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ごもっともです。

2014-05-26 23:40:00 | ノンジャンル
田中康夫

http://t.co/GUzNKdvWXm
「被災者らが健康異変を感じているのであれば、
それについてよく聞き、調べ、原因を探り、対策を立てるべき。
それが医学・医療の倫理に則った態度」
日本医師会・日本学術会議共催シンポジウム取り纏めを
畏兄・島薗進 @Shimazono 氏が紹介

http://t.co/GUzNKdvWXm

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秋田知事、記者会見中に鼻血
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140526/lcl14052617010001-n1.htm

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長崎被爆者の(原爆中心地600m以内の屋外での被ばく)母にに聞きました。
鼻血、出てます。
もう、いい加減にして、関係ない子供たちにまで被爆させないで!
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/k-peace/2013/0
8/05134714.shtml

黒光りの蒸気機関車(SL)は、一人の女子高生を巻き込んでいた。
頭も腕も足もバラバラ。腐ったような腹部の傷で妹と分かった。
「何で」。泣き崩れるしかなかった。

当時、妹は盲腸の手術の傷がなかなか治らず悩んでいた。
治療費はなかった。傷をかきむしり、うじ虫が湧いていた。
バラックで夜中、「くちゅくちゅ」と、うじ虫が肉をむしばむ音を
下平は寝床で何度も聞いていた。何もしてやれなかった。

妹の遺体はリヤカーで1人、火葬場に運んだ。翌日、事故現場に立った。
黒煙を上げて突進してくるSL。足が震え、線路脇に転げ落ちた。
死ねなかった。

下平は妹とバラックで暮らし始めたころのことを思い出した。
原爆投下の翌年の春。11歳の下平は9歳の妹を連れ、バラックに入った。
当時2人とも鼻血が出たり、髪の毛がたくさん抜けることがあった。
一緒に山里小に通ったが、いつもひもじかった。
パンやソーセージなど兵士の食べかすを拾い、雑草を集めてスープに入れたり、
浦上川で貝を掘ったりした。そうやって支え合って生きてきた妹は、もういない。