のんびり茶屋

のんびり茶屋(https://creativw.sakura.ne.jp/nishikaw/)のblogになります。

ゾイドワイルドZERO総評

2021-07-28 11:27:21 | 紹介・感想・レヴュー

ゾイドワイルドゼロ。
言いたい事は大体Twitterでつぶやいたのですが
自分の為の記録としてまとめておきたいなぁ、と。
以下完全に箇条書きの散文ですが。

放送当時のTwitterまとめはこちら
(gooブログにURL貼れなくなったので

TwitterトップにこのURLを加えてください)
/i/events/1317449486994604032

●株主総会で打ち切り話がというニュースを見て気になって
前作(ゾイドワイルド無印)のラストから
そのまま続けてゾイドワイルドゼロを観だすも
劇中のゾイドのスケールを大胆に変えたの凄くって、
(1/35からざっくり1/72くらいになってる)
それがずっと気になって観続けてたら
細かい演出の上手さに魅せられて
どっぷりはまってしまいました。

●例えば21話『時を超えた記憶』の無茶っぷりが気持ちいい。
理屈で考えると細かい所が無茶だらけな内容なのに
そんな事を吹き飛ばす良い"空気"があった。
『太陽の牙ダグラム』で銃を持ってるはずなのに
両手で髪を整えるラコックと同じ雰囲気。
強いてこの回でもったいないと思ったのは
アイセル(ラプトリア)がジャミンガ相手でしか圧勝できないからって
ジャミンガだけだったのは物足りなかった位。

●ふんわりした部分は突き詰めずにふんわりしたままで
だまし通せてる演出が統一感あって素敵。
なんでも設定ガチガチにすればいいってもんじゃない。
例えば身長の2倍くらいある高さのコクピットから
普通にスッと飛び降りる演出とか確信犯よね。

●限られたリソースの中で何を残すかが凄くブレなかった印象。
制作進行苦しそうなカットがいくつも見受けられたけれど
それでも話の醸し出す空気感は一定に保たれていた。

●設定方面では登場人物達の体形の振れ幅を
ものすごく控えめに中性的にしているのは意図的っぽいのよね。
個人的にはここも好意的に受け取ってる。
アイセルが1回アニメキャラのテンプレート的体型で描かれたけれど
それ以降は安定したので意識してるぽい。
ボルコフのがっしり感もやりすぎてなくて良かった。

●あと恋愛要素がないのもとても良かった。
それでいて信頼や愛はしっかり描かれているのが良くって。
なので最終回ラストのディアスとシェリーの結婚をせかすシーンも
観ててとてもさわやかなの。良き。

●放送時期は真冬なのに
真夏イメージのビジュアルの2番目のEDが
すげぇ夏って感じで違和感ないのよかったし凄いと思う。

●この文章、ずっと下書きでまとめきれなかったのだけど
やっと書き上げられたのはこのtweetを見て。
(同じくTwitterトップにこのURLを足してください)
/zoids_official/status/1418050709598052355?s=20

世界観的にありえないサービスショットなんだけど
その中でもキャラクターの格好にいやらしさというか
悪意というかそういうのがないのが凄く嬉しくって。


今の言葉で『イースⅠ・Ⅱ』の感想を言ってみよう

2020-03-21 01:27:40 | 紹介・感想・レヴュー

『30年ぶりに同じ文句を言われたw  |  Colorful Pieces of Game』

PCエンジンminiに収録された『イースⅠ・Ⅱ』の批判が
当時のそれから進化してないと作者がお嘆きな記事を読んだ。

『イースⅠ・Ⅱ』は
グレードアップ部分に凄く納得がいかなくて
当時色々愚痴った思い出があるんだけど

上記ブログ内の当時の制作エピソードを読み続けていると
当時不満に思った部分ほぼ全てに
どうしてああいう改訂にしたのか理由がほぼ書かれていて
なんとなくこうなった、ではない所に
この人は信用できるなぁと感じた次第です。

で、当時の言葉の繰り返しではなく
今の言葉で思うのは
『イースⅠ・Ⅱ』でグレードアップした(解像度をあげる)方向性が
私が好きな向きじゃなかっただけだなぁ、と。

当時Webに書いた『イースⅠ・Ⅱ』の感想を
サルベージした時に見つけた文を引用すると

> イースⅠの時はなんていうか
> もっとプレイヤーの都合ではないマップ構成で
> それが小学生時代にした探検ごっことカブって
> なんともいい塩梅だったのですよ。
> 川の上流に行ってみたりとか
> 山の登りはじめに右に見える池とか
> 盗賊小屋を北上した山の下から見える森とか
> 山道だと神殿左下の行き止まりとか
> 弟の木の付近でミネアの外壁がどこまで見えるかとか
> ダームの塔の妙な部屋や通路の「間」とか…etcetc
> そんな事を探してるのが
> すごく面白かったもんでイースⅡはタイクツ。

> イースに『マンホール』のような楽しみを見出していたんす。
> 『イース1』はそーいう再評価もありかと思うんだけど。
> なんかイース1のリメイクってしきりに
> 『イース2』のノリにあわせようとするんだけど
> 俺だと逆に2を1のまったり系に変えたいなぁ。
> キャラコビ丸出しのリリアやマリアなんて完全カットにして(笑)。

要はこれだけの話だったようです。

最近ゼルダの伝説BotWのスクリーンショットを見て
↓なことを書いてて
ほんとイースの歩いてる楽しさ、オリエンテーリング感が当時感動で
当時の自分には世界の平和や振り向きヒロインはどうでも良かったんです。

『スクリーンショット観てたら当時MSX2のイース1をプレイしてた時に脳内に見えてた視界だこれ、と思った。』

--------

※以下、当時書いた『イースⅠ・Ⅱ』と
セガマークⅢ版『イース』の
感想をサルベージしたので部分修正しつつ掲載します。

あくまで当時の個人の感想です。

全部全角なのは、当時文を書いていたMSXでは
80字幅表示時に全角と半角で文字の解像度が変わり
可読性が大変落ちた為です。

●PCエンジン版『イースⅠ・Ⅱ』

今のイース人気を形作ったと言っても過言ではない
PCエンジン初代ROM2版『イースⅠ・Ⅱ』ですよ。
オリジナル版のスタッフの意見を聞き再構築(←文修正しました)したという意味でも
正当な改良作なんですが
個人的にはどうよ?と思うのです。
当時ダームの塔に入ったところでダレちゃって
ほっといたらセーブデータが飛んでて
プレイやめたんですが
今マークⅢ版の余韻の力であらためてやってます。
ちなみに今はピクティモス戦に備えレベル上げ中。
ここで既に「謎解きとアクション重視のダームの塔で
なんで経験値稼ぎやねん」と不満ブーたれっぱなし。

で、正直、めっちゃ作りこみ甘いんですよ。
特に変更、追加部分が後付け感満載ですよ。
書き出すとキリないんだけど
OPでアニメ演出しまくったと思ったら

(初代ROM2の64Kってメモリを考えると異常なボリューム。
全部スゴいけど特にⅡのOPが凄い。
他のスーパーCD-ROM2物に迫ります。マジで。)

突然当時のスクウェアばりのチビキャラ演技になって
次は画面半分に情景表示でのビジュアルシーン。
ゲームを進めていくと顔アップが重ね合わせして
喋りだしたと思えば普通の会話のままで喋りだしたりも。
喋るたびにBGMが頭だしするのは統一してるから
まだ問題なしだけど喋りにDC-DAの時と
PCMの時があってそれは聞いてて不自然極まりない。
文字もピコピコと当時のドラクエ風に
出るかと思えばスパっと出てみたりするし。
んで喋ってるバックでピコピコ鳴ってる時もあるし…。
ピコピコと言えばサラの手紙を読むときに
メッセージウインドウにを手紙に見立てて
最後の署名を右詰にしてるんだけど
右詰用の空白を表示してるときに
ピコピコ鳴ったのには、萎えました。

(このサラの手紙がアイテムに換算されないのもイヤだった。
ほかの手紙はアイテムになってるのに。)

次、ゲーム中。
フィールドでのキャラを大きくする分には
問題ないんだけどフィールドの木が
小さくなってるのはどうかと…。
山とかではスケール感を演出してるのに
木はこれかい!って感じ。
あと敵も町の人もパターン切り替え早すぎ。
みんな小刻みにかつ同じ歩速で
ぞろぞろ歩いてるのはコワい。

ゲームとしてはレベルが上がると
敵からもらえる経験値が減るⅡのシステムを
Ⅰから採用しているので「コイツを倒してもらえる経験値が
1になるまでレベル上げとけばボスにゃ勝てるだろ」って
目安ができているのはなかなかに良好です。

あとイースって画面の中央のある範囲内で
移動してる時はスクロールはせずに
その中央部分からはみ出そうになると
スクロールするってロジックになってるんだけど
PCE版は中央部分の定義範囲がかなり狭くなってて
見渡しとかが大分変わってます。
確かにパソコン版は中央部分が広すぎで
スクロールさせると目の前の視野が悪くなって
突然敵が来たりしてでかなり怖かったので
ありがたいっつったらそうなんですが
これはこれでちょっと中央によりすぎ。
88版とPCE版の間くらいが
ちょうどよさそうなんだけども。

ゼピック村とミネアが道続きになったので
ゼピック村を見つけられずに
ず~~~~~っと最初の草原で
ひたすらレベルを上げていた
(これはこれで当時楽しかった)
当時の俺のような人は減ったのでは?
この改善はマル。

なんにしてもセーブデータが飛ばん限りは
がんばります…。

●イースⅠにあたる部分はなんとかクリア。
なんかフツーにプレイしてただけなんですが
コンスクラードを1撃で倒し
ヨグレクス&オムルガンを2撃で倒し
ダルク=ファクトは床に穴3つしか
開けずで倒せたんですけど…。

なんとかⅡに行きました。
なんかⅡになって突然台詞回しが典型的な
家庭用RPGぽい幼稚さになって萎え萎えですが
まぁ、ぼちぼちいきます。

前書きそびれてたこと↓。

●もし俺がイースをリニューアルするなら
メッセージの考え方をもっと整理したい。
主人公は喋るのか喋らないのか
ナレーションはありにするのかなしなのか
表示はピコピコ1字ずつ出すのかページめくり式なのか
メッセージ送り時にメッセージウインドウは
新規発生なのか再利用なのか。
室内時のメニュー内に添えるメッセージの法則定義、
店や家の中でのみ一枚絵ビジュアル方式だと
ダームの塔やサルモンの神殿のような長丁場時に
ビジュアルが希薄になる事へのバランス対応。
(PCE版の顔アップで喋り、の演出は正直違うと思う。)
うーん、この辺の細部仕上げ、やってみたい。

●廃坑の敵キャラ処理がめっちゃ雑。
サーチライト外でも見えてたり
サーチライト内から突然出現したりする。
アドルの影のスプライトの優先順位もなんか怪しい。

●動きはドット単位だけど
管理はセル単位になっていて
半キャラずらしは簡単にできるんだけど
そんな処理の為に操作性が犠牲になってる気が…。

●あとCD-DAのBGM、例の”米光アレンジ”には
みんな納得いってるんですか??
俺は88版のBGMをまんま流してもらうほうが
しっくりくるんですけど…。
なんか米光アレンジって各パートが
バラバラに聴こえるんでツラいんす。

