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伊達 純のヒロシマ日記

反戦・反核・反基地などの平和運動、反原発運動、反貧困運動、グローバリゼーションの問題などについてヒロシマから発信する

森博嗣『赤緑黒白』読了

2008年12月03日 20時24分57秒 | SF・ファンタジー・児童文学
 古本屋で森博嗣の『赤緑黒白』を105円で買って、ちょうど読み終えた。この巻をもって瀬在丸紅子を主人公とするいわゆる「Vシリーズ」は終了する。この巻には、西之園萌絵と犀川創平を主人公とする『すべてがFになる』『有限と微小のパン』にも登場し、『四季』シリーズの主人公でもある天才科学者・間賀田四季、そして『四季』シリーズの登場人物たちも出て来る。「Vシリーズ」の終盤を読まずに『四季』シリーズの『春』を先に読んでしまったのは失敗だった…。

 森は大学の建築工学科の助教授をしていたため、作品には理工系の描写が多く、「理系ミステリ」の代表的な作家と言われている。森の作品で、最近、押井守監督によってアニメーション映画化された『スカイ・クロラ』の「クロラ」とは“Crawler”であり、通常は「クロウラー」と発音するのだろう。しかし理工系の人間は、例えば「モーター」を「モータ」と発音する。私が通った大学(「職業訓練大学校」、現在「職業能力開発総合大学校」)の電気科の教授であり、モーターの権威だった見城尚志氏も、そう発音していたし、そう表記した著書もある。他にも「ネタバレ」になるが、『すべてがFになる』の“F”は16進法の「15」のことであり、『赤緑黒白』は4芯ケーブルの被覆の色のことだったりする。 こういったところも森の作品が「理系ミステリ」と言われる所以だろう。

 これも「ネタバレ」になるが、この作品は、動機が「殺人をすることそのもの」、つまり「殺人をしたいから」だったりする。推理小説を書く際の原則と言われる「ノックスの十戒」に「支那人(土屋隆夫『推理小説作法』より引用のためママ)を登場させてはならない」というものがあり、東野圭吾は『ある閉ざされた雪の山荘で』の登場人物に「人種差別からきた偏見」と言わせているが、これは事件の動機などを「何でもアリ」にしてしまいがちであり、謎解き、推理の道筋が「合理的」でなくなってしまうことへの戒めではないだろうか? そう考えると動機が「何でもアリ」に近い「殺人をすることそもの」「殺人をしたいから」としてしまうのは、推理小説の「禁じ手」ではないかと思ってしまう。また森の初期作品である『すべてがFになる』『冷たい密室と博士たち』『笑わない数学者』『詩的私的ジャック』『封印再度』の本格的密室トリックに魅了された私としては、今回のトリックはいささか物足りなく感じてしまう(ちなみに『バイバイ、エンジェル』『哲学者の密室』などの「矢吹駆シリーズ」や『テロルの現象学』を著わした笠井潔も初期の森のことを「短い期間で高い水準の本格長編推理小説を量産している」と高く評価していた)。

 そういう訳で森博嗣作品は結構読んでいるのだけど、『スカイクロラ』シリーズは読んでいないし、押井守によるアニメーション映画も観ていない。My mixiのけんけん君が日記に『スカイ・クロラ』に出て来る「永遠に『大人』にならない存在」である「キルドレ」のことを書いていたが、ウィキペディアの『スカイ・クロラ』関連の記述で初めて知った次第である。

 金とヒマがあったら、『四季』シリーズの残りと『φ(ファイ)は壊れたね』をはじめとするGシリーズも読んでみることにしよう。


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