歌舞伎学会事務局

歌舞伎学会の活動を広報します.

事務局インタビュー「この人、どんな人?(1)神山 彰」

2014-09-16 09:33:45 | 人物紹介
 歌舞伎学会では、さまざまな方が会の運営や学会誌『歌舞伎 研究と批評』の執筆・制作に携わられています。「夏の講演企画や秋季大会で姿は見かけるけど、この人はどういう人なんだろう?」という皆様のかねてからの(と勝手に決めつけておりますが)疑問にお答えすべく! ブログ限定企画【不定期更新】として、そうした方々へ突撃インタビューを掲載することになりました。記念すべき第1回のゲストは、現会長であり学会誌の編集委員長でもある、“兼ネル”会長・神山彰先生です。


神山 彰(かみやま あきら)
昭和25(1950)年、東京生まれ。国立劇場芸能部制作室で歌舞伎・新派の制作を18年間担当したのち、明治大学文学部教授。歌舞伎学会には平成2(1989)年入会。著書に『近代演劇の来歴』『近代演劇の水脈』(森話社)。共編著に『河竹黙阿弥集』(岩波書店)、『映画のなかの古典芸能』『忘れられた演劇』(森話社)など。

―まずは現職とご専門を教えてください。
明治大学教授で、専門は近代日本演劇です。

―そのご専門を選ばれた理由は?
僕はもともと商業演劇が好きだったのですが、新劇中心の演劇じゃなくって、それ以上に多くの人の記憶に残った新派や新国劇、あるいは特に明治期の歌舞伎、新歌舞伎が好きなので、「じゃあそこに絞って探ってみよう」ということですね。

―大学で教鞭をとられる以前はずっと国立劇場でお仕事をされてましたが、入られたのは新卒ですか?
いえ、大学院を出てしばらくしているうちにそういうお話があって、28歳の時かな? それから46歳頃まで在籍していました。

―その間、印象に残っている作品は?
いっぱいありますけれど、一番好きなのは『島鵆(月白浪)』ですね(※1)。制作で実際に担当していますが、担当していなかったとしても好きです。

―なぜ『島鵆』が?
『島鵆』は、小学校6年の時に寿海の島蔵と初代猿翁の松島千太で観てますが、その時の印象がものすごい強くってね(※2)。それと先程のように、明治時代の風俗――精神風俗も含めて非常に関心があるので、散切物が好きだということです。

―歌舞伎を観始めてしばらくすると、だんだん自分の傾向が分かってきますが、「散切物が好き」と思い始めたのはいつ頃ですか?
高校ぐらいじゃないですかねぇ。昭和42年に、十七代目勘三郎と十七代目羽左衛門で『島鵆』を二度目に観たんですが、その頃かなぁ?(※3) 
『お祭佐七』とか『侠客春雨傘』とか、『地震加藤』『酒井の太鼓』なんかもその頃はまだやってましたけれど、そういったものが好きで、考えてみたら、だいたい明治以降にできたものでしたね。
「古典歌舞伎」とは言っても実際には近代に入ってからできた演出をそう呼んでいるんだ、ということを考えたいと思ったのも、研究の一つの動機のような……まぁ、全部あとになって考えたことですけれど(笑)。高校の時はそこまで考えてませんが、「自分の好きなのは明治期のものだ」というのは、確かに意識はしてましたね。


―初めてご覧になった歌舞伎を覚えてらっしゃいますか?
祖母や、両親の仕事の関係で子供の頃から歌舞伎を観てはいましたけれど、意識的に覚えてるのは、昭和38年1月の新橋演舞場で、寿海の『石切梶原』とかをやっていた時です(※4)

―これまで刊行された『歌舞伎 研究と批評』のなかで、印象に残っているものは?
そうですねぇ…これは僕の性格的なものでしょうけど、やっぱり、第28号の「六代目中村歌右衛門追悼」ですね。あれは、他の方のもよく読みました。

