生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

旅行で行きたいところ?

2005-07-17 19:03:30 | 思考の記録
ずばり ここより高次元の宇宙です。
1次元でも高次元な世界からみると、低次元の世界はひどく単純に見えるらしい
(2次元世界を想像してみると、なんとなく理解できると思う。
平面世界は単純に思えるでしょ)ので、高次元に行って、この世界を
「ひどく単純だぁねぇ」と見てみたいです。

それが無理なら常春の国マリネラに行きたいです。
そして、春を愛でつつ、実はめっちゃ男前なたまねぎ部隊と心ゆくまで
クックロビン音頭で踊りたいです。できれば氣志團も連れて行きたいです。
氣志團とたまねぎ部隊のコラボが観たいですねぇ。

それも無理なら、ドバイかな。
税金が課せられない、みぃーんな金持ちな国の雰囲気を味わってみたいです。



映画・日本国憲法 (サブタイトルとして、文部省は何をしているのか?)

2005-07-17 18:28:03 | 映画の記録
観に行く と、このブログに書いた「映画・日本国憲法」観に行ってきました。

上映場所は、九条シネ・ヌーヴォ。
おそらく、大阪で一番「しっぶぅーい」映画が常に上映されてる映画館です。
九条という町自体、駅から徒歩5分以内に松島新地(詳しくは説明しません)、
九条OS(ストリップ劇場)、熱帯魚屋、自転車屋、社交ダンス教室、産婦人科・内科・性病科医院等、
「人生いろいろあるし、いろいろ要るやろ?」
と語りかけてるような素敵な町でして、大好きなんですけど、そんな素敵な町にある素敵な映画館です
行ったことない人は是非、一度行ってみて欲しい。

んで、映画なんですが、映画としてはそんなに面白くない映画でした。
NHKドキュメンタリーの域を出てない、と言っても、内容が「護憲」に終始してたので、
NHKはそんな偏向(?)番組は放送できないと思いますが。

焦点は第9条に当てられてまして、現在の日本国憲法はGHQの押し付けだといわれてるけど、
日本の有識者に新憲法を提出させたところ明治憲法とほとんど変わらない憲法を出してきたので
「だめだこりゃ」ってんでGHQが1週間で作成したものであること、
しかし、新憲法については民間でも進歩的な提案が多数出ており、
GHQはその民間からの提案と他国の憲法を大いに参考にして作成にあたったこと、
発布・施行当時、この憲法は日本国民に大いに好評を博して迎えいれられたことなどが、
証言を通して語られます。
そして、9条が変更されなかったのはアメリカの圧力ではなく、むしろアメリカは9条改正の
圧力をかけたが、日本がこれを変更しなかったことも、当時のニュース映画も用いて語られます。
つまり、「確かに押し付けかもしんないけど、日本人の意見は反映されてるし、日本人は
それを”自らの意思で”守り通してきた」ってことが語られる。

そして、9条が世界でどのように受け取られているか、ってことに焦点が移るんですが、
ここの部分が弱い。世界の人達は日本の9条なんて、全然知らないんだろうね。
もっと知られててもいいと思うんだけど、知られてない。
このこと自体、「憲法問題」だと私なんかは思います。

さて、この映画の証言で印象的だったのは、

日本は9条があるから普通の国じゃない、普通の国になるために憲法改正をというが、
普通の国って何? アメリカが普通だというなら、それはとても恐ろしいことです」
(確かにアメリカは普通じゃない。明らかに変だ。でも、日本はアメリカを「普通」いや、
「なんだかんだ言っても素晴しい国」だと思ってるフシがある・・・)

「戦争の謝罪を日本はもとめられているが、憲法第9条が日本の謝罪なんだと思う。
それなのに、9条を放棄するのは、謝罪を放棄することにならないか」

「軍隊が安全を保障してくれる? それが本当かどうかは沖縄の人達はみんな知ってる。
沖縄は基地があったばかりに、先の戦争では唯一日本で戦場となった地域なんだから」

「困窮しきってる北朝鮮が日本を攻撃することはないでしょう」
(韓国大学教授の言。
言われてみれば、北朝鮮にしてみれば海を渡って日本を攻撃するより陸続きの韓国を
攻撃するほうがはるかに楽だし、韓国は北朝鮮からの攻撃の可能性は低いと
思ってるらしいんで、ましてや日本はないだろう、という訳です)

「日本は軍事大国の道を歩めないでしょう。だって、そのための労働力がありませんから」
(言われてみれば少子化が・・・。ついでに財政的にも無理だ・・・)

しかし、なんといっても一番印象的だったのは、
「日本は主権国家であり、主権在民ということを忘れている」
という証言です。

アメリカのいいなりで、なんにも意見を言えなくて、なにが主権国家やねんってことです。
で、憲法ってのは、主権者たる国民が政府の力を制限するために課してる法なんですよ。
ここんとこ、憲法を考える上でとても重要だと思います。
憲法は政府が国民に保証してくれてる権利ではなく(社会国家的な条文は除いてね)、
主権者たる国民が政府に好き勝手させないための法なんですよ
忘れてるよ、忘れてるねー、てか、そんなこと学校は教えてくれたっけ?
何してんだ、モンブショー