●『イースⅠ・Ⅱ』、現在バーンドブレスですが
ノルディアをクリアしてからどうにも
やる気ゼロです。

当時、廃墟~聖域~廃坑という
地味なフィールドばかりの中
やっとたどり着いたノルディアの氷壁は
サルモンの神殿へ向かう、という
プレイ目的も明確化した矢先なのもあってか
すごく青空の見えるような気がする
すがすがしいフィールドだったと
記憶しておったのですが
今プレイするとどーも、たいくつなのよ。
なんかマップがゲームゲームしすぎなのよ。
マップがプレイヤーの為に存在しているって具合。

Ⅰの時はなんていうか
もっとプレイヤーの都合ではないマップ構成で
それが小学生時代にした探検ごっことカブって
なんともいい塩梅だったのですよ。
川の上流に行ってみたりとか
山の登りはじめに右に見える池とか
盗賊小屋を北上した山の下から見える森とか
山道だと神殿左下の行き止まりとか
弟の木の付近でミネアの外壁がどこまで見えるかとか
ダームの塔の妙な部屋や通路の「間」とか…etcetc
そんな事を探してるのが
すごく面白かったもんでⅡはタイクツ。

これから行くサルモンの神殿や地下水路の
広大なマップを思い出すとちょっとヘコむし
石にされたレジスタンスの救出とか
今となってはなりきれない
これからのイベントを思い出すと
もうどうだっていいや、って感じっす。

●『イースⅠ・Ⅱ』やっとこクリア。
当時からストーリーがよくわかんなかったんだけど
あらためて「よくわかりませんでした」(笑)。
『ユーズド・ゲームス』の作者インタヴューで
PCエンジン版はPC88版の不満点を…とか
いろいろ言ってたから期待してたのになぁ。んもぅ。

なんにせよ良くも悪くも当時のゲームは
描写不足があたりまえで
プレイヤーはそれを逆手にとるかのごとく
「行間を読んで」楽しんでたんだったよなぁ
、というのをあらためて思い出しました。

そうそう、サルモンの神殿をへろへろ歩いていたら
プレイしてた当時(中2)の実生活を思い出して
じーんとした(笑)。
その昔ZDNETの「泣いたゲームランキング」で
イースⅡエターナルのコメントが「オリジナル版を
プレイしてた当時の自分の身の回りを思い出して…」
になってて深く納得。

--------

●セガマークⅢ版『イース』

半キャラずらしが
全然できんかったのでずっと放置だったのですが 
なんと「PC版とは方法が違う」のでした。
かなりギリギリで、かするように当たると
半キャラずらしが成立するというつくりだったのです。
つまり常用できないようになっているので
ヒールリングを手に入れるまで回復ができない
神殿奥や廃坑での戦闘はかなりアツいです。

わかる人向けの解説になるけど
イース1はキャラが2×2セルで構成されてて
移動単位が1セルな訳だ。PC版だと。
で、1セルずれて当たるのが
いわゆる「半キャラずらし」、なんだけども
マークⅢ版はキャラの移動がセル単位ではなく
ドット単位なので上記したマークⅢ版の
半キャラずらしの定義だと
実質4セル分幅がないと
半キャラずらしができなくなっていて
細い通路で構成されがちな廃坑とダームの塔の
プレイ感覚が結構別物になってる訳なのですよ。
てな訳で半キャラずらしさえ覚えてしまうと
以後の戦闘が単調な”作業”と化してしまう
PC版にはない新鮮さがありました。

マークⅢ版の良作さで特に顕著なのがボス戦で
すべてのボス戦が「避け」の快感に満ちています。
PC版のイースは『ソーサリアン』ほどでないにせよ
やっぱある程度はゴリ押し感があったものですが
マークⅢ版は良質なアクションになっておりまして
2匹目(ニグティルガー)の尻尾をおいかけるのと
4匹目(ピクティモス)ですべてのカマを出させたあと
それらをすべて避けつつ本体に攻撃、
は、かなりいいバランスで燃えました。
敵の移動にほどよい慣性がつけ加えられているのが
心地よいです。ドット移動になったからできる技です。
でも、当たり判定はしっかりしてる、と。
イースってゲームは攻撃に特別なモーションを
必要としないので避ける事に重きを置くのは
正解なんだな、と再認識。

で、その極めつけがダルク・ファクトで
ダルク自身の動きが遅く
かつ火の玉も数が少なく動きも遅いのですが
攻撃時に「開く穴が大きい」為、
結果「避け」をメインとした知能戦になるのですよ。
これこそコイツのアルゴリズムに
ふさわしいデザインじゃん!と震えたものです。

序盤の経験値稼ぎの時に敵を探すのが面倒で
マップを切り替えると敵の位置が初期値に戻るのを
利用して廃坑を出て特定のリーボルに攻撃、や
神殿を出て特定のウヌガンに攻撃、ってしてたのが
ズル気味ですがレベルアップのバランスもよかったです。

あ、あといつものクセで
神殿にある宝箱の鍵を手に入れたら
廃坑へ直行してアイテムを総ざらい、って
変則プレイをしちゃったので
神殿奥のバランスがどうかは言い切れないす。

(レベルが足りずザコ敵にすらダメージを与えられず
かつ当たれば即死。気分はメタルギア。
でもこういうプレイができるのがARPGのイイところだよね。
で、結局宝箱を全部開けてボスのヴァジュリオンとこまで行っちゃいまして(笑)
もちろん勝てません。)

そーそー、レアにハーモニカを返さないと
ダームの塔に入れないって
(アドルとレアが会っていないと
ラドの塔で話が噛み合わない為か?)
イベントを今回初発見。
他機種版でもそーなんよね?

マークⅢのゲームとして見ると
背景やキャラも書き込まれてるし
(MSX版をベースにしている??)
BGMもFMとPSGの競演はないものの
MSX版ソーサリアンみたく
露骨に音を間違えてたりって事もない。

BGMといえばエンディング後に裏技でいける
ミュージックモードに「アドルのテーマ」が
未使用曲として入ってたりして、泣けました。

ハード的仕様で実現できなかった
フィールドの枠もビジュアルの外周と
ステータス時にがんばって出してたりしてるのも
好印象です。

マークⅢ版は結構マップが変わってますが
イースの世界観を損ねない
絶妙な新マップになっており、震えました。
マップ変更の事情はどうもメモリ不足から、っぽい。

後はねー、ディスクアクセスがないのと
複数箇所にセーブできるのと
セーブ、ロード時にディスク交換の手間がない
(MSX版にはあったから…)のがいい感じでした。

強いて、不満点は
アイテムゲット曲がスキップできる、
コマンドウインドウのそっけなさ、
移動時は持ち金と経験値が表示されないので
どちらかを稼いでいるときに確認が不便、
の3つ位でした。


渡辺直樹『Sleep Less』を聴いている

2019-01-09 17:45:57 | 紹介・感想・レヴュー

渡辺直樹のサードアルバムを
最低でも1年は聴いてから感想を書きたかったので
以下ぼちぼち書く。

----------------

タワーレコードから渡辺直樹の
ファーストアルバムとセカンドアルバムが
デジタルリマスターで再発されたのを知った時に
当時盤持ってるのに買っちゃうやないか!!
と、あえてサイトを見ないようにしていたのですが、
上記アルバム2枚が発売された直後に
当時録音だけされて発表されなかったという
幻のサードアルバムの存在が明らかになり
タワーレコード限定で発売されていることを知る。

ちょっと!!!!何その夢のような展開!!
再始動で何十年振りの新譜ってのはあり得ても
当時の延長のアルバムが存在するとか都合よすぎ(俺に)!!
知った瞬間にデジタルリマスターとあわせて3枚注文し聴く日々です。

なんだろう。ヤボな感想は言いたくない。良い曲。素直に夢の時間。
でも音量バランスはデジタルリマスターの2枚とそろえて欲しかった。

書き下ろしのライナーノーツも丁寧で良いし
当時のシングル盤のジャケット掲載も憎い。
『莉亜~Reia~』のアナログ盤が出てると知る。
当時アーティストのディスコグラフィ調べるのって
店頭にあったCDデータベース位しかなかったので
そりゃアナログ盤は掲載されてないよなぁ。

渡辺直樹のファーストとセカンドは
未だに定期的に聴くお気に入りで
土日の晴れた日の朝早くに聴くと物凄いホッとするんです。
渡辺直樹を初めて聴いたのは92年頃だけど
発売時期(87~88年)の空気をリアルに体感させる
妙な一体感のようなものを感じています。
そんなお気に入りが1枚増えた訳で。幸せ。

話少し変わって、
『風に吹かれて』はヤマハ ジョグのCM曲と記されていて、
多分当時深夜にやってたレースのCMで流れたんだろうなぁ、と想像しながら
YouTubeを定期的に漁る日々でしたが
やっと発見しました!!

ジョグじゃなくてヤマハスクーター扱いでした。
でも確かに出てくるバイクはジョグだけ。
ジョグ版もあったのかもしれない。
そしてまさかのAメロ!!サビとちゃうんかい!!
https://youtu.be/0hU-4-VmljI?t=1197

 


Gのレコンギスタと鉄血のオルフェンズのメモが出てきたので上げる。

2019-01-09 13:09:43 | 紹介・感想・レヴュー

Gのレコンギスタと鉄血のオルフェンズのメモが出てきたので上げる。

脱線して長くなるの確定なので先にまとめ。

・鉄血のオルフェンズはGのレコンギスタでやった
超ハイコンテクスト路線への反抗だと解釈して観ていました。

・鉄血のオルフェンズ一期(1話~25話)が
世間一般な「作り話」の枠の内で

しっかりきっちりしたものを作っていて感銘する。
半年後に始まった二期(26話~50話)は
「続編の壁」に挑み苦戦したZガンダムが越えられなかったifを観られるかもと期待するも
話数を重ねる毎に文字通り雲行きが怪しくなり
ガンダムバエル登場のくだりで決定的になり残念な評価に。

--------

・『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』一期が始まる半年前に終了した
『ガンダム Gのレコンギスタ』(以下Gレコ)が
作り話のフォーマットを積極的に捨てに行っていて
悪く言えば無責任だけど、
今までのやり方に乗っかってるうちは
受け手も「フィクション観てる枠」の中でしか、
受け取らない≒伝わらない訳で
Gレコのやり方は制作側の誠意だなぁと感じながら視聴していました。

矢追純一さんのこの発言が思っている事に近い
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170319-00001784-bunshun-ent&p=1

> あれくらい世の中に悪いものはないと思ってるんです。
> ドラマって、人間として一番ダメなところを拡張する代物なんですよね。
> 今、映画なんかもそうだけど、一生懸命感情をくすぐって泣かそうとするわけですよ。
> 「絶対泣けます」みたいな。
> バカじゃないかと思ってるんですよ。
> 人は、つらいことがあって泣くんだけど、つらいことはないほうがいいわけじゃない。
> それなのに、負の感情を植え付けようとするのがドラマなんです。
> ホームドラマにしても、何とかしてニコニコ気分よくしようとする。
> 要するに、感情を左右しようとするんだよ。くだらないんだよな。