―最後に、会員の方や「歌舞伎学会に入会してみようかな?」と思ってらっしゃる方へひと言お願いします。
歌舞伎は、「昔はよかった」と思わなければ観てられないものだと僕は思っておりますから(笑)、自分の観ているものが、過去の思い出と重なる時が、僕は一番幸せですね。そうじゃない舞台というのは、どうしても興味がもてない。
そうすると、若い方はどうすればいいのかっていうことになりますけれど、僕は、小学校や中学校の頃から、舞台そのものじゃなくても、なにか昔の記憶との関わりのなかで歌舞伎を観ていたように思うんです。好きな役者は寿海とか十一代目團十郎とか我童でしたけれど、思えば、最初に歌舞伎を観た時から「懐かしい」って感じだった。
ですから、たとえば若い方には、自分の直接の経験ではないけれど、『歌舞伎 研究と批評』を通じて昔の舞台に触れていただいて、今の観劇に役立てていただけたら。歌舞伎は「どうして懐かしさがくるのか」っていうのが、一つのテーマと言うと大げさですが、僕にとっては考えるモチーフだと思っています。


<取材・文=事務局>

※1 1983(昭和58)年3月。通し狂言。お照(七代目尾上梅幸)島蔵(七代目尾上菊五郎)松島千太(十代目市川海老蔵=十二代目市川團十郎)望月輝(十七代目市村羽左衛門)島蔵父磯右衛門(三代目河原崎権十郎)野州徳(七代目坂東簑助=九代目坂東三津五郎)妹お浜(二代目市村萬次郎)お仲(五代目坂東八十助=十代目坂東三津五郎)ほか

※2 1963(昭和38)年3月 歌舞伎座。三代目實川延若の襲名披露興行。寿海と初代猿翁のほかの配役は、弁天お照(七代目大谷友右衛門=四代目中村雀右衛門)福島屋娘お仲(七代目中村福助=七代目中村芝翫)島蔵の妹お浜(五代目澤村訥升=九代目澤村宗十郎)島蔵の父磯右衛門(八代目市川團蔵)明石屋店の者徳蔵実は野州徳(五代目片岡市蔵)ほか

※3 1967年10月 歌舞伎座。十五代目羽左衛門の二十三回忌追善、家橘の襲名披露興行。島蔵(十七代目羽左衛門)千太(十七代目中村勘三郎)徳蔵(二代目尾上九朗右衛門)お照(七代目梅幸)磯右衛門(四代目尾上菊次郎)お仲(十七代目市村家橘)お浜(五代目中村もしほ)ほか

※4 ちなみに『石切梶原』以外の演目は、同じく寿海の『少将滋幹の母』、二代目尾上松緑の『五斗三番叟』、七代目尾上梅幸の『娘道成寺』、松緑・十七代目市村羽左衛門・梅幸の『勧進帳』、三代目市川左團次・梅幸の『明烏』。
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『歌舞伎―研究と批評―』52号が刊行されました

2014-09-08 12:04:19 | 書籍紹介
この度、『歌舞伎―研究と批評―』52号が刊行されました。

特集は「三代目歌右衛門と三代目三津五郎」、ともに、文化文政期の歌舞伎界に大きく貢献した役者です。
中村歌右衛門の名は、現代では東京の女形の名として有名ですが、初代は上方の実悪役者で、その実子の三代目があらゆる役柄を兼ねる役者として大成し、数度の江戸下りでも成功を納めたことで後世に残る大名跡となりました。一方の坂東三津五郎は江戸っ子に絶大な人気を誇った立役で、三代目は特に所作事(舞踊)に優れ、踊りの中で沢山の役を変わって見せる変化舞踊を得意としており、江戸下りの歌右衛門と所作事の腕を競い合い、歌舞伎界を大いに盛り上げました。
この二人の名優がどのように受け入れられ、どのように競いあったか、そしてどのようにして後継者を育てようとしていたのかを、諸氏の研究の成果から詳細に知ることができます。

研究は二点、季評は平成25年上半期です。依然として刊行の遅れが続いておりますが、漸く新開場の歌舞伎座の公演まで辿り着くことができました。

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