しかし、憲法論議のときに毎度思うんですが、日本憲法=第9条、なんだねー。
日本の憲法問題の根本って、「みんな憲法を知らないし、活かす気がない」って
ことだと思うんですけどね
憲法が政府に制限かけるためのものだって知らない人多いでしょ。
ついでに、日本では「憲法違反」で国を訴えてもほとんど敗訴なんですよ。
なんでかっつーと、違憲審査権を持つ最高裁は、「政府の統治行為と立法裁量を広く認めるから」です。
ほんと、憲法を活かす気がないんだ。政府も司法も。

というわけで、サブタイトルに「何してんだよ文部省」という
文句めいたものが登場するのです。
主権者たる国民がもっと憲法を知っていれば、こんなことにはなってないと思うから。

知性について

2005-07-17 16:55:20 | 思考の記録
私には、レスペクトしてるものが数多くありまして、おいおい書いていくつもりですが、
その中でも特に、「これなしでは人類も私もここまで続きはしなかった」と思うものに、
知性があります。私は決して知的な人間ではなく、「知的でありたい」という思いに
動かされてきた人間ですが

さて、知性とは何か?
まず、知性の基本とは
「感情論を感情論だと喝破できること」
だと思ってます。

感情論ってやっかいです。なぜなら、常に偽装しているから
例えば、親が「子供のために」ピアノを習わせ、水泳を習わせ、塾に通わせる。
子供のためだと親は思ってる。でも、私に言わせりゃそのほとんどが
「自分が子供に習わせたいから」とか「そういうのってかっこいい」とか
「みんなそうしてるから」とか、結局親の満足・安心のためにそうしてる。
子供がすごく嫌がってても、そんな子供を「駄目な子」って言う。
疑ってもみないんだ。「これって、何のため、誰のためなんだっけ?
これって結局親の自己満足なんじゃないかな」って。
こういう親の論理を感情論、といわずしてなんと言うんだ と思います。

また別の例をとってみると、このgooブログで常にアクセスTOP10に入ってる
「厳選!韓国情報」ってブログもそうです。
「韓国は反日感情がこんなにも高い国なんですよー、奥さーん」てなブログなんですが、
このブログって何のためにあるんだろう? と作成者の意図を探したんですが、
どこにも見つからないんですよね。
「韓国ってこんなに反日感情が高い」って紹介するだけ。
中立っぽくみえるかもしれないけど、韓国人の全てが全て反日でもあるまいに、
それでこれだけ反日な韓国だけを集めてきてること自体、あきらかに作成者の「好み」が
反映されてると思うし、反日韓国人に勝るとも劣らず感情的だと思います。

感情論が悪い、とは思わない。だって、人間には感情があるもの。
私が警戒するし、他の人にも警戒して欲しいのは、感情論に終始してしまうことです。
感情論って往々にして、自分に賛同しない人・意見の、否定・排除に行き着いてしまう。
とっても不寛容なんだ。「非国民」とかさ。

知性とは、そんな否定的・排他的な感情論の「先」を用意してくれるもんだと思います。
逆に言えば、否定的・排他的な論に対して「先」を用意できないものは知性ではない
それはどんなに正しげでも、中立的に見えようとも、感情論だと思います。

さっきの例で言えば、子供にあれこれお稽古事をさせてる親は、「ピアノを弾けないのは駄目」
「泳げないのは駄目」「勉強しない子は駄目」じゃなくて、お稽古事に乗り気だったり
乗り気じゃない子供の態度からよく見極めてほしい、その子の適正・長所を。
必要ないものは必要ないんだから、できない(やらない)ことに対して
「あれが駄目。これが駄目」ではなく、適正・長所を伸ばすことを第一に考えて、
「あなたにはこんな”先”がある」ってことを親が率先して見つけてやってほしい。

「厳選!韓国情報」なら、「だから、そんな韓国とどうつきあうか」ってことを考え提案して欲しい。
今のままでは、感情論(反日感情)感情論(反韓感情)の域を出ない。
知性があるなら、その「先」を、つまり、「で、どうするか」ってことを考え示して欲しい。
議論の対象になるのは、その「提案」であって、韓国の反日感情ではない。
(他人の感情を議論することほど不毛なことはないと思う。例えばあなたは自分の好きな
人が自分のことを好きになってくれないからって、その人の感情について議論したい?
感情ってのは、認めて「で、どうする?」ってしか、やりようがないと思いますけど。)

漫然と書きましたけど、もう一度繰り返しておきたいのは

否定的・排他的なことにしか行き着かない論は感情論であって、知性とは「その先」を用意してくれるもん
だということ。
だから、私は知性を尊びます