久々の今回は近年のダートの最強馬クロフネです。
この馬が3歳になる年、2001年。
この年から日本ダービーは外国産馬に開放されることになっていた。
そのため、開国元年ということでつけられた名前、それが【ペリー】の【クロフネ】だった。
芦毛で【クロ】というのは不自然だけどね
トリビアですが、【クロフネペリー】という馬も過去に存在しました。
新馬戦は2着に敗れたものの、折り返しの新馬をレコードで快勝
さらに返す刀でエリカ賞もレコードで快勝
そして、伝説のラジオたんぱ杯2歳Sを向かえる。
【アグネスタキオン】【ジャングルポケット】【クロフネ】
という後のGI馬3頭が交わった唯一のレース。
いまさら内容を語るつもりはないが、このときの【クロフネ】は過去2戦の内容から、
『このくらいの調教で勝てるだろう』との過信から敗北を喫した。
その汚名を晴らすように、毎日杯。
今度は調教を十分に積んで臨んだ一戦。
圧勝まさにその一言。1.58.6という時計は破格。
ちなみに2着は【コイントス】。時代を感じます。
満を持して臨んだのはNHKマイルC。
とても届くわけない位置から差しきった。
4コーナーで出す場所がないと思ったら、ポッカリ開いていた。まさにウイニングロード
この時点で【アグネスタキオン】の衝撃引退が発表されていた。
そして、開国元年のダービー。
雨で馬場が悪かった。ローテーションが厳しかった。距離が長かった。
などなどいろいろなことがいわれたが、その当時、なぜか【クロフネ】が勝ちそうな雰囲気はなかったような気がする。
【ジャングルポケット】は強かった。ただ、それだけしか感じなかったダービーだった。
神戸新聞杯。追いこんで3着。
正直、この負けでこの馬の影が薄くなった気がした・・・のは気のせいだったようだ。
天皇賞を目指していたが、除外で武蔵野Sへ。
そこから先は書く必要もないだろう。もはや伝説だ。
有馬記念の翌々日だったか、引退のニュースは新聞の一面で報じられた。衝撃だった。
そんな彼ももう2歳馬を送り出している。
【フラムドパシオン】が僕の中では期待の一頭だ
最後に、この馬は故障しなかったら、ドバイWCへ行く予定だっただろう。
それはJCダートの勝ちっぷりからファンのみんなが想像した。
しかし、実は春の時点でこの馬のドバイWC出走は決まっていたのだ。
公式かどうかは分からないが、春の時点で松田調教師が、
『来年はドバイWCへ連れていきたい』と言っていた。
携帯のサイトに記事が載っていたのを鮮明に覚えている。
やはりこの人は、凄いホースマンだ
この記事が参考になったら【人気blogランキングへ】よろしくお願いします。
この馬が3歳になる年、2001年。
この年から日本ダービーは外国産馬に開放されることになっていた。
そのため、開国元年ということでつけられた名前、それが【ペリー】の【クロフネ】だった。
芦毛で【クロ】というのは不自然だけどね
トリビアですが、【クロフネペリー】という馬も過去に存在しました。
新馬戦は2着に敗れたものの、折り返しの新馬をレコードで快勝
さらに返す刀でエリカ賞もレコードで快勝
そして、伝説のラジオたんぱ杯2歳Sを向かえる。
【アグネスタキオン】【ジャングルポケット】【クロフネ】
という後のGI馬3頭が交わった唯一のレース。
いまさら内容を語るつもりはないが、このときの【クロフネ】は過去2戦の内容から、
『このくらいの調教で勝てるだろう』との過信から敗北を喫した。
その汚名を晴らすように、毎日杯。
今度は調教を十分に積んで臨んだ一戦。
圧勝まさにその一言。1.58.6という時計は破格。
ちなみに2着は【コイントス】。時代を感じます。
満を持して臨んだのはNHKマイルC。
とても届くわけない位置から差しきった。
4コーナーで出す場所がないと思ったら、ポッカリ開いていた。まさにウイニングロード
この時点で【アグネスタキオン】の衝撃引退が発表されていた。
そして、開国元年のダービー。
雨で馬場が悪かった。ローテーションが厳しかった。距離が長かった。
などなどいろいろなことがいわれたが、その当時、なぜか【クロフネ】が勝ちそうな雰囲気はなかったような気がする。
【ジャングルポケット】は強かった。ただ、それだけしか感じなかったダービーだった。
神戸新聞杯。追いこんで3着。
正直、この負けでこの馬の影が薄くなった気がした・・・のは気のせいだったようだ。
天皇賞を目指していたが、除外で武蔵野Sへ。
そこから先は書く必要もないだろう。もはや伝説だ。
有馬記念の翌々日だったか、引退のニュースは新聞の一面で報じられた。衝撃だった。
そんな彼ももう2歳馬を送り出している。
【フラムドパシオン】が僕の中では期待の一頭だ
最後に、この馬は故障しなかったら、ドバイWCへ行く予定だっただろう。
それはJCダートの勝ちっぷりからファンのみんなが想像した。
しかし、実は春の時点でこの馬のドバイWC出走は決まっていたのだ。
公式かどうかは分からないが、春の時点で松田調教師が、
『来年はドバイWCへ連れていきたい』と言っていた。
携帯のサイトに記事が載っていたのを鮮明に覚えている。
やはりこの人は、凄いホースマンだ
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