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気をつけろよ、あいつに。

2012-02-26 22:31:00 | ノンジャンル
なぜドイツ国民はヒトラーを熱狂的に支持したのですか(小学生からの質問)。



回答

ヒトラーが首相になった時の様子
まず、ヒトラーが最初に首相になった様子から説明します。ヒトラーは1933年1月30日に首相に任命されました。当時のドイツの状況を見ますと、1929年に世界中で大恐慌と呼ばれる経済不況があって、ドイツの経済もたいへん苦しいものでした。街中に職場を解雇された労働者や、借金を返せない人などがたくさんいました。ドイツ国民の中に、こうした世の中に不満を持ち、経済や社会の苦しい状態を改善できない当時の政治家や政党に対して大きな批判を持つ人が増えていきました。ヒトラーが率いるナチス党(正式には国民社会主義ドイツ労働者党という名前でした)は、このような国民大衆の不満をとりあげ、それまでの政治家や政党の失政を声高に批判しました。ナチス党の主張はどういうものかといいますと、ドイツの経済や社会がうまくいかないのは、第一次世界大戦でドイツを負かした戦勝国であるイギリスやフランスなどがドイツに過大な賠償金を課しているからであり、またこのような外国勢力の言いなりになっている弱腰の政治家、とくに社会民主党のような左翼政党がドイツ人の団結を妨げているからであり、そしてそのような左翼勢力の背後にはユダヤ人という欲張りな人々がいるのだと言ったのです。ナチス党の主張はユダヤ人に対する全然理由のない悪口など極端なところもありましたが、それでも多くのドイツ国民は、ナチス党が強力な指導をしてドイツを健全にしてくれるのではないかという期待を持ちました。1930年と32年に総選挙がありますが、ナチス党はこうした国民の期待を受けてどんどん大きくなっていったのです。ヒトラーが首相に任命されたのはこのような背景がありました。

反対する人々への弾圧
さて、このようにして首相に任命されたヒトラーは、任命されるとすぐに議会を解散して総選挙をしました。そのとき、ヒトラーの率いるナチス党は反対政党であった共産党や社会党などの左翼政党の人たちに暴力をふるったり逮捕したりして、その活動を押さえつけようとしました。こういう暴力行為はもちろん当時のドイツでも違法な行為であったのですが、警察はナチス党員が行なう暴力を見て見ぬふりをしたり、あるいは積極的にそれを助長したりしたのです。この結果、この総選挙でナチス党はまた第一党になりました。ただ、それでも社会民主党や共産党もあわせて2百議席くらいはあったのです。ところが、選挙後の国会には共産党の人たちは参加できませんでした。みな、逮捕されたり、ナチス党の迫害を逃れていたりしたのです。新しい国会でナチス党は「全権委任法」という法律を強引に決めました。この法律は、国会が法律を作る権利を行政府、つまりナチス政府に任せるというもので、三権分立をまったく無視したものでした。社会民主党などは大反対しましたが、その他の政党はナチスの弾圧を恐れるあまり、これに賛成してしまったのです。こうしてナチス政府は国会の議事を経ることなく、自分勝手な法律をどんどん作っていきました。ナチス党以外の政党は全部禁止されてしまいます。労働組合の事務所にナチス党員が暴力的に押し入って、組合活動もできなくさせてしまいます。キリスト教会は存続を認められますが、ナチス党のやることに反対はしないという条件つきでした。こういう風にナチス党は自分たちに反対する政党や労働組合などの活動を停止させ、また教会が反対勢力になることも不可能になるようにさせたのです。

国民のヒトラーへの期待
ところで、ドイツ国民はこういうヒトラーたちのやり方をどう見ていたのでしょうか。民主主義を信じる人々はもちろんヒトラーたちのやり方をよいものとは思っていませんでした。しかしナチス党に反対すると暴力をふるわれたりするので、黙っている人々も多かったのです。また、ただ暴力が怖くて何も言わなかったというだけではありません。ヒトラー政権は最初のうち、ドイツの社会や経済のたてなおしを積極的に行なおうとしました。失業者がたくさんいましたので、国の財政を利用して大規模な公共事業などを行ない、その事業に失業者をあてたりしました。現在もドイツの国中を走っている高速道路網はこのときのヒトラー内閣がはじめに建設したものだと言われています。また、労働組合の活動が抑えられたこともあって、工場などでは低賃金で働く労働者を得ることができ、資本家たちは労使の紛争を気にせずに企業活動を行なえました。これらの結果、ヒトラー政府のもとでドイツの経済は少しずつよくなり、失業者の数なども目に見えて少なくなりました。ドイツの人たちがヒトラー政府の暴力的なやり方には不信を持ちながら、それでもその政府を支持したのは、こういう経済政策での実績があったからでした。

外交政策での実績
それからもうひとつ、ヒトラー政府は外交政策でも実績がありました。ドイツという国は第一次世界大戦で敗れて、ヴェルサイユ講和条約で領土は1割くらい減らされましたし、また軍隊も大きいものを持ってはいけないと決められていました。ヒトラーはこれに対しても挑戦し、一方的に軍備を拡大しはじめ、また武力を背景に領土の拡大も進めました。まず、オーストリアという国(この国の住民はドイツ語を話すドイツ民族でした)を併合し、それから隣のチェコスロヴァキアも併合しました。このような領土併合の際に、イギリスやフランスのような国々は、ヒトラーのドイツとの戦争になることを恐れて、これを見てみぬふりをしたのです。「オーストリアやチェコを併合すればヒトラーの要求は満足されて、これ以上は何もしないだろう」とたかをくくっていたのでした。実際には、このあとヒトラーはさらにポーランドにも侵攻して、これをきっかけに第二次世界大戦になってしまうのですが。それはともかく、このように戦争に負けて惨めな思いをしていたドイツ国民に対して、自信を与える成果をヒトラーはあげたのです。もちろん、軍隊を大きくしたり、外国の領土を併合したりすることはよいことではありませんが、当時のドイツ国民はこのようなヒトラーの強力な政策の中にドイツ人としての誇りを感じてもいました。

