歌舞伎学会事務局

歌舞伎学会の活動を広報します.

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歌舞伎学会の歩み(平成元年)

2013-02-05 18:09:57 | 学会の歩み
昨年末に十八代目中村勘三郎、そして今月は十二代目市川團十郎という大名跡を続けて失いました。謹んでご冥福をお祈りするとともに、第五期歌舞伎座の開場を四月にひかえた平成歌舞伎のさらなる発展を願ってやみません。

さて、本稿では歌舞伎学会が二年目を迎えた平成元年(1989年)の活動記録を振り返ります。

前年より闘病中だった昭和天皇は、この年の1月7日に崩御し、元号は平成と改められました。2月には手塚治虫、6月には美空ひばりと昭和を代表する有名人が相次いで亡くなりましたが、歌舞伎界でも前年の十七代目中村勘三郎に続いて二代目尾上松緑が帰らぬ人となりました。

この年の歌舞伎学会は、1月と12月に東武百貨店での連続演劇講演会、5月に歌舞伎フォーラム、11月と12月と場所を変えての秋季大会と盛りだくさんのイベントを開催しました。

5月のフォーラムでは、澤村田之助丈をお招きして、歌舞伎での上演が途絶えている「鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」を取り上げたシンポジウムを開催しましたが、この時田之助丈にお願いした台詞の朗唱の素晴らしさは学会の語りぐさになっています。

11月には特別秋季大会として、歌舞伎の創始者阿国のふるさと出雲市大社町まで出向いて、講演とシンポジウムを行いました。出雲市は、この年5月に第一回出雲阿国歌舞伎(富十郎、團十郎、澤村藤十郎らによる本興行)を開催しており、出雲阿国座の設立を目指した事業に力を入れ始めた頃でした。

このフォーラムと、特別秋季大会の内容は、翌年6月に刊行された『歌舞伎―研究と批評』第5号に載録されています。


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歌舞伎学会の歩み〈創立の頃〉

2013-01-17 08:13:24 | 学会の歩み
平成24年は、歌舞伎学会発足から二十五周年にあたりました。その二十五年間の活動記録は、本年8月頃刊行予定の『歌舞伎―研究と批評―』50号に掲載予定ですが、二十周年を記念した41号掲載の「歌舞伎学会活動記録」をもとに、学会発足からの歩みを辿ってみたいと思います。

歌舞伎学会の発足は昭和63年(1987年)12月6日です。設立総会が早稲田大学で開催され、劇作家・木下順二氏による記念講演が行われました。この講演は、翌年8月に刊行された『歌舞伎―研究と批評―』創刊号に収録されておりますので、後ほど別項で紹介したいと思います。

事の発端は、昭和60年(1984年)6月に日本演劇学会で行われた「歌舞伎の現状を批判する」というシンポジウム。そこから「歌舞伎を考える会」という分科会が始まり、二年後の年末、鳥越文蔵氏を代表委員として「歌舞伎学会」が立ち上げられました。

翌63年(1988年)5月に開かれた第一回歌舞伎フォーラムは、なんとラフォーレミュージアム原宿にて開催されています。折しもバブル景気が絶頂期に向かいはじめた頃、国も企業も文化的事業に躊躇無くお金を使っている時期でした。同年8月には池袋東武百貨店の出資のもと、毎日新聞社との共催で「東京国際演劇祭'88池袋」の記念展示会「歌舞伎と人形芝居―華麗なる劇場(こや)」を催し、展示期間中に豪華ゲストによる実演を交えた講演やシンポジウムを行っています。

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秋には研究発表を主体とした秋季大会を開催し、12月に『歌舞伎―研究と批評―』第2号を発行しました。
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