そんな作りなんで
Gレコ自体は成功とは言い難いけれど
こういう方法をやった事そのものが大切と思えて
時間かけて色々反芻していたところでの
鉄血のオルフェンズ一期放送開始。

そしたらこっちはカリッカリに作り込んだ"作り話"が出てきてびっくり。

一番驚いたのは戦闘シーンが何してるのかわかる事。
どうして不利なのか、じゃあどうやって有利に立つのか
戦っている時の立ち位置と立ち回りがこんなにちゃんと描かれるガンダムは初めてで
どうせなんか混戦して撃ち合ってる風にしか描けないんだったら
マクロスがやるようなそれっぽく華麗に動かしといて見栄え良くしとくしかないじゃん、
程度に思ってた戦闘シーンに
こんな正面からの解決法があるとは思わなくて目から鱗。

ドラマ部分はミステリーを読むような意識で
クエスチョンに対する答えや
起こりうる事件と事前状況とがしっかりと対になっていて
制作者によって作られた箱庭感が心地よかった。

まぁ、全部台詞または露骨なカットで説明して
観てる人を納得させちゃうやり方で。
ぶっちゃけ登場人物の視点と価値観が全員一緒。
ドラマ創りとしては二流なんだろうけど
徹頭徹尾劇中の台詞でつじつま合わせが完結しているっていうのは
それはそれで「閉じられた世界」というか箱庭的というかで
心地良いと思えたんです。

# ドラマ『アンナチュラル』も全く同じ感想だったので
# こういう表現技法は最近のトレンドなのかもしれない。

あとテンポの速さは間違いなくスタッフの誠意。
生き別れの弟がいるんだって言ったハナから弟出てくるし
謎の仮面の男が登場したと思ったら速攻で正体見破られるしで
じらさずにどんどん次に進んでいくのが爽快でした。

メッセージ的な部分も物語内に含むんだけど
ドラマ内のギミックにとどまった印象。

そんな私の当時のコメントはこれ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/281200857/comment/junnishikaw

・他に気になったのは
富野ガンダムの表層的なギミックだけを拝借して

娯楽としてのフィクションにチューニングしていくんだな、という感じを受けた事。

後付け設定ながら白い悪魔と呼ばれた初代ガンダムに対し
ソロモンの悪魔の名を冠したモビルスーツがガンダムという設定だったり
("ソロモン"も初代ガンダムに登場する重要な名詞)

敵ロボはザクだけで最終回までやるつもりだったという逸話を
一期ではギャラルホルン側はグレイズだけという形で実現したり

人間だけを殺戮する無人機械という設定
(F91のバグ)の再利用をしつつモビルアーマーを再定義したり
少年と女しかいない部隊というのも
Vガンダムを思い出すには充分(Vガンダムには老人が加わる)。

ヒューマン・デブリもGレコのクンタラがモチーフだと勝手に思っていて、
ヒューマン・デブリ=現在進行形、クンタラ=過去形で
ヒューマン・デブリあがりの鉄華団メンバーの生き残り達が
ヒューマン・デブリを酷使した宇宙海賊から鹵獲したモビルスーツを自ら選ぶのに対して
クンタラのマスクは自分の乗るモビルスーツに
クンタラの魂の安住の地とその守護神を合わせた夢見がちな名前付けてたりと
ヒューマン・デブリとの温度差が最高でした。
最後は劇中でヒューマン・デブリの禁止が決まり
何年後かにはクンタラ化していくのかと色々考える。

あとガンダムちゃうけど最初のクーデリアってまんまイデオンのカララよね。

・個人的趣味の発言でしかないけれど
モビルスーツ演出は全然かっこよく感じなかった。

銃やビームの飛び道具なし、爆発全壊なし、っていうのは
状況説明としてすごくいい設定なのに

ドラゴンボールのバトルみたいに高速バトルしだしたのは違うだろと。
唯一二期OPのランドマン・ロディだけは
個人的趣味ながらかっこえぇ、ってなったんだけどほんとそれだけだった。

・物語的には一期は気になる部分本当に少なくて
強いてフミタンがいつノブリスのスパイになったのか?
フミタンはクーデリアが小さいころからバーンスタイン家のメイドをしていて
ノブリスがクーデリアに目を付けたのは革命の乙女として世に出てからのはずで
どこかのタイミングでスパイになったはずで
でもその流れがイメージできず。

近い件だとラディーチェがガランといつ手を組んだのか、は
ガランがラスタルの権力使って下調べしてラディーチェを見つけて接触、
…っていう流れが想像つくのだけどフミタンはそういう想像ができない。

・以下は二期の不満をたらたらと。

しょっぱなでアリウムがクーデリア暗殺を大規模な海賊に依頼するんだけど
クーデリアを自分の配下or対等な関係に置けなかったとしても
自身がクーデリアをクローズアップさせた功績は残るんだから
いくらでもテラ・リベリオニスの立て直しはできたはず。
資金援助を絶たれて冷静さを失っていたとしても
そこで戦艦複数隻所持している大規模な海賊に依頼するのが懐的に違和感。
ここでの戦闘もなんか戦況説明が今まで比ぼんやりしていて
あれ?とは思って、ほんと、少しずつほころびていくのよね。

二期は色々ツッコミたい所あるけれど
まず、バエルに月光蝶クラスの無力化兵器があったり
超広範囲+超多数のオールレンジ攻撃を搭載してたりでない限り
バエルに乗れただけであんなに強気にはなれないと思うの。

孤児の男娼(だよね?)から貴族の養子にとられ党首にまで上り詰め、
その裏で秘密裏にモンターク商会という老舗の商社も仕切っている。
それだけ多方面に頭が回り実行力のある人間が
バエルに乗れたから俺リーダーだお!…はないわ、と。

どうしてバエルに誰も乗れなかったのか?
どうしてマクギリスは乗れたのか?
そこらへんっていつもうまく台詞でまとめて納得させてたのに
バエルの件は具体的に説明しきれてなかった。
アインの手術で得たデータで大人のマクギリスに阿頼耶識の外科手術ができた?
手術してる間がいつあった?その設備や人脈のバックグラウンドは?

カイエル家がギャラルホルンに残っていないのも伏線と思ってて
マクギリスがカイエル家の末裔で…っていう
シャアのようなパターンだと思っていたのに。

以下細かい事。

・一期も二期もエピローグにじっくり時間を割いて
必要な描写をしてくれたのは好印象。
エピローグって内容でしくじると目も当てられなくなるので
それならやらないでおこうとなるのが定石の中でよくやってくれたと思う。

ダインスレイヴ、モビルスーツの携行武器にできるって万能すぎやろ。

・演技とか基本気にしないけど
コロニー編あたりのクーデリアの演技が台本の足引っ張ってるように感じたのと
ラスタが死んだ時のアジーの悲鳴は逆に演技で脚本を超えた瞬間を感じた。

・『太陽にほえろ!』は視聴率下がると
人気キャラを殺すって言われてたけど同じ事をやってた印象。
例えばシノとヤマギの関係ってわかる人だけ用のお遊び要素にしか見えなかったのに
シノを殺す為だけにピックアップしたよね?と感じた。

・オルフェンズ世界の火星は
僕らの知ってる火星とは別の星で
1/3Gじゃなくて1Gと思い込んで観てました。
それなら火星地球間の航路3日とかに縮めてよかった印象。
ぶっちゃけデロイアでよかったんじゃね、と(笑)。
ただデロイアと決定的に違うのは
オルフェンズの火星は資源を掘りつくした後という事。
デロイアが同じ資源状況ならああはならなかったはずで。

以下当時のTwitterから

・一期の最終回ではモビルスーツの腕(フレーム)が切断された時に物凄く驚いたのに
二期の後半から手足が容易にもげるのに納得がいかない。
あと二期からモビルスーツ操縦中の独り言が
相手に伝わって会話になるの前提になったのも気になる。

・ヴィダール(人物、MS共に)の種明かしと
マクギリスの勝利の定義に藤子Aばりにズコー、と。
感覚的にはバイファムの再生装置の正体でずっこけたのを大盛りにした感じ。
地球支部編終わりあたりから造りがガタついてきてたとはいえ
ここまで持ち崩さなくても。

マクギリスまさかのラコック(ダグラムの登場人物)化で
これほんとにトドに「寄生虫めが!」って言っちゃって
銃殺エンドなるでぇ、とドキドキしている。


2~3年前に超時空要塞マクロスを見た時のメモが出てきたので上げる。

2019-01-09 12:13:53 | 紹介・感想・レヴュー

2~3年前に超時空要塞マクロスを見た時のメモが出てきたので上げる。

●前提知識

・ほぼリアルタイム(1982年?)以来の視聴。

・4チャンネルで13時半から『愛の戦士レインボーマン』で
14時から毎週1時間放送してた記憶があるんだけどこれは記憶違いだと思う。

・レインボーマンなんて子供番組もう小学一年生なんだからまんまと乗っからないぜ。
もっとオトナなマクロスが楽しみなんだ。と、意識しつつも
見続けると面白いのは俄然レインボーマンで
まんまとレインボーマンに夢中でくやしかった記憶。

・マクロの空、が何なのかはいまだに知りたい。
とにかく稲妻が地球を打つ前に貫いたものとは分かった。

・宇宙のはるかかなたの爆発を
三日月状にする演出に斬新さを感じた記憶。

・いつも輝がカイフンに殴られていた記憶。

・中森明菜物語等々のアイドル物語で
「アイドルは裏では悲惨な職業だから安易に応援してはいけない」
という価値観を与えられた世代なのでミンメイには納得していない。

・ミンメイがあっさりデビューして
あっという間に人気物になるのに猛烈な違和感があった記憶。

・ゼントラーディと地球人のカップルのエピソードはほほえましかった記憶。

・イマイの可変バルキリーのプラモデルは憧れでした。
プラモデルのほかの記憶はポリキャップってなんだろうと思って組んだこと。
ポリキャップだと関節へたらねぇ、って感動に気づいたのは
もう少し後だったはず(バイファムあたりっぽい。)。

・プラモデルがクラスの男子多くにとっての嗜みだったのはマクロスが最後で
マクロス以降はクラスでプラモデルを続けたのはごく少数と記憶。

・高校生時代に朝再放送してたのは知ってて少し見たけどパッとしない記憶。
早瀬未沙と輝が洞窟でいちゃついててこんなアニメだったかと困惑した記憶。

●観た後

・OPの歌詞は不時着したマクロスの事を歌ってるんか。
(地球を撃った雷、は不時着したマクロスの比喩)
でもマクロの空、が何かはわからん。無念。広大な空?的な?

