HOT TIN ROOF

デジカメからクラカメまで、いろんな写真機で撮ったいろんな写真を載せて行こうっていうブログ。基本方針『無節操』。

Story of “Contessa35”

2008-03-11 23:47:20 | Contessa35


Contessa35 Opton-Tessar +  AGFA CT PRECISA

旧岩崎邸庭園にて。逆光ではやはりフレアが強いようです。

先日入手したクラカメ“コンテッサ35”で
撮影したフィルムの現像があがってきました。
今回はリバーサルフィルムでの撮影です。

このカメラの歴史をたどってみました。
写真に合わせてご笑覧ください。

西ドイツ、ツァイス・イコン社の傑作中の傑作と言われるカメラ、
“コンテッサ35”は、ツァイスの中盤スプリング(蛇腹)カメラ、
“イコンタ”の系列に連なるカメラです。

ドイツを代表する光学企業、カール・ツァイスは、
第二次大戦後、ドイツの東西分割に伴って二つに分かれる
のですが、ツァイス社の本拠地は東側のイエナにあった関係で
大部分の生産施設は東側に渡り、西側にはシュトッドガルトの
“イコンタ”生産工場のみが残りました。


Contessa35 Opton-Tessar +  AGFA CT PRECISA

もやがかかったような描写は、レンズの曇りのせいか?

ですから、戦後間もない1950年という時期に、
西側のツァイスから発売された35mmフィルムカメラ、
“コンテッサ35”が、イコンタの発展形という形だったのは、
非常によくわかる話です。
時代の要求する小型35mmフィルム使用カメラを、
手持ちの資産・生産設備を生かして作ろうと考えれば、
自然とイコンタ型の小型スプリングカメラに行き着きます。
35mmフィルムを使用したスプリングカメラは、すでに
ドイツ・コダック社の“レチナ”という成功作がありましたから、
なおさら話は早かったでしょう。

ではなぜ、このカメラは“コンテッサ”と名づけられたのか。
「Contessa=伯爵夫人」という高貴な名前のインパクト?
もちろんそれもあるでしょう。
ただ、それだけではなさそうに思われます。


Contessa35 Opton-Tessar +  AGFA CT PRECISA

その昔、1926年にカール・ツァイス財団のもと、4つの企業が
統合合併し“ツァイス・イコン”社が誕生しました。4つの企業とは
「イカ」「エルネマン」「ゲルツ」そして「コンテッサ・ネッテル」。

この「コンテッサ・ネッテル」を率いていた技術者は、
ドクター・アウグスト・ナーゲル。ナーゲル博士です。
ナーゲル博士がツァイス・イコンに入った後に
設計を主導したカメラが、他ならぬ“イコンタ”でした。


Contessa35 Opton-Tessar +  AGFA CT PRECISA

順光の条件では結構きれい。


その後、ツァイス・イコンを退社したナーゲル博士は、
“ナーゲル社”を設立。このナーゲル社がアメリカの
イーストマン・コダックに買収され、“ドイツ・コダック”となります。
“ドイツ・コダック”時代にナーゲル博士が設計したのが、
“レチナ”でした。コンテッサ35とレチナは、
同じ設計者が基礎設計を担当した
従兄弟?くらいの関係に当たるカメラなのです。

つまり、“コンテッサ”という名前は、
イコンタとレチナ双方の設計者で、
1943年に永眠した偉大なナーゲル博士に捧げる意味で、
かつて博士が在籍したコンテッサ・ネッテル社の名をもとに
命名されたたものではないでしょうか?
そう思われてなりません。

“コンテッサ35”の精緻なシャッターを慎重に切る時、
このカメラの背景にある膨大な時間を思います。
膨大な時間が手の中に詰まっている、
そんな錯覚に襲われることがあります。
この感覚だけは、どう足掻いても
新しいカメラでは味わえないものなのです。


Contessa35 Opton-Tessar +  AGFA CT PRECISA

水面の色の表情が好きです。この日一番の一枚。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« AGFA CT PRECISA | トップ | 伯爵夫人に新しいドレスを。 »

コメントを投稿

Contessa35」カテゴリの最新記事