だったということなのだと思う。
最後に。
第二幕で、見知らぬ男の言葉に踊らされ、その男の運命を握る「不運な行為」にまで至ってしまうピーターの、穏やかで常識家のはずのピーターの変貌に、新しく加えられた第一幕が説得力を与えていると思う。
さて、一人で観に行くことをオススメします。
穏やかな毎日を過ごしているけれど、じゃ、パートナーはどーなんだろう、なんて、そんな微妙な時期にあるご夫婦は、一緒に観ないほうがいい。
ごまかしきれていると思っているほころびや、気づかなかった焦りや、気づきたくなかったパートナーの小さな、でもふか~いやりきれなさを目の当たりにしてしまうかも。
そんなのは怖くないさ、わがパートナーにそんな不満はあるわけないさ・・・、そう思える方は、ぜひぜひお二人で。
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★話は変わりますが、レコ直の「ビギナー」、配信されましたね。
聴きたい気持ち80%、「アルバムまで待つぞ!」20%で、無駄に揺れています。
もともと、シングルを聴きすぎると、いざアルバムとして聴くときに、どうしてもシングルが浮き上がってしまうというか、かすかな違和感を感じてしまうんですよね。
そういう方、多いでしょ?
今回は「ビギナー」だけ、我慢してみるかな。
・・・って、もちろんアルバムに収録されるんでしょうね?