・ミンメイここまで悪女だったとは、ひどすぎる。
強いて弁護するならメンタルこじらせてあんなことしてるんじゃなくて
純粋に環境に恵まれてての天然と計算なんだなという点か。

ダグラムのリタと同じなんだけど
リタは自分の持っているカードだけでどうやって生き抜くかの結果
ああ振舞うしかなかったという点の違いが大きい。
そして異性に恋愛感情をあおらせる生き方を選んだリタの最期は
自身の異性への恋愛感情だったという皮肉。
ダグラムはその辺のまとめ方が本当にうまい。

・輝とミンメイが二人で暮らすシーンを
観てて平気かが以後の視聴の関門として成立していたと感じる。
この展開に耐えられたものだけが続きを見なさいと。

でもこれだけ(3週間?)一緒に二人での生活をしてたらどんな男でも惚れちゃうよ。
輝君の「惚れた弱み」という受難がこれから続くのかと思うと心が痛む。

・意外にマグロの展開は違和感なかった。
ミンメイ実家横浜だし輝君は明らか日本人だしで。じゃあマグロ大好きだし。
頭だったから兜煮できたしでしっぽじゃなくてよかった。

・輝とミンメイの声優さんのあの技量の緩さでの掛け合いが
だんだん癖になってくる。
フォッカーが神谷明なのがちょっと違和感だったんだけど
輝とミンメイのやり取りが続いて頭がラリりそうになった頃合いに
神谷明の演技が挟まると理性が回復できます。

・話は意外とするする見れるのよな。
ひどいとされる動画部分は見逃そうと思えは全然見逃せる。

・このリズムというか面白さは
車田正美やゆでたまごのそれと空気が似ている。
まさかマクロスにこのテンポを感じることになろうとは。

・ガンプラブームでロボットをAFVとしての方向性でディティールアップする流れができて、
ダグラムとザブングルがそう流れたのに対して
マクロスは航空機の方向に行ったのは企画意図としてすばらしい。
戦闘もスピード感とカッコよさが引き立っている。

やっぱり放送映像中のメカがかっこいいなぁ。
初代ガンダムしかり作中映像のタッチで立体化しようぜ。

リガードの雰囲気が記憶とだいぶ違うのが斬新。

・フォッカーとクローディアが交際しているはずなのに
全然一緒にいないのが気になる。

・舌打ちの演技がデフォルメなしのリアルな舌打ちで
しかもそれが結構な頻度であるのが違和感。
当時のアニメってこういうもんだったけど忘れてるだけ??

・検索して見つけたWebサイトのマクロス感想。
http://kaedeko.sakura.ne.jp/3d/sen/mac.html
> 「カタログアニメ」・・・・それが、今は亡きアニメック誌が、マクロスに与えた称号であり、評価であった。
> その意味するところは文字通りで、つまり視聴者は、マクロスという作品のお気に入りの部分を、それぞれに楽しめばよいということである。
> SFっぽい設定(イヤミです(^^))を楽しみたい人、美少女キャラを楽しみたい人、カッコイイ変形メカニックを楽しみたい人、他愛もないラブコメを楽しみたい人、迫力ある戦闘シーンを楽しみたい人等々が、めいめいお好みの要素を楽しめばよく、実際マクロスという作品は、舌足らずながらもそれらの要素をデパート的、カタログ的に取りそろえた造りになっている。

ちょっといじわるな視点だけど
こういう事を言いたくなる気持ちはわからないでもない。

・安原君が言うほど突っ込みで楽しめる感じはなかったなぁ。
どちらかというとぐったりする突っ込みが多かった。
後述する次回予告とか。

・輝君ってカイフンに会うたびに殴られてた印象だったのに
全然そんなシーンなくておどろいた。
悪態ついてるだけだった。いや、それも大概か。

・事前に思ってたほどお話自体は迷走してると感じなかった。
どう進んでどう収めるんだろう?って思いながら観れたので退屈はしなかった。

・2部は最初はいい感じだったけど最後の方はネタ切れ感著しく苦しかった。

・物語が硬直した時はいつもカムジン頼みで実は一番の功労者。
で、最終回の扱いがあれではちょっと救われないなぁ。

・カイフンもドラマに都合よく悪人だったので
彼がああなった過去とか事情が絶対語られる回があると思って観ていたのになくてがっかり。

・ワレラ、ロリー、コンダの3人がマクロスに潜入してから
すごく観やすくなった。彼らとミリアの潜伏生活はもっと観たかった。
個人的にはワレラ達三人の生活費獲得手段はセリフで一言だけでいいのでほしかった。

・wikipedia『マクロスシリーズ』によると、

> それぞれの物語は、架空の世界(マクロスワールド)の歴史的出来事をモチーフにして後から作られた創作作品(フィクション)である。
> 史実をもとに制作されたが、描き方まで史実通りとは限らない。

との事で、
このアイデア初めて聞いたときは発明だって思ってけど

あまりにこの考え方の適用範囲が広すぎて
例えばこのあたりのくだりを見てると

> 登場するメカも架空の実在機を各作品のスタイルにアレンジして「出演」させたもので、本来の姿は別に存在する

段々「全ての批判は受け付けません」って子供な対応に感じられて良い気はしない。
アイデア自体はSF的というか現実のノンフィクションとされるもののメタ表現としてすっげぇ面白いんだけど。
(ノンフィクションとして世に出ているものも絶対に制作側の意思が介入する、という意味で。)

・あと2回で終わりっていうところの次回予告が
以下で本気で萎えて(終わらす気あんのか的意味で)
ここまで来た視聴が途切れそうでした。

> 輝とミンメイは2年振りに2人だけの時を持った。
> しかしそれは未沙とのピクニックの約束を破った結果である。
> それとも知らず未沙は1人輝を待っていた。
> 次回『超時空要塞マクロス』『プライベート・タイム』。

・『愛・おぼえていますか』は
不本意なクオリティであったであろうTV版の雪辱戦と思ったので続けてみました。
子供のころ面白かったと思った映画独特の力押しなシーン運びが懐かしい。
ここは懐かしく楽しまないと損かなぁ、と思いながら観た。

正直作画に興味はないのでコメントはできかねるのだけど
巨人のミリアを見たマックスの「美しい」のシーンはこの画質で見れて良かった。
大画面前提の演出多めだったから劇場で観たら化けるだろうな、とも。


自分の作品鑑賞眼に自信がなくなってきた

2018-08-10 22:30:07 | 紹介・感想・レヴュー

●自分の作品鑑賞眼に自信がなくなってきた。

昔みたいに「面白かった」「つまらなかった」
と言い切るのがなんていうか怖くなった。
自分の鑑賞眼がフシアナになったのか、
元々フシアナだったのにやっと気づいたのか、
どちらかはわからない。

●そんなフシアナっぽいここ数年の作品鑑賞眼。
目安になるかはわかりませんが、最近観たものを紹介します。

●盗作疑惑と内容が薄いとの評価で世間でとっても不評とされる(一例はこちら)
(上記記事は本文が削除されてしまったので補足や削除前の魚拓URLがあるはてブはこちら)

『回復術士のやり直し』を第9話-2まで読んでみたのだけど

読んで思ったのは
「こういうのウケる層は多そう。
スピード感が最重要と感じた。
結末どうするかは気になる。
他人には勧めない。」位です。

●次は大好評の例として
平日休みの日なら…と観に行こうと思うもすべて予約で満席
(厳密には「残席わずか」が一コマだけあるも行けない時間だった)な
映画『カメラを止めるな!』を観てきました。

感想こんな感じ
1ツイートで感想書ききれた。

強いて付け加えるなら最後の成長描写は良かった。
あれなかったら評価大分落ちてる。

●そんな私が今普通に面白いと思っているのは
中村博文『パンプアップ』
物語の運び方、ちょっとしたキャラクターのしぐさや台詞、
作品全てが優しくて観ていてじんわりと安心してしまう、そんな漫画。
多分次回で最終回。

●…と、こんな自分の鑑賞眼ですが、
自信を失った切っ掛けは
森下裕美『大阪ハムレット』の『サリバン先生』。
(Webで前編のみ読めます。後半は単行本5巻にて)

読んでて揺さぶられるけど
これを良いと言い切っていいのかわからなくて
なんていうか、悩んだんです。

この時はしばらく悩んだ末に
Twitterにて思いを吐き出している

●次に同じ感覚になったのは、
S.SHIMIZU『ヨゾラノ星』

これは『サリバン先生』の比じゃなく揺さぶられた。
しばらくたっても頭から作品が抜けない。
…いや、いつまでたっても頭から作品が抜けない。
そしてこの作品への思いを吐きだそうにも

適切な語彙を選べない自分がいる。

このシーンはあのシーンとかけてるな、とか
キャラの立ち位置(物理的にも構成的にも)考えてるなー、とか
相当調べて描いてるよね、とか、
色々思うところはあるんだけど
そういうのをピックアップして語る事が
なんていうか違うだろって感じてしまう。

●んで、この作者さん
毎年8月6日に原爆に関する作品を
アップロードしているようで
『ヨゾラノ星』以外の作品も追いかけていくと、

『暗闇を逃れて』
未完に終わった『はだしのゲン 第二部 東京編』が描こうとしていた
被爆者差別の話じゃないかと思えたんです。

中沢啓治が東京編の執筆をあきらめた時に
ゲンの続きはみんなが考えて欲しい、
という旨のコメントを残した、って記憶があって
まさに此処に形になったそれがある、と思ったのです。

そこまで思うと『ヨゾラノ星』って
『はだしのゲン』の別作者アプローチ…みたいな感じ??って気がしてきて、
(作者さん『はだしのゲン』のイラストも描いてた記憶がある。)
例えにならないかもだけど
フジファブリック聴いてるとユニコーンを感じるような感覚で。

●トラウママンガの代表格にされがちな『はだしのゲン』ですが
私は違和感なく普通に読めるタイプで、
初めて読んだ時、子ども心に
これは自分が今夢中で読んでいる連載中の漫画達より前の世代の漫画……
…いわゆる「古典」と認識する事で
距離を置いて読むことができた、
という部分が大きかったと思っていて、

ゆえに作画もネームもプロットも
現代寄りの『ヨゾラノ星』では
『はだしのゲン』ではかわせていたボディーブローを
マトモに喰らったという事なのかもしれない、
と理解するようになってきました。

●と、頭の中が整理しきれてはいないものの
心の中で私はこの作品を読んだ、という事を
S.SHIMIZU様へのエールという形で
Webに書き残したいという気持ちがあるのは自覚できまして、
作者がなんらかのアクションを起こす可能性のある8月6日までに
私はこの作品を読んだよ、というブログ記事が書きたかったのです。

●…と、うだうだと文を推敲したりしていたら
今年の8月6日に『ヨゾラノ星2』が始まったんです。
前述したように8月6日に作者からなんらかのアクションはあると思っていたので
それまでにこの記事を書き上げたかったのですが
(それでもまさか続編とは思っていなかったので驚いたのなんのって。)
実はワタクシ今11年振りに演劇脚本を書いてまして
そっち書くの優先してたら乗り遅れてしまいました。

なのにうっかり『ヨゾラノ星2』の1話を読んじゃったもんだから
またずっと頭の中でぐるぐるぐるぐる回り続けるの。
脚本書く時に頭から切り離せなくて大変でした。

●長々とと書きましたが
結論としては『ヨゾラノ星2』を見守っていきたいな、という話でした。
完結した暁には前作ともども紙でも電子でも書籍化して欲しい。買います。

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●蛇足。
自分の語彙が喪失している件、
2年前に書いた『爆Tech!爆丸』の感想が大概ひどかったのを思い出した。
語彙なんてそもそも持ち合わせてないっぽい。


