今日はクリスマスイブ、ご家族でクリスマスパーティを開かれる方もいらっしゃるのでしょうね。
我が家は、夫婦二人なので、ケーキは小さいものを一口二口、いつもと変わりません。
長引くコロナ禍で、忘年会は少なくなったと言われていますが、年末から年始かけて何かと美味しいものを食べる機会が多くなります。
翁は古典落語が好きで、寝る時に睡眠用としてYoutubeで古典落語をよく聞いています。その中でも、志ん生の弟子(長男)の十代目金原亭馬生師の『富久』は好きな演目です。
『富久』の話は、 太鼓持ちの久蔵が酒でご贔屓の旦那をしくじり、なけなしの金で買った富くじが千両くじに当たるという話です(端折りました)。
金原亭馬生師は、この話の「まくら」(話の前ふり)で
その昔、「太鼓持ち」「男芸者」などとも呼ばれた幇間(ほうかん)は、お座敷で、気紛れな客から料理の味を尋ねられると、「美味い」とか「不味い」とかは言わず、単に「乙ですな」と答えたという。つまり、なんでもかんでも「美味い」「不味い」と答えて、料理の味もわからない野暮な奴だと見下げられるのを避けるため、「美味い」とも「不味い」また「それほどでもない」とも受け取れる「乙(おつ)」という曖昧な言葉に逃げているのである。
と、言っています。「乙な味」とは、一体どんな味なのでしょうか?
この「乙(おつ)」と言う表現は、古典落語にはしばしば登場します。人(特に女性)の容姿にも使われるなど、極めて曖昧な言葉ですが、きっと使い勝手の良い言葉なのでしょうね。
また、お笑いコンビ、「サンドウィッチマン」さんのコントも良く聞いています。彼らのネタの一つに「グルメレポーター」というネタがあり、いつも思わず笑ってしまいます。
「グルメレポーターをやりたい」と言うボケ担当の富澤さんに対し、ツッコミ担当の伊達さんは「オレもやってみたけど、あれ、結構難しいんだ」と言っています。
コロナ禍前ですが、旅番組などで、レポーターの方が「フルーティーですね!」とか「ジューシーですね!」とか言って味を表現していましたが、時々「ん、一体どんな味?」と思ってしまうことがありました。
そこにいくと、石塚英彦さんの「まいう〜」は秀逸でした。この「まいう〜」と言う表現は、一時、美味しいを表す代表的な言葉の一つとして知られていましたが、いつからか彼の顔も画面で見ることが減りました。
また、サンドウィッチマンさんにも「ウマーベラス」と言うのがあるそうですが、今まで聞いたことがありません。
このように、言葉で何かを伝えるのは簡単なようで、結構難しいことのようです(特に味を伝えるのは)。
日本人は、はっきり言わず、どちらにもとれる言葉を良く使います。「結構です」などと言う言葉もそうですね。
それは、他人を気遣う、日本人の良い点だと思いますが、反面、悪い点でもあると思います。電話セールスで「結構です」などと言ったら大変です。
この「乙(おつ)」は、ややもすると曖昧とも受け取られがちな言葉ですが、はっきり言って良いのか否か迷う時に、「乙ですな!」と言う、結構便利な言葉なのかもしれません。
でも、「ちょっと何言っているんだかわからない?」と言われるのが、オチでしょうね。
いつもの戯言です。ご放念ください。
終わり
備考:カバー画像は「©︎いらすとや」さんのイラストを使わせて頂きました。感謝!