以下散文ですが個人的控えとして。
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●被害者ぶってるけどアンタが加害者なんよ、という語り口が斬新だった。
超ざっくりで言うとショック療法的な「優しい罵倒」だったと思う。
だから、うまく言えないけれど、えび加藤健『天国だった、けど』や
トモフスキー『我にかえるスキマを埋めろ』のような方向に行ってほしかった。
●『ソウル・トゥ・ソウル』の
「あんたが喜びゃ誰かが悲しむ あんたが楽すりゃ誰かが苦しむ」も明快な表現だと思う。
最近読んだ『大阪ハムレット』3巻「女忍者の夏」が
まさにこれ(あんたが楽すりゃ~)で
ニューエスト的なエピソードと思った。
変わんないんだよね。悲しくも。
●しかし思えば有名な「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」や、
「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう」を超える詩は
ニューエストになかったのかもしれない。これはくやしい。
かろうじてニューエストの後継だったのかも、と思う事がある。
ミサワは「笑われる対象」にするというテクニックで魅せたのだけど。
そういう意味では「ドヤ顔」という表現も方向近い。
●ニューエストに明確な後継がいないのは
単純にこういう表現が「カネ」にならないからなんだろうなー、と。
以前もブログに書いたけど
ソウル・フラワー・ユニオンの『エエジャナイカ』は
ニューエスト的芸風からの決別の表明だと思っていて
彼ら自身が見切りをつけて
「もっとマシなトコ行くわ」って決意表明だったのかと思っている。
で、次のシングル『宇宙フーテン・スイング』で
「逆立ちして地球を持ち上げて」、とか
「世界が闇なら素敵 みんな輝いているから」、みたいな
今までだとありえない歯の浮く歌詞を提示し
今までのカネにならないファンをふるいにかけ始めたんだと思う。
個人的にトドメは『極東戦線異状なし!?』で、
「この惑星じゃ今も子どもらが「ママ」と叫んで虫けらみたいに死んでいく」
、って歌った訳だけど
この歌詞が好意的に受け入れられる環境が
彼らにとっての「もっとマシなトコ」だったんだろうなぁ、と。
●(追記)
『続・ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー』にて
中川敬によるニューエストモデルの自己評価が
「冷笑家でシニカリストの逆張り野郎。」で笑う。
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