ニューエスト・モデル思ってた事メモ

2016-07-10 01:29:38 | 紹介・感想・レヴュー

以下散文ですが個人的控えとして。

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●被害者ぶってるけどアンタが加害者なんよ、という語り口が斬新だった。
超ざっくりで言うとショック療法的な「優しい罵倒」だったと思う。
だから、うまく言えないけれど、えび加藤健『天国だった、けど』や
トモフスキー『我にかえるスキマを埋めろ』のような方向に行ってほしかった。

●『ソウル・トゥ・ソウル』の
「あんたが喜びゃ誰かが悲しむ あんたが楽すりゃ誰かが苦しむ」も明快な表現だと思う。


最近読んだ『大阪ハムレット』3巻「女忍者の夏」が
まさにこれ(あんたが楽すりゃ~)で
ニューエスト的なエピソードと思った。
変わんないんだよね。悲しくも。

●しかし思えば有名な「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」や、
「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう」を超える詩は
ニューエストになかったのかもしれない。これはくやしい。

 ●個人的にニューエストのノリを受け継いだアーティストって皆無で
強いて、地獄のミサワの『女に惚れさす名言集』が
かろうじてニューエストの後継だったのかも、と思う事がある。

ミサワは「笑われる対象」にするというテクニックで魅せたのだけど。
そういう意味では「ドヤ顔」という表現も方向近い。

●ニューエストに明確な後継がいないのは
単純にこういう表現が「カネ」にならないからなんだろうなー、と。

 
以前もブログに書いたけど
ソウル・フラワー・ユニオンの『エエジャナイカ』は
ニューエスト的芸風からの決別の表明だと思っていて
彼ら自身が見切りをつけて
「もっとマシなトコ行くわ」って決意表明だったのかと思っている。  

で、次のシングル『宇宙フーテン・スイング』で
「逆立ちして地球を持ち上げて」、とか
「世界が闇なら素敵 みんな輝いているから」、みたいな
今までだとありえない歯の浮く歌詞を提示し
今までのカネにならないファンをふるいにかけ始めたんだと思う。

個人的にトドメは『極東戦線異状なし!?』で、
「この惑星じゃ今も子どもらが「ママ」と叫んで虫けらみたいに死んでいく」
、って歌った訳だけど
この歌詞が好意的に受け入れられる環境が
彼らにとっての「もっとマシなトコ」だったんだろうなぁ、と。

●(追記)

『続・ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー』にて
中川敬によるニューエストモデルの自己評価が
「冷笑家でシニカリストの逆張り野郎。」で笑う。


関連リンク

ニューエストモデル私評


ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー、個人的控え

2016-07-10 01:12:46 | 紹介・感想・レヴュー

過去に個人的控えとして書いた文ですが以下載せとく。

2016年6月18日(土) 19:00開演 umeda AKASO

●Twitter引用

https://twitter.com/JunNishikaw/status/744099616476434432 

○○30周年、的なフレーズが散見される昨今、
個人的にはニューエストモデル30周年一択なのです。
私の中で一番最高で最強なミュージシャンで
過去に書いた芝居脚本ほぼ全部こいつらのリスペクトとアンサーと言っても過言ではない。
今日は楽しむでー

https://twitter.com/JunNishikaw/status/744105531292295168

ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー、もうすぐ始まる。
時間限定再結成なかったら泣く。男女比は男性多め。
物販は(何回目?の)ベストアルバムとTシャツ買った。
個人的にMSX版メタルギアTシャツと並ぶ自己紹介アイテムになる。

https://twitter.com/JunNishikaw/status/744149790863220736

ニューエスト30周年ライヴ終り
出鼻ディスコ・アームド・ピース(劇団時代必ず(以下略))で満腹
やはりナレッジじゃなくノーレッジ
当時のファッションの客が素敵
ユニオン4曲位でずっとニューエスト+メスカリンで感無量
雑種天国なく残念

●ここから雑感。
しょっぱな『ディスコ・アームド・ピース』でもうお腹いっぱい。
そのまま『こたつ内紛争』『デイズ』とどうしようってラッシュで驚きと興奮。
確か次が『風の市』でクールダウンするはずが
やっぱりみんな知ってるユニオンの曲だと前列客の元気さが違う。
昔の曲でも外交不能症とかだと今でもやってるだろうしノリはいいんだろうけど
メスカリン曲の客の元気のなさが露骨だった。
『ノーノーガール』でテンション低いのあかん。

シングル曲では雑種天国と杓子定規がなかったのかと。
ビートのいい曲を積極的にチョイスした結果だと思う。
いや、『もっともそうな二人の沸点』もなかった。これがないのさみしい。
そのおかげでまさかの『ソウル・サバイバーの逆襲』。やるとは思わなんだ。
これの錆のメロディってほんとおかしい。でも超ポップなんだからたまらん。
シングル曲以外だと確かユニオンでもしてたはずやけど『偉大なる社会』はうれしかった。
『ラジエーション』だっけが封印曲だったはずでそれでなかったのか?

当時の中川敬の呼称「番長」って叫んだら
隣の明らか当時のファッションのお姉ちゃんが
やはり当時の呼称「ゲイリー」って叫んでて噴いた。
その人はMCのニューエストだから久しぶりに来た人いる?に、
はーいって手を挙げてた。

そんなお姉ちゃんしかり
うつみようこのタンバリンさばきしかりに
亡き姉の影を感じたりで
姉の生きていた空気、はあったように思う。

まみちゃんとこが遺影担いでライヴ行ったように
ウチもやろか(『じゃりン子チエ』のアントニオ状態)
とも思ったのですがやってたら遺影落としてそうだったので
しなくてよかったなと。はい。

あとはこの流れで未CD化のデモテープ『爆弾じかけ』はよ!
メスカリンの長い事未CD化だったデモテープ『ライアー・ライアー』が
すっげぇよかったので期待してるのです。


ピースコン初体験

2015-07-25 00:01:08 | 紹介・感想・レヴュー

妻の整理物から
オリンポスのエアブラシ、ピースコンのヤング8が出てきた。

当時ピースコンはエアブラシの代名詞と言えるほどの有名ブランドで
漫画家を志した子どもならロットリングとあわせて憧れのブランドでした。
ワタシはプラモデル趣味が高じてMr.プロスプレーデラックスを買ったのですが
妻はローエンドモデルながらちゃんとピースコンを買ったのです。

結局二人とも当時の子どもたちの例にもれず
エアー缶を追加するほども使わずに
押入れの肥やしになったわけですが。

で、発掘されたピースコン。
せっかくなので使おうぜ、と
ネットで調べたりお店で聞いても
どうにも情報がピンとこない。

エアー缶に互換性がないから

現代のエアー缶→ホース変換→ホース→ジョイントバルブ→ピースコン

という変換か

コンプレッサー→ホース→ジョイントバルブ→ピースコン

とするかとの事。

ここでコンプレッサー買って
ピースコン壊れてたら笑えんので
まずエアー缶を買って試したい。

近所のお店でタミヤとクレオスのエアー缶の在庫品を
安く売ってくれたのでそれを試す。

…て、普通につながるじゃねぇか!!
ピースコン純正もタミヤもクレオスも
エアー缶の取り付け部分の形みんな同じじゃねぇか!!
これデファクトスタンダード化してるで。

早速試しに吹いてみる。おぉぉぉ、めっちゃ綺麗。
今回は試してないけど細吹きが現実的な予感。
掃除も(基本面倒だけど)覚悟があればそこまでダルくない。

動くことがわかったので
次に必要なパーツはジョイントバルブ。
メーカー倒産の為に純正は在庫のみ。
それを割高価格で売っている所は確認。
エアテックスの互換品は絶版。
タミヤは2か月前に出たカタログに
互換品の取扱いありって書いてたのに
問い合わせたら在庫なしとの事。
他にもオリンポスの下請製造会社だったらしいところの互換品や
他メーカーの互換品も確認。
だができれば店頭で実物がみたい。送料もかからないし。
そしたら心斎橋のカワチで
トリコンの互換品を取り寄せれるとの事でそれを購入。
ばっちり取り付けられました。
ここの部分もデファクトスタンダード化してるっぽい。 

これでエアー缶でもホース経由で使えるようになり
コンプレッサーが選択肢に入りました。
とりあえず今はここまで。
覚書程度に書きました。 

 

※追記

成分がDMEに変わっている現代のエアーカンでは
ハンドピースに使用されているゴムパッキンを痛める可能性があります。


『大人の大人による大人のための爆丸大会!』雑感メモ

2013-08-04 02:05:53 | 紹介・感想・レヴュー

去る2013年7月14日(日)に
ジョーシン川西ダイエー店キッズランドにて開催されました
『大人の大人による大人のための爆丸大会!』。

http://www.bakugan.jp/event/baku_adults/

公式ブログのイベントレポートはこちらになります。

『爆丸史上初(しじょうはつ)【大人のための爆丸大会(たいかい)】★ジョーシンダイエー川西店(かわにしてん)★レポートその1だよ♪』
http://www.bakugan.jp/blog/?p=25559

『【大人(おとな)のための爆丸大会(たいかい)】★ジョーシンダイエー川西店(かわにしてん)★レポートその2だよ♪』
http://www.bakugan.jp/blog/?p=25943

当日は私も参加させて頂きまして
当日の様子はTwitterにてリアルタイムに報告させて頂いたのですが
ここでは個人的な感想を残しておこうと思います。

以下完全に箇条書きです。
読みにくいですがすみません。

●Twitterでの写真撮影の件。
できるだけ個人の顔が露骨に写らない様に気を付けましたが
完全ではありませんでした。

言い訳にしかなりませんが
当日撮った写真は全てマクロ設定で撮って
若干ボケ気味になるようにしてました。

●実は一番心配していたのは過酷なタイムテーブルを見て、
(過去の大会の流れから時間が押すのは明確で
休憩もできるか怪しい流れが充分に予想できたのです。)
もし当日に子ども達の居場所がなかったら
大会は参加せずに子どもの相手をしよう、と
本気で思って会場へ赴いていました。

だって子供連れで来るお父さんが
参加が確定してる組だけでも相当いる訳で
明らか手持無沙汰になるであろう子ども達を
退屈させないようにしなきゃって思うじゃないですか?

