Contessa35 Opton-Tessar + AGFA CT PRECISA
旧岩崎邸庭園にて。逆光ではやはりフレアが強いようです。
先日入手したクラカメ“コンテッサ35”で
撮影したフィルムの現像があがってきました。
今回はリバーサルフィルムでの撮影です。
このカメラの歴史をたどってみました。
写真に合わせてご笑覧ください。
西ドイツ、ツァイス・イコン社の傑作中の傑作と言われるカメラ、
“コンテッサ35”は、ツァイスの中盤スプリング(蛇腹)カメラ、
“イコンタ”の系列に連なるカメラです。
ドイツを代表する光学企業、カール・ツァイスは、
第二次大戦後、ドイツの東西分割に伴って二つに分かれる
のですが、ツァイス社の本拠地は東側のイエナにあった関係で
大部分の生産施設は東側に渡り、西側にはシュトッドガルトの
“イコンタ”生産工場のみが残りました。
Contessa35 Opton-Tessar + AGFA CT PRECISA
もやがかかったような描写は、レンズの曇りのせいか?
ですから、戦後間もない1950年という時期に、
西側のツァイスから発売された35mmフィルムカメラ、
“コンテッサ35”が、イコンタの発展形という形だったのは、
非常によくわかる話です。
時代の要求する小型35mmフィルム使用カメラを、
手持ちの資産・生産設備を生かして作ろうと考えれば、
自然とイコンタ型の小型スプリングカメラに行き着きます。
35mmフィルムを使用したスプリングカメラは、すでに
ドイツ・コダック社の“レチナ”という成功作がありましたから、
なおさら話は早かったでしょう。
ではなぜ、このカメラは“コンテッサ”と名づけられたのか。
「Contessa=伯爵夫人」という高貴な名前のインパクト?
もちろんそれもあるでしょう。
ただ、それだけではなさそうに思われます。
Contessa35 Opton-Tessar + AGFA CT PRECISA
その昔、1926年にカール・ツァイス財団のもと、4つの企業が
統合合併し“ツァイス・イコン”社が誕生しました。4つの企業とは
「イカ」「エルネマン」「ゲルツ」そして「コンテッサ・ネッテル」。
この「コンテッサ・ネッテル」を率いていた技術者は、
ドクター・アウグスト・ナーゲル。ナーゲル博士です。
ナーゲル博士がツァイス・イコンに入った後に
設計を主導したカメラが、他ならぬ“イコンタ”でした。
Contessa35 Opton-Tessar + AGFA CT PRECISA
順光の条件では結構きれい。
その後、ツァイス・イコンを退社したナーゲル博士は、
“ナーゲル社”を設立。このナーゲル社がアメリカの
イーストマン・コダックに買収され、“ドイツ・コダック”となります。
“ドイツ・コダック”時代にナーゲル博士が設計したのが、
“レチナ”でした。コンテッサ35とレチナは、
同じ設計者が基礎設計を担当した
従兄弟?くらいの関係に当たるカメラなのです。
つまり、“コンテッサ”という名前は、
イコンタとレチナ双方の設計者で、
1943年に永眠した偉大なナーゲル博士に捧げる意味で、
かつて博士が在籍したコンテッサ・ネッテル社の名をもとに
命名されたたものではないでしょうか?
そう思われてなりません。
“コンテッサ35”の精緻なシャッターを慎重に切る時、
このカメラの背景にある膨大な時間を思います。
膨大な時間が手の中に詰まっている、
そんな錯覚に襲われることがあります。
この感覚だけは、どう足掻いても
新しいカメラでは味わえないものなのです。
Contessa35 Opton-Tessar + AGFA CT PRECISA
水面の色の表情が好きです。この日一番の一枚。
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