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(無題)

2016-05-17 04:44:00 | ノンジャンル
平和 と言う単語は左翼用語なので使わないように。
健康 と言う言葉も差別用語なので好ましくありませんね。
共に国策に反しますので気をつけてください。
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≪11歳児童の訴え、必読です!≫
FBでも出回りましたが、やっとゆっくり読むことができました。
昨夜読み、すぐに長男に読み聞かせつつ号泣。以下コピペです。

5月6日に東京都江東区夢の島の第五福竜丸展示館前でおこなわれた2014年原水爆禁止国民平和大行進<東京-広島コース>出発集会の中で、福島県いわき市から東京に避難している11歳児童の訴えが参加者の胸を打ちました。全文を紹介します。

「ぼくは、原発事故の次の日に、福島を離れてから、一度も自分の家を見ていません。
2年生の3月に、急にぼくは東京の子になりました。家も学校も友達も、楽しかった事が急にみんな消えて、ひなん所から知らない学校へ行く生活が始まりました。

 弟も、ぼくも、泣いたり吐いたりしながら、ただ、しなければならないことをがんばりました。

 ぼくたちは、くいきがいひなん だから、ばいしょう金がほとんどもらえないので、みんなたいがい貧乏です。
そして、ほとんどの子が、お父さんと離れ離れの生活をしています。

 お父さん達が福島で働かないと、ぼくたちは避難を続けられないからです。原発事故さえなければ、ぼくらはみんな、自分の家で、家族そろって普通に暮らせたはずです。

 ぼくも、1年半はお父さんと離れ離れでした。たまにお父さんに会える日はすごく嬉しかったけど、お父さんが帰るたびに、弟が布団にもぐって泣くので、すごくつらかったです。ぼくも弟と同じ気持ちだったから。

 ぼくのお父さんは、一人で福島の家に残ってがんばったけど、心と体が壊れて、仕事を辞めて東京へ来ました。やっと一緒に暮らせるようになったけど、今でもいろいろ大変なことがあります。

 広島や長崎の原爆のことは、話には聞いたけれど、まさか69年もたって、自分の家の上にも同じ様なものが降ってくるなんて、そして、その見えない毒が、ぼくたちの生活をめちゃくちゃにしてしまうなんて、夢にも思わなかったです。

 ぼくたちは、原発事故でたくさんのものを失いました。自分の家や家族の笑顔や、たくさんの楽しい事が、みんな消えてしまいました。

 こんなことを二度と繰り返してほしくないから、どうかぼく達が政治を動かせる日まで、この国を守っていてください。そしてぼくたちに、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください。ぼくたちは、それを引き継げるように、一生懸命勉強してついていきます。
よろしくお願いします。」

マコ:
子供たちは私たちが思うよりものすごく色々考えていて、
これは今年の話なんですけど、
小学校3年生の時に福島から東京に避難した男の子がいて、
毎日泣いて「ママ、学校に行きたくない」って言ってて、
少4の時に「将来の夢」っていう作文に
「僕には夢もなければ将来もありません」って書いて、お母さんがすごく心配してたんですよ。
で、去年の12月、小学校6年生になって、
「将来の夢」っていう作文を息子が初めて書いたって、
「嬉しい」って言って、息子に黙って見せてくれたんですよ。
黙ってだから、悪いんだけどね、
でもそれが素晴らしい作文で、
「自分は将来大きくなったら、夢ができた」と。
「一生懸命勉強して国会議員になりたい」と。
集団的自衛権のことや武器三原則の輸出ができるようになったことなども書かれていて、
「自分は大きくなったら平和な国を作りたい」と
今自分が色々勉強をしていても、安倍さんたちが自分の周りだけで話し合っていろんなことを決めていってるように思う。
自分は大きくなったら勉強して国会議員になって、世界に自慢できる平和な国を作りたいっていう、
素晴らしい作文を書いたんですよ。

で、彼は、お母さんに聞いたら、
なぜ自分が福島から東京に避難しないといけなかったか、
なぜ原発事故が起こったか、
なぜクラスのみんなは避難していないか、というところから始まって、すごくいろいろ考えて、
図書館に通って、インターネットで調べて、
でも、「いつの間にか息子は原発事故じゃなくて、平和のことを考えていた」と、お母さんはすごく驚いていたんですよね。

これは素晴らしい作文だと思ったので、
私はお母さんに相談して、DAYS JAPANという雑誌にこれを載せさせてくれと交渉して、載せたんですよ。
全部。

ケン:ちゃんと了解を取ってね。

マコ:
息子にも「黙って送ったけどごめんね」ってお母さんもちゃんと謝って、
ちゃんと了解を得て載せたんですけど、
そしたらそれがDAYS JAPANに載ったあと、お母さんから連絡が来て、
「実はあの作文が卒業文集に載らなかった」と。

ーー:えーっ!

マコ:
なぜかというと、
「政治的批判を含んでいるので、載せられない、書き直せ」
って言われたんですね。
本当にそれはお母さんもがっかりして、息子ちゃんもすごいがっかりして、
で、いろいろ彼らも悩んだんですけど、
最終的に担任の先生はすごくいい人で何も言わずにそのまま行こうってなってたんですけど、
それが原稿として卒業文集の中に織り込まれて、
「これでこのクラスはいく」ってなった段階で上の先生からクレームがついたっていうことで、
息子さんは担任の先生を苦しめたくないって言って、
「いいです書き直します」って言って、
結局彼の卒業文集は「小学校の思い出」っていう、移動教室とか林間学校の話になったんですよ。

で、DAYS JAPANだけがね、その平和な国を作りたいっていう彼の文章を載せられたんですけど、
これは東京の普通の公立の小学校です。

「平和な国を作りたい」っていう作文が、
「政治的批判を含んでいるからダメだ」っていうふうになる国になったんだな、って思って。

でもその話をすごく聞くんだよね。

今年1月に岐阜に行ってきたんですけど、岐阜の方々に聞いた話は、
まぁね、被爆に関する映画みたいなもの「A2BC」みたいな映画の上映は公民館で断られるという話は時々聞くんですよ。
今年の1月に聞いた話は「平和展」を公民館でしようと思ったら、「断られた」って言うんですよ。

ーー:えーーっ!

マコ:なぜかというと「平和」っていう言葉は「左翼用語だから」

ーー:え~~~っ!

マコ:
「左翼的用語だから」で、断られた。
ということで驚いてらしたんだよね。
その話を聞いて私達も驚きました。

ケン:びっくりしました。

マコ:それを今年の1月に同時期に聞いたので本当にね、

ケン:知らない間にどんどん環境が変わっていっているんだろうね。

マコ:
そう。私は原発事故だけですごくひどいことだと思っていたんですけど、
なんか、本当にどんどん、「平和」っていう言葉が、左翼的用語で、政治的批判を含むということになって、
いるというのは、すごい恐ろしいことだなと思いました、本当にね。
だからこそね、本当に子供を守るっていうことは、よっぽど、結構覚悟してやらないとダメなんだな、っていうのを思いましたね。