早めに到着した会場に
多めのバトルフィールドW STD(確か9枚)と
「爆ロングシュートチャレンジ ガチ」が搬入されたのを見て
あ、子供も大丈夫そう、と安心しました。

爆ロングシュートチャレンジ ガチの雰囲気と
子ども達が独自に切り盛りしてえらい時間かけて行なっていた
アルティメットトーナメントの様子がほとんど追えなかったので
公式ブログのレポートを見て楽しんでたようで安心しました。

子ども達は大人大会のエントリーの手伝い。
参加資格(当日500円以上の爆丸関連の買い物)を
満たしているかのチェックや、
イトチャンから預かった記録用カメラで
ブログ用の記録撮影も行なっていました。

●わかる人用の文その1。
イトチャンに「朝から1日ずっとよろしく」って言われた。
俺に子どもの心配している余裕はありませんでした。

●自宅で練習するようにスタンドしないのは
半分は練習不足、
半分は環境が変わると自宅練習通りには全然いかない分、

これは今までのイベントでの組手で理解しているつもり。

それでも「これはただの練習不足だなぁ」、というシュートを
大事な所で何度もやらかしたのも事実。

前日の練習で全然サイドスピンができなくなって
なんで?なんで?って思いながら当日挑んでいたので
サイドスピンはほとんど失敗でした。

●そして全般的にシュートミスが目立ったのは
フィールドが新しいタイプだったから
みんな慣れてなかった、って部分がゼロじゃない。
ちょっとあれのスピードタイプフィールドの質感違うもん。
(バトルフィールドW STDでした。
普段この会場はひとつ前のバトルフィールドWを使用。)

●そして試合中のとんでもない緊張感。
いつもは子どもが試合中にちょっかいだしてきても平気なのに
今回はちょっと強めに「今はやめて」、っい言ってしまうほど。

ここまでピリピリして試合に集中したのは初めて
これはこれで新しい感覚で悪い気はしません。

●予選用の10ターン版のガチ爆タイマーが初お披露目。
ここまでしても試合密度を詰めて挑む運営の姿勢に惚れます。
そして10ターンは戦略がかわる。どんどん攻めないと普通に負ける。

●私、毎週爆丸イベントで子ども達と組手をして修行したので
大人バトラーの中では比較的実戦経験はあるつもりですが
経験と実力の比例っぷりは本人のセンスによる部分が大きいと思います。

修行の成果は1か月ちょい位で、
メタルは7つ獲得。
爆スロンカードは5枚埋めました。

で、結果は6戦して2勝2敗2分、
2勝がどちらも妻からだなんてとても言えない…。

●わかる人用の文その2。
もう暑くて暑くて

●観戦メモ

・ガノレーダを続けざまに2体破壊したお父さん。
見たところクリティカル狙いの普通のシュートなのに…。
壊した側は申し訳なさで辛かっただろうなぁ。

・羅ビヨンドのシリコンバリア以外のメリットの話が興味深かった。
その発想はありだと思った。

・「お母さんのデッキ私がつくってんー」っていう
子どもの説明を聞きながらその子のお母さんの試合。
「お母さんはこうでこうだからあの爆丸にしてー」って言う横で
お母さんが上手くシュートできない。
よく見るとクロスとソールがどちらもメタル。
「ちょ、ソールはノーマルにせな!」って言うと、
「あ、あれ私とちがう、私とちがう!!」と
おろおろする子どもがかわいそうだったけど
ほのぼのしたいい雰囲気を感じられました。

・アルティメットでベスト4、
36リミテッドとガチ爆で準優勝した人の
腕前が半端なかった。
実戦経験でないと絶対無理な腕前。
どこで組手してたん?って印象の人でした。

その人のガチ爆の決勝戦での
圧倒的な攻めが印象的で、
相手はアルティメットと36リミテッドの優勝者で
チャンピオンVS挑戦者の様相だったのですが
どんだけ相手に崩されても
すぐに体制を立て直して
自分有利に築き上げるのが見てて恐ろしいくらいでした。
完全にテクニックで押してる印象。
これは15ターンでゲームセット勝ちか、と思った矢先に
ラストのターンでまさか、まさかの大逆転で敗退。
チャンピオンの3冠になりました。

本当に漫画みたいでした。
勝ちが決まった時の優勝者のガッツポーズの
力の入り方が半端なかった。

●イベント終了後に
この日の為に遠征してきた東海の親子達とで
親睦戦をしていたのですが
スタミナ切れで参加も観戦もままなりませんでした。

●そして、
ついにル・モクバさんが公式ブログで初公開!!

モクバさんの柔道着、私提供です。

劇団時代に演った公演で
正体バレバレな柔道着姿の覆面キャラがいて
モクバさんの柔道着はその時の衣装です。
正体バレバレで売っているモクバさんとキャラかぶりまくり。

●今回の大会で初めて行なわれた新レギュレーション、36リミテッド。
大人大会はそれの試験の意味もあったと思われます。

みんなでイトチャンに
36リミテッドは36を1体ではなく
3体すべて36にすべきだ。と進言。

36最低1体組み込み、のルールでは
主戦力の爆丸を2体用意して
36はいかに邪魔をしないものを選ぶか、になってしまい
36がデッキ作成の"縛り"でしかなくなってしまう。

3体すべて36なら全く新しい戦略もあり得るかもで。はい。

●爆丸とは直接関係ないけど、印象的だったので以下。
イベント中、しょんぼりして歩く男の子。
どしたん?って聞くと目に涙がいっぱいあふれだして
「お兄ちゃんが蹴った」って泣くんです。
あ、第三者が気に留めた事で悲しみが増大しちゃった。しまった。
「全然痛なかったやろ?」って
大事じゃないよ感を出すのですがうまくいかずで、

そしたらその子と仲のいい女の子がきて
泣いてるその子のほっぺたを延々伸ばしたり縮めたりして遊ぶ訳。
そしたらその子の涙がだんだん止まっていって
最後にはにっこりわらってました。

その女の子の空気の読み方のすばらしさはもちろんのこと
するっと違和感なく場が変わっていくのを見て
あぁ、子どもってすごいなぁ。
と関心しきりになった出来事でした。


NHK連続テレビ小説『純と愛』が本気でおかしかった件について

2013-03-31 04:09:59 | 紹介・感想・レヴュー

私個人を存じている身内の皆様は
俺がこのドラマに対して
この位は怒っても罰はあたらんやろ、
と思ってくれていると信じて以下書きます。

何もこの日に書くことないんだけど、
最終回が30日で
この記事書くためのウォーミングアップに
他のブログ記事書いてたら
31日になってしまっただけなのです。
いや、ほんとに。

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さて、最初にこのドラマが始まった時、
今回は凄いの来たなって思ったんです。

今回はジュブナイルの味付けで

# 他人の心が読める、なんて
# 完全に子供の願望ですから。
# だからジュブナイルだって思った。

あえて視聴層の好みと違うタッチで攻めるのか!?と。
こりゃ朝ドラに風穴を開ける気なのか!?と。

朝ドラもさすがに戦後昭和ネタを
3作品も連続してやってると
この位は冒険してもいいだろう
、と思った訳ですよ。

個人的には長編向けの初期設定ではないと思ったので
一週間で15分×6回。
OPとか抜いても一週間78分位を半年続けるには
よほど工夫しないとしんどいだろうなぁ、と思いつつも
前回の大阪の仕事だった
『カーネーション』が本気で凄かったので
こんだけ飛び道具設定でもちゃんとうまくまとめるんだろうな
、って思ってたんです。

主人公の周りのキャラクターのネガな部分のデフォルメが
ステレオタイプすぎだなぁ、と思いつつも
序盤で親に隠れて弟をいじめている子どもを
愛が叱る時の台詞がすごく良くまとめてあって
俺が脚本だったら同じセリフ書いたなぁ、って思ったのです。

この時点で俺が認識していたのは

家族との死別で
残された家族は
それをどう受け止めて
どう乗り越えていくのか

というお話だと信じて疑わなかった訳です。

正直、家族との理不尽な死別を
体験している家族は増えていると思う。
そしてこの作品はそんな決して少なくない視聴者への
エールとする作品だと俺は信じていたのです。

具体的には愛の能力が弟の死を
ひこずっている事のデフォルメ表現で
この力と純の行動力とで
ホテルで出会ういろんな形で苦しんでいる人達を
助けていく話だと思っていたのですよ。

要は『エスパー魔美』のフォーマットだ。

そしてそうする事で残された愛の心が癒されていき
少しずつ立ち直っていけるドラマだと思っていたのです。

なんとなく手塚治虫『きりひと賛歌』後半の
イメージっぽくなるのかな、とか考えていました。

それがまぁ、すごいひどい事になったよなぁ。
どうやったらあんなにダメになるんだろう…。
別の意味で朝ドラに風穴を開けたひどい内容でした。

まだ序盤は桐野の台詞が非常に場に対して的確で
まだ救いは…ある、のか?と思っていたけれど
そんな事は全然なかったのでした。

舘ひろしが裏もへったくれもないってわかったあたりで
俺は絶望しました。

まぁ、ほら、でも
スケジュールと予算の中で…って圧迫があるから
アイデアもスムースに出ないとは思うんです。
特に沖縄を純の実家に設定した以上
沖縄ロケの予算をどう割り振るか。
物語内の沖縄比率をどこまで絞るか、って
戦いはあったと思うんです。

それを思えば実家のホテル再建編がありえないのは想像できた訳で…。

# 『てっぱん』後半で舞台に福岡が追加された時、
# 福岡のシーンはワンルームマンションの一室だけでやりきったんだけど
# 観てて毎回ドキドキしたものです。

つまんないものを
「まずね、靴がダメ。カバンもダメ」って
『ビーストウォーズリターンズ』のナイトスクリーム(違う)みたいに
ダメな部分を抜き出して語ることは全然可能なのですが
それは多分書いてて辛くなっちゃうと思うし、

ピクサーの人も
「つまんない作品を観たらどうしたら面白くなるか考えよう」
って言ってたしで
できる限り(出来る限り!ですよ。)重箱の隅つつきはしないようにして
書いていけたらなと思います。

さて、昔『ロマンシア』っていう
とんでもなく難しいゲームがありまして
JICC出版の攻略記事が「必勝法」ではなく「必敗法」で
「こうするとクリアできなくなりますよ」って記事が
エンディング直前までびっしり載っているという。
この脚本も「こうしたらダメだ」の塊で、
そういう意味ではこの脚本は良い教科書だと思います。

# ちなみに俺はこの「必敗法」でロマンシアをクリアしました。
# ぜひとも『純と愛』からも名脚本の秘訣を得たいと思います。

で、思ったのは
これは『サルでも描けるまんが教室』の劇中劇、
『とんち番長2』を単体で観ている状態で
相原竹熊パートは俺たちで考えるんだ、という事。

なので、さっそく考えてみた。

メインライターは
重役の娘とかそんなコネで抜擢された
商業脚本未経験のいつもゴスロリファッションの
30代女性(以下ゴスロリ)で

# この手のネタを書くと
# その昔知人がコナミ『XEXEX』の絵を描いたのは
# 重役の娘でコネで参加したんだ。
# って言ってたのを思い出す。

ゴスロリが「あんな事いいな♪できたらいいな」を地で行って
自分勝手で無軌道なストーリーを展開していって、
サポートにベテランの初老の男性作家がいて
ゴスロリがその人に「あたし思いつかないけど
ここで桐野には説得力のある事言わせといて」
って丸投げした部分にゴスロリへの皮肉を
台詞にして書いてるんだなぁ、と妄想してました。

で、芸能事務所との付き合いで
キャッシュフローの事しか考えてない
ライターがもう一人サブでいて
役者に花を持たせる事にしか手を入れなくてで

三人とも自分の事しか考えてないから
どんどん話が破綻していく。

…っていう舞台裏を想像しながら

初期設定の関係で
途中で視聴を切る選択もできず
しっかり視聴こそしないものの
流し観はしつづけたのでした。

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で、放送もあと一か月を残すのみとなった3月1日。
朝ドラの次の番組(『あさイチ』)で
朝ドラ収録完了との事でぽちぽちと話があったんです。

番組内で聞いてもないのに
賛否両論って単語がぽんぽん出てくるんで
よっぽど評判悪かったのかなぁ、と。

最終回まで我慢して観て
ブログできっちり文句書くつもりだったので
あえて本編以外からの情報を断っているので
一体世間はこのドラマをどう受け取っているのかが
気になる次第。

# 唯一放送中に観たWeb記事はホッテントリからの虚構新聞の記事。
# はてなブックマークが作品批判の嵐で安心したものです。

# この記事を書くにあたって表記の確認などで
# はじめてWebで検索とかしてます。かなりドキドキ。

で、脚本家の人が画面に映ったんだけど
なんか一緒に酒飲んだら
しんどそうなおっさん(同世代??)でした。

で、その人の顔見て思い出たイメージ。

そっか、これケータイ小説のフォーマットだわ。

『吼えろペン』でプロレス漫画を読む時は
頭の中のチャンネルをそれ用に切り替えないといけない
、ってシーンがあって
俺がケータイ小説用のチャンネルを
構築できなかっだけなのか…と。

そう思えばダメな部分が一貫してブレていないのも頷けるんです。
『ウルトラマンネクサス』が「路線変更は視聴者に対する裏切り行為」として
意地でも路線変更しなかったって件を思い出した。

 

もしくは『ラヂオの時間』ばりに
オンエアされた内容はいろんな人の手がかかって原型を保ってない状態で、
脚本の人が全て自分の責任としてかぶっているのか?