ナチスの宣伝のうまさ
最後にもうひとつ、ドイツ国民がヒトラー政府を支持した理由の大きなひとつとして、ナチス党がとても宣伝がうまかったこと、それにドイツ国民の多くがだまされてしまったことがあげられます。ヒトラーという人は演説がたいへん上手で、ヒトラーの演説を聞くと多くの人が熱狂したと言われています。ナチス党が一年に一度行なう大会のときも、何万人もの党員が整列して行進し、見るからに力強く、とくに若者を中心としてナチス党にひきつけられる人がたくさん出ました。当時はテレビがまだなくて、宣伝の道具としては映画のニュースがよく使われ、また、ようやくラジオが普及し始めたところでしたが、ナチス党はこういう映画やラジオもよく使って、しきりと自分たちのことを宣伝したのです。ドイツ国民の団結を強調し、外国からの圧力に対してドイツが立ち上がるべきであるとか、社会のいろいろな苦しさや問題点は全部ユダヤ人が悪いのだというようなヒトラーの演説は、今から考えるとおかしいというのはすぐに分かりますが、当時のドイツ国民、とくに若者にはとても受けたのでした。このようにしてヒトラーはドイツ国民から熱狂的な支持を受けるようになりました。ヒトラーが自動車に乗ってパレードをしたりすると沿道を人々が埋めつくし、「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」などと言って歓迎しました。そういう場面を写したフィルムなどが現在も残っていて、ときどきテレビなどでも放送していますが、本当にそういうことがあったのです。

他人を犠牲にしたナチスのやり方
こう書きますと、ヒトラー政府はドイツ国民にはいいことをしたと考えられがちですが、ここで考えなくてはいけないのは、ヒトラーがやったことというのは他の政党を禁止したり、隣の国を併合したりしてドイツの国力を強くしたということです。また、何でもかんでも悪いのはユダヤ人だとして、ユダヤ人から財産を奪ったり、暴力をふるったり、強制収容所に入れたりしました。つまり、他の人を犠牲にして、それで国民の団結をはかったり、他の国を犠牲にして領土を拡大したり、ユダヤ人という特定の人たちを犠牲にして人々の不満のはけ口を見つけたりしていたのです。ドイツ国民の中にこういうナチス党のやり方に不信を抱く人もいました。しかし、少しでもナチス党を批判すると暴力を振るわれたりして、自由にものを言うこともできなくなっていったのです。その一方で、映画やラジオではドイツがどんどん成果をあげていくのが宣伝されたわけですから、ドイツ国民の多くはヒトラーのナチス党に半ばだまされていたわけです。あるいは、ナチス党のやることに多少の不信は持っても、それでもドイツが強くなるのだからいいと考えた人もいたでしょう。中には、ヒトラーの言うことを全部うのみにして、ナチス党のやることは全部いいことだと考える人もいました。とくに、小さい頃からナチス党の政府の時代に育った若者たちの中には、ナチスのやることはすべていいことだと考える人が多かったのです。

整理すると……
ナチス時代のドイツは以上のような状態でした。ですから、「どうして国民の大半はヒトラーを熱狂的に支持したのですか」という質問に対しては、ヒトラー政府の暴力的な弾圧があったこと、経済政策・外交政策での実績から国民がヒトラー政府を信用したこと、ナチス党の宣伝がうまくてドイツ国民の多くが半ばだまされてしまったこと、などがあると思います。

気になったコピペ

2012-02-26 16:10:00 | ノンジャンル
夜中にコンビニが開いてるってことは
夜中にコンビニに納品するトラックと運転手がいるってこと
夜中にコンビニに納品するトラックと運転手がいるってことは
夜中にそいつらを送り出し、朝方にそいつらが帰ってくる物流センターも24時間やってるてこと
星の数だけコンビニがあるってことはそれだけこの社会が寝ない社会だってこと
明確に人体に有害だと証明されてる夜勤が公然と認められてるってこと
本来、命を削ってまでやる仕事とは、医者、警官、軍人、消防のように人命の保全に携わる職業だけのはずだが
日本社会は堂々と「命を削って儲けなさい、働きなさい」と肯定して認めたの

そうすると仕事に追われて余暇が無くなる。競争も益々激しくなる。脱落する人も増える。
子供を生んだり育てたり親を介護する時間も無くなる。なら消費も少なくなる。
けど国の運営にかかる費用と手間は変わらないので更に税を増やさないといけなくなる。
人が減ってるのに、働けない人が増えてるのに、税を増やさないと国を回せなくなる

「破綻した社会の象徴」として最も判りやすいものはコンビニである。

東洋経済の東電批判と編集長逮捕。

2012-02-19 14:32:00 | ノンジャンル
何度も繰り返し東電の辛らつな批判記事を書いた東洋経済の
編集長が痴漢容疑で逮捕。
http://jp.wsj.com/Japan/node_395162

りそな銀行の触れてはならない闇を暴いて痴漢容疑で逮捕された植草教授を
思い出す。

今後、反政府思想、反東電思想の方は電車に乗らないようにしましょうね。
上杉も極力電車には乗らない、と言ってたなあ。

そうかといって歩いてたりすると不審な車に轢かれたりしますが。
恐ろしい国に成り果てましたな・・・。

ちょっとまとめました。
http://togetter.com/li/260257

東洋経済の表紙と内容↓