先週の小学生授業の風景。
小学生は完全にマンツーマン指導。
この小学生たちも、いずれは必ず中学生になる。
中学生になって初めて明確になる現実は、
自分の「ランク」を突き付けられるということ。
小学生のうちはテストによる校内順位や偏差値があるわけではないので、
自分の「ランク」を明確に突きつけられることはまずない。
だから、さほど向上心や競争心のないまま、ただぼんやりと勉強している。
子どもたちの中で、または親の間で、
「あの子は計算が速い」
「あの子は字が上手」
「なんとなくか頭が良さそう」
といった程度の評価である。
飛び抜けて成績が良いとか、逆に飛び抜けて成績が悪いという評価はあまりない。
小学生のうちは共有する客観的な証拠がなく、それゆえにほとんど差のないその程度の評価となる。
だからみんな「同じ」ように見える。
どこに位置している子も、
「自分はみんなと同じ位置にいる」
と思っている。
あまり優越感を感じることもなければ、
さほど劣等感を感じることもない。
それが小学校時代である。
ところが中学校になると状況は一変する。
これまであいまいな団子状態の評価だったものが、
「点数」や「順位」や「偏差値」という、
「確実な数字」で評価されるようになる。
その結果、
今まで「なんとなく」頭が良いとされていた子は、圧倒的な自信と確信を手にすることになる。
逆に、
今まで「なんとなく」頭が良くないとされていた子は、その現実をはっきりと突きつけられることになる。
また、
「出来るであろう」と思われていた子が、実は意外と「出来ない」と判明するのもよくある話。
中学校に入り、初めて「劣等感」を感じる子も少なくない。
これが「中学生になる」ということである。
小学校では勉強が出来なくても、足が速かったり明るいだけで人気者になれた。
たとえ勉強が出来なくても、サッカーや野球のようなスポーツが上手であれば、自信をもって毎日を送ることが出来た。
それだけ「勉強が出来る」ことの価値が、小学校では高くないということである。
ところがだ、
中学校になると、その価値観が変わる。
「勉強が出来る」ことの価値観が一気に高くなるのである。
「足が速い」や「明るい」や「スポーツが出来る」だけでなく、
「勉強が出来る」ことも求められるようになる。
これまで勉強が出来なくても毎日を楽しく過ごしていた子も、
出来ないプレッシャーとその評価に押し潰されそうになってしまう。
毎日の授業が苦痛でしかない。
これは辛い。
だから中学生になってから苦労しないためにも、
小学校での生ぬるさに甘んじることなく、
小学生のうちから積極的に学力を磨いておくべきである。