…という想像は頭に浮かびました。

----------------

…と、言う訳でこちらからは以上です。

以下は過去にメモしていた
気になった事一覧。

正直メモするのもままならずで
埋もれた不満が少なくとも
以下文の3倍はあったと思います。

●フィクションって"課題"と"解決"なので
それを普通に放棄するのは
ナシとまでは言わんけど

どうしようもない、ってのは
あまりに我々のいる現実そのまんますぎるので

ここまでペシミズムたっぷりだと
フィクションの在り様を否定されるような感覚。

それか脚本家がよっぽどのペシミストか。
この展開の理由が単にそれだけだったとしたらやだなぁ。
だってそれって脚本家の
個人的趣味を押し付けられてるだけやん。

●悲劇はこってり描くのに
良い事があるシーンはデフォルメかけまくりの
非現実っぽい描き方にするのが
すごくアンバランスで嫌だった。

努力の積み重ねが結果に実っていくっていうプロセスは
地に足つけて描かないとだめだと思う。

●なんでみんな失業中なのに生活余裕があるの?
あと就業中の私用多すぎやろ。

生活感が一貫して皆無だったので
このあたりは意図して統一化させていた可能性も。
アイドルはうんこしない説みたいな感じで。

●なんで純そんなにモテるの?

●純の母の自分は何もしないっぷり
(エネミーっぷり)ときたら。どこのHagexだと。

実は純の兄の嫁マリアも同じフォーマットで
自分の結婚や離婚の時はあれだけ動いていながら
純や家族の支援に関しては場を収められる立場にいたにも拘らず
まるで行動を起こさなかった。

●どのあたりの心がどこまで読めるのか
、の定義があいまいだったのも残念。
カッチカチに決めなくてもいいけど
ちょっと都合よく解釈が変化しすぎた印象。

●結婚の時の愛の純依存発言もびびった。
自分の意思まるでゼロ。
そりゃ考えるのをやめれたらラクですよ。
でもそれはダメだ。自分で考えて自分で決めるんだ、って説くのが
フィクションというものではないのかと。

●愛の配役が内野謙太だったら
もっと好印象だった気がした。

●純がストーカーに会うエピソードを
あそこまで掘り下げておいて
その直後に弟がストーカー化するのには軽く流したのもびっくりした。
どういう神経で脚本書いてんだ????

●ブライダル配属の頃、
純が間に入らないと喧嘩ばっかりのカップルを
最後までそのままで解決させずに
純の存在意義の提示に使って終わりだったのもひどい。
そのカップルの自立を描けよ。
フィクションは「課題」と「解決」じゃないのか?

【追記】●オオサキプラザホテルの
総支配人が新社長になる件は
彼は彼なりの先代の意思を継ごうとして(それが正しいかは全く別の話)
時間かけて根回ししての謀反だったわけで、
舘ひろしがギリギリで使命感に目覚めて頑張っても
彼と戦うには遅すぎた、…という演出はありだと思った。

●最初のホテルと純の実家がつぶれたのって
ぶっちゃけ愛の母の仕業で

後に彼女が愛と同じ能力を持っているのが判明した事で
つまり今までの振舞や発言が
完全に悪意だったのが裏付けられた訳ですよ。
自分の能力を隠す事で全部裏をかいていったんだから。

愛の母こそ真のホテルクラッシャーであり諸悪の根源。

●何より家族が亡くなるという
問題に対して無理解だよね。脚本。

年末の一週間だけ愛がモノローグで
おじい、って言うのがすごく違和感で
なんで弟の純を思い出さないんだろう、と。

●明らか資料不足の
アルコール依存の彼女はもう出ないのか。
結局アルコール依存の問題は解決せずか。
里や全焼という悲劇を呼ぶだけの消耗キャラかよ。
結局何も救われてないって意味でむごい。
里やの他の人を救うプロセスは描いただけに
むごさに輪をかける。

強引に結婚って土台もってって
そこで強引にアルコール依存の問題提起。
脚本ペシミストすぎやろ。
こういうムードが好きなだけで
絶対この題材の知識ないって。

あとタバコと酒で
ステレオタイプな依存=悪の象徴としたのには笑った。
お前(脚本)の認識は子供か。

●「純さんはそのままでいてください」って台詞が大嫌いで
成長しない事を肯定ってなにそれこわい、と。
と、思ったら「純さんも大人にならないと」発言。
視聴者混乱させて楽しいか?

●隣の山田さんのやっつけ捨てっぷりもすごかった。

●師匠のオカマ=キモイって描写が一貫してるのが大っ嫌いだった。

●セニョールを雇い続ける理由。全然感動しねぇ。
おいおい、ついこないだ転職先あっせんして
クビにしようとしてたやんけ。
前回の設定すぐ忘れよるな。

●全体的にホテルものって雰囲気が全然ないのよな。
まずホテルがんがんつぶしてるし。
純と愛がいればフィールドはどこでもできた印象。
ただ番組最後のホテル関係者紹介コーナーがある手前
もっと物語をホテルに密着させる設定の努力や工夫は見たかった。

●父の性格という課題を
父の死ですべて丸投げしたのには驚いた。
「課題」と「解決」という物語の意義を丸投げしたに等しい。

生きてる時どんなに嫌なことがあっても
死んだらなぜかきれいになって許せたりするのですが
物語の前後関係的にこのドラマでその描写は見たくなかった。

母のエネミーっぷりも認知症ですべて放り投げたのにも驚いた。
この認知症も資料なしで書いてる感がぷんぷんして
非常に観てて危なっかしかった。

●愛の母の性格軟化を描くのならば
過去の愛の弟の純が死んだ時に愛が読んだ母の心の件を
正当化する理由を提示しないとだめなんだよな。
それとホテルを二つ意図的に潰した件の正当化も。

●恋愛関係の証明としての
婚姻届と離婚届、
結婚の誓いとかによる
書面の契約性にしばられすぎ。

と、思ったらブライダル時代は有資格者でしなきゃ
、って言ってた誓いの立ち合いを
里やでは無資格の人にさせたりしてる。

●純の母が宮古を出て
ずっと大阪にいたかのような描写で
宮古の地元の人たちが
実家のおじいのホテルすら知らんような描写が不思議。

で、母が宮古に帰ってきたと知ると
手のひら返して協力的になる地元民。
地方の暗黒面と言われている部分モロ出ししとるがな。
いい話の体したひどい話以外の何物でもない。

●ホテルものである裏付けがなされなかったので
純がホテルの仕事でなきゃダメだってシーンに
まったく説得力がなかった。
これはどうしたら解決できたのか…ちょっと考える。

●純の弟の天職もそこにいたるプロセスがすっ飛んだので説得力なかったなぁ。

●待田家が亡くなった純について語り合うシーンがあったのは
俺にとっては救いだった。
シーン自体はとってつけた感満載だったけど
これはやることに意義がある。

●雨漏りってあのホテル2階建てだったよな?
そしてあのエントランス、1階だよな?

そもそも根本的に修理しないと
夏の度にまたこの状態まで壊れる訳で…。

【追記】2階が平気なのに1階が雨漏りの件、
うちの妻いわく『リングにかけろ』の
影道五重塔みたいになってんだよ、との事。

●『梅ちゃん先生』や『おひさま』が
サブエピソードひり出して引っ張っといて
終了時期近づいたらとりあえず落とすって感じだったので
それを思えばちゃんとオチありきで逆算して話組み立ててるのは
朝ドラらしくなくてがんばったんだろうけど
それにしてもネタ切れなのか
ラストに近づくにつれて話ダレまくりのひっぱりすぎで残念。

●待田家の家族の能力が
解決しないのも驚いた。
このままだとお母さんもうすぐ死ぬぞ。

【追記】これは家族揃って食事するシーンで
解決してるかも?と、いう意見を頂きました。
ひなまつりの件も俺が気づいてないだけで
伏線回収していると信じたいです。

●『ひなまつり』の伏線。まさかの未解決。

個人的には『ザブングルグラフィティ』で
ブルーストーンを「敵のお宝が降ってきたぞ」で済ませたような
大味なオチを期待していたのに。

●最後セリフでまとめたーーーーーーーーー。
全然説得力ねぇえぇぇえぇぇぇえ。


つくってあそぼについても少し

2013-03-30 22:57:19 | 紹介・感想・レヴュー

『つくってあそぼ』が放送終了した件についても少しだけ。

僕らの世代の人にとっての『つくってあそぼ』は
『できるかな』の後番組でしかなく、
かつ『できるかな』最終回の衝撃もあって
『できるかな』の縮小再生産というイメージで
解釈している人が多いかと思うのですが、

# 『できるかな』最終回は
# (当時)ロック音楽雑誌の『宝島』で
# 巻頭のカラーページを1ページ使っちゃうほどの事件だったのです。

『つくってあそぼ』は『できるかな』よりも
はるかによく考えられた番組であった事を
記しておきたく今この文を書いています。

『できるかな』はのっぽさんとゴン太くんの無声劇と
それにかかるつかせのりこの軽快なナレーションとが
かっちりとハマっていて
子供の頃に我が家にビデオデッキがやってきた時は
ひたすら『できるかな』だけを録画しつづけたもので、
とにかくあの番組はオシャレでカッコよかった。

しかし『できるかな』の致命的な欠陥は
本来の番組目的である工作の難易度が高かった事。
まだビデオデッキの普及していなかったあの頃に
工作のレシピを控える事はままならなく
説明シーンすらオシャレなもんで
その割りを食って説明が中途半端で
工作の肝心なところがわからない。

番組はあくまでヒントで
自分らしい工作をしてね、という意図も
子供心にわからないでもないのですが
それ以上に番組中の作例がオシャレすぎて
「これと同じのが作りたい」という意識が勝っちゃう。

# 子供の頃のレゴ街シリーズが全く同じ状態で
# 基本ブロックでは既存キットと違和感のない家や車が作れずに
# 悔しい思いをしたものです。

のっぽさんこと高見映さんはインタヴューの度に
「『できるかな』は不器用な僕でも作れたから子供にもできたはずです」
って言うんだけどその度に「嘘だッ!!」と心の中で叫んだものです。

で、ある時また別のインタヴューで同じことを言っていたのですが
その時に「スタッフが用意したものを組み合わせてるだけでしたので
不器用な僕でも作れたんです」的な発言が。

料理番組でいう「これが2時間煮たものになります」理論か!!
…というのにやっと気づきました。
そりゃ作り方の細部をテレビのオンエアだけで必死に確認しても無理だし
それはゼロから作る俺ら視聴者側はめっちゃ難しいって事の裏返しだしで
全ての謎が解けた感じでした。

で、『つくってあそぼ』。
4月の第一回でよく放送した回は
色紙をびりびりにちぎって
目を書いて完成の「びりびりじん」
まず完成品の提示で魅力を伝えてから
わくわくさんが作成。
それを見たゴロリが続いて作成するも上手くいかない。
そこでわくわくさんがコツを説明してゴロリも無事完成。
基本はこの流れ。

びりびりじんはゴロリの作例や
他の完成例を多数提示する事で
どんな色や形でもつくった人の気持ちで解釈すればOKなんだという
メッセージがしっかりと伝わるようになっています。
『できるかな』みたいにカッチリしっかりした完成度じゃないので
作る側に救いがある。

ゴロリは指がちゃんと5本独立可動する着ぐるみで
指部分はあの手の着ぐるみにしてはかなりの薄手にしてあって
子供の立場で工作をするという役回りをきちんと果たしている。
フガフガ言ってのっぽさんのジャマをして
まったく工作をしなかったゴン太くんとは気合いが違います。

確かに番組の"華"では『できるかな』には勝てなくても
工作の楽しさ、実用性では『つくってあそぼ』は
『できるかな』と比べものにならない完成度だったのです。

次の番組でも「作って楽しい」番組構成になる事を願っています。

わくわくさんもイベント出演等で以後もがんばるとの事で
ご多幸ご発展を祈っています。

最後はお約束コメントで。
『メガゾーン23』の続編とか番外編とかで
わくわくさん声優カムバックも待ってますっっ!!

 

 

 

あーー。最後まで「ゴロリくんの従妹の」
という枕詞がとれなかったゴロネちゃんは
最後までゴロリの従妹といての域を超えれなかったように思えて
かわいそうだったなぁ。


ストレッチマンが引退

2013-03-29 00:02:58 | 紹介・感想・レヴュー

本日先行放送の『ストレッチマンV』を視聴。
NHK教育のブログで知ってはいたものの
宇仁菅真さん演じるストレッチマンが
レギュラーから引退してしまう模様。

と、いってもゲストとかで
ちょくちょく出てきそうな感じではあるので一安心。
そして後任の5人が悪くない。
少なくとも先行放送分は面白かったです。

本当はこの機会にしんみりと
ストレッチマンの思い出話を書くつもりでしたが
全然そんな感じじゃありませんでした。

まぁ、『みてハッスルきいてハッスル』、『花影忍法帳コミ☆トレ』の
NHK大阪がそんなヘマをする訳がないのでして。はい。

以下、せっかくなので思い出話を書こうかと。

初めて見たのは96年度版
(黄色くなって一年目)の2学期の回で、
その頃自分の部屋のテレビはアンテナを引いていなかった
(ビデオやゲーム機のモニタとしての使用)のですが
偶然つけたテレビでストレッチマンを知って
次の日には部屋にアンテナ線を引きこんで
毎回録画するようになるほど入れ込んだ訳です。

元々ヒーローもののパロディネタには目がなく
ひいき目なのは事実なのですが、

# 脱線しますと山西惇の初主演作品は
# よみうりテレビが深夜にやってたウルトラマンのパロディ
# 『ウルトラドン』です。これ豆知識な。

ストレッチマンはネタだけで終わりのキャラクターではなく
ちゃんと実用ありきで、
結果としてネタになっているだけ、
というのがほんとに凄かったのです。
以下箇条書きでストレッチマンのすごいところ。

・ストレッチのやり方の説明の時に
注意部分を自然に伝えるところ。

・ストレッチに必要な「呼吸を止めない」を実行するために
1から5まで数を数えさせるというアイデア。
(本当はもっとさせるほうがいいんだろうけど
無理をさせずに5あたりが適切なのかと思う。)

・数え終わる最後の数字の5を
ストレッチマンのイニシャルのSとかけて
5まで数えることに意味合いをもたせようとしている所。

・「ストレッチパワーが○○にたまってきただろう」
という台詞で正しくストレッチが行なえたかの確認を行なう事。
(間違ったストレッチは効果がないだけならまだしも筋を痛める場合も)

・前半の自分の星でのストレッチと
怪人を倒す為のストレッチとで
左右のあるストレッチは各1回ずつやるという流れ。

・学校の先生が怪人を演じるのは
レクリエーションとして非常に正しい。

・障害を持った子供たちにストレッチは効果的、という認識を持っていた。
(ただしこれはなぜそう思っていたのかは覚えていないのですが…。)

# 後に公式では運動不足になりがちな
# 障害学級の子供たちに運動の機会を、
# という説明があったと記憶しています。

・あくまで怪人を倒すのは
子供たちとのストレッチパワーであるところ。
子供たちの参加要素の確保と
ヒーローの力だけに依存しないという表現。

・後に観た回ではストレッチパワーで
正気に戻す事で退治はしない、という回も。
ヒーローものによくある一方的な成敗にならない配慮も。

…と。とにかく大切な要素がみっしり入って
でも娯楽要素満載というストレッチマンには
本当に感動した訳です。

アンテナついてないテレビで録画したせいで
ノイズだらけのストレッチマンのビデオテープを持って
その日のうちに集められる劇団のメンバーを全員集めて
(当時劇団団長でした)
上記した説明を必死でしながら
ストレッチマンの上映会をやるほどに
当時は衝撃だったのです。

と、オチませんでしたがこんな感じで。

ストレッチマン。ほんとのほんとに長ーーーい間、お疲れ様でしたっっ!!!!

追記 : 上記エピソードのストレッチマンのビデオテープをキャプチャしました。若い!!


花影忍法帳コミ☆トレ 感想(備忘録ブログからの転記)

2011-03-08 20:24:45 | 紹介・感想・レヴュー

●『花影忍法帳コミ☆トレ』。
昨年4月の年間放送予定に入っていた
異性との接し方の回が気になって
ずっとビデオ撮ってましたが今回ついにその回が放送。
すげぇ。よくやった。良作。
本編で男性の場合と
後半の『どうする?しおん君』で女性の場合とを
きっちりフォローしている。

『みてハッスル☆きいてハッスル』では
対象年齢層的に出来なかったテーマだけに
よくやった。と。ほんとに。

●やっと『花影忍法帳コミ☆トレ』2年目を全話観た。

まずしょっぱなから
BK財団の没落ぶりを回を分けて描写したのに爆笑。
肉抜き牛丼(!)に紅ショウガをかけたのを
美味いと言って食べるアンナさんかっけぇ。

けいおん!!とかKAGEROUとか
時事ネタガンガン仕込みつつ
たのしいきょうしつとか
グルグルパックンとか
にゃるま様とか
伝統ネタも仕込む余裕っぷり。

最初の頃は知り合いに似てるなー
、程度で見てたアンナさんが
しょっちゅうコスプレしだす頃から
どんどん可愛く見えてくるのはどうしたものか。
アンナをおっかけるという意味でも目が離せません。

そして最終回ちょい手前で
結局財団は花影に買収されてたwwwww

本編についても。
コミュニケーションの手立てについて
より具体的、実践的になっているのが好印象。

勘違い恋愛の回も去年とは別の方向性で
(今年は「そういう態度を取ると勘違いされるよ」でした。)
キチンと扱ってくれたのは本当に好印象。

思春期の成長と
それの同世代第三者との比較に対する意識を
扱った回があったのも好印象。

2年目は著名ゲストの出演が減ったけど
その分ゲストそのもののパワー(こんな人がゲストに!的な)で
ごまかしてない回が多くて好印象。

設定も『みてハッスル☆きいてハッスル』時代と違い
別系統の組織との対立という図式になったので
どちらかが活躍しても相手側の立ち位置を
脅かす事がなくなったのがよい。

…え、そんな番組知らね、って人は
http://www.nhk.or.jp/comtr/ja/frame.html
ここの左上「コミトレとは?」の3つのタブで大体のノリが分かります。

そしてなんと全話NHKサイトで観れます。

●『花影忍法帳コミ☆トレ』最終回。
まさかの存在否定展開。

追記:1話観たらちゃんと最終回と繋がってやがる…。
特にみくり初登場のシーン。
初見時もここには違和感を感じてたけど…まさかあんなオチとは…。
あと、2年目でみくり、中学生になってない…よな…。

『みてハッスル☆きいてハッスル』の最終回は
メタ展開確定、でオチたけれど
それとは違う内輪感のないメタ展開で
どちらの最終回も
「フィクションから出て現実に帰ろう」
、というコンセプトは同じでとても好印象。

展開的にも役者のサプライズ的にも
見事な最終回でした。
最後の巻物の言葉に泣いた。
この作品、俺が作ったことにしたいわ。

スタッフ、キャストの皆様、お疲れ様でした。
本当に面白い作品を
ありがとうございました。


みてハッスル☆きいてハッスル 完結

2009-03-09 00:57:21 | 紹介・感想・レヴュー

『みてハッスル☆きいてハッスル』が
100話にして最終回。

今年一年がほぼ再放送だったのと
以前の変な時期の月影メンバーの
総入れ替えに対しては不満は残るけれど、
それを差し引いても
この5年間、失速するどころか円熟していくという
本当に、本当にすばらしい番組でした。
ありがとう。

↓は唯一最初から最後まで
(声優という立場では池田秀一さんもいますが…。)
レギュラーを通した中津真莉子さんのブログ。

『100回目のストーリー!』
http://yaplog.jp/hangao-neko/archive/425

おまけ、5年前にこの番組が
始まったばかりの頃の西川のブログ記事。

(記事消失していたので以下引用)
> 『みてハッスル☆きいてハッスル』。
> 4月から始まった教育番組なんですが
> ちょろちょろとは観てて気になってたんですが
> 今日初めてちゃんと観ました。

> かなり良く出来たしつけ番組です。
> このテの番組特有のクドクドしさがなくむしろさわやかですらあり、
> かといって要点を避けている訳でもないと実にあざやかな手際です。
> 知ったかぶりの社会性を身につけてしまったまま
> イイ歳になっちゃったイタい大人やイタいオタクを山ほど見た身
> (それもこれも類は友を呼ぶ、というヤツですが…)として
> これこそ現在の大人が観にゃイカん番組と強く感じました。ええ。
> みんな観よう。俺も観る。

この5年、最終回までこの評価は揺らぎませんでした。
お前らも観ろ、って感じ。