オカルト伝説は事実である

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ムー大陸実在の決定的証拠「ナーカル碑文の写真」

2024-01-30 06:41:15 | 超古代文明

 
✳️【伝説】
 悠遠の太古、太平洋には「ムー」という大陸が存在した。この大陸は東西8000キロ、南北5000キロにおよぶ広大な陸地で、そこには約6400万人もの人々が平和に暮らし、現代文明をも遥かに上回る高度な文明を築いていた。
 
 このムーを統治していたのは宇宙創造神の地上代理人である賢者の王ラ・ムーである。国民はラ・ムーのもと、優秀な学問と文化、建築、航海の術を発達させていた。そして太陽の象徴を旗印に、世界をその支配下に置いていたという。
 
 しかし今から約1万2000年前、突然悲劇が訪れる。不気味な地鳴りとともに湧き起こった大地震が大陸を襲い、それにともなって発生した大津波に飲み込まれ、わずか一夜にしてすべてが崩壊してしまったのである。
 
【真相】
 日本ではアトランティスと双璧をなすムーの登場である。アトランティスはさかのぼっていくと古代ギリシャのプラトンの著書にたどり着くが、ムーはイギリスのジェームズ・チャーチワードの著書にたどり着く。ここではそのチャーチワードの著書をもとにムー実在の可能性を探っていこう。
 
 まずチャーチワードの著書を読んでみると、その意外な新しさに気づく。

 原書のシリーズが出版されたのは1930年前後なのである。まだ100年もたっていない。アトランティスのプラトンの著書が2000年以上前に記されたことを考えれば、相当に新しい。


 しかしチャーチワードによれば、彼が記したムーの伝説は「ナーカル碑文」と「メキシコの石板」という2種類の古文書をもとにしているという。これらはムーの聖典「聖なる霊感の書」をもとに記されたもので、ムー伝説を知る上での最重要文献という位置づけになるようだ。


 それではこの2種類の古文書は、いったいどういった経緯でチャーチワードに伝わったのだろうか。チャーチワードの著書『失われたムー大陸』によると、「ナーカル碑文」のほうは彼がイギリスの軍人として1862年にインドに配属されていた頃にさかのぼるという。当時、チャーチワードがいた土地にはヒンズー教の古い僧院があり、彼は救済活動や古代文字の研究活動なとを通じて、その僧院の院である高僧と個人的に親しくなっていった。


 そんなある日のこと。高僧は、古くから伝わる貴重な粘土板が僧院の秘密の穴倉にたくさん眠っていることを打ち明けた。チャーチワードはこの話を聞くと大変興味を示し、破損を防ぐためにも倉から出して保存状態をあらためるべきだと何度も説得を重ねた。しかし高僧は首を縦に振らない。だがチャーチワードもあきらめない。折にふれては説得を続けた結果、高僧も度重なる説得に折れ、ついに半年後のある晩、秘密の粘土板を眠っていた穴倉から出してくれたという。


 それこそが「ナーカル碑文」である。チャーチワードと高僧は2年の歳月をかけてこの「ナーカル碑文」を解読し、そこに記されていたムーの歴史を読み取ったとされる。


 以上が「ナーカル碑文」にまつわる経緯だ。経緯がわかったところで、問題はこの話がどこまで本当なのか、という点に移る。実は、チャーチワードは碑文が発見されたという僧院の名前や場所を一切明らかにしていない。理由は序文で「僧院の希望による」と簡単に書いているのみだ。


 またチャーチワードは著書の中で、「ナーカル碑文」の写真も一切掲載していない。

 

 つまり、僧院の名前や場所もわからず、肝心の「ナーカル碑文」の写真もまったくないという状況なのである。あるのはチャーチワードの話のみだ。話の内容が大変突飛であることを考えれば、それを支えるだけの強力で客観的な証拠は必要不可欠である。しかし、その客観的な証拠は皆無に等しい。これでは残念ながら信用に値しない。(本城達也) ASIOS〈謎解き古代文明〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈ナーカル碑文の写真は存在する〉】

 正気でこんなことを言っているのでしょうか?

 

 たしかにチャーチワードはナーカル碑文の写真を公開しないままこの世を去りましたが、ナーカル碑文が実在することはASIOSが〈謎解き古代文明 再編集版〉を出版した2018年より20年も前の1998年にすでに明らかになっています。

 

【チャーチワードの正体】

 

 まず、チャーチワードというのは旧日本軍のエージェントで、イギリス軍人ではありませんでした。

 

 そして欧米人の源郷が大西洋のアトランティスであるように、太平洋のムーを想定することで、大東亜共栄圏の正当性を主張しようとした旧日本軍によって動かされていたのです。

 

【ナーカル碑文の資料】

 戦後にこの事実が判明し、GHQが市ヶ谷の陸軍省参謀本部に踏み込んだときでした。

 

 アメリカに機密情報が渡ることを恐れた旧日本軍は書類を焼き払ったのですが、その中に偶然にも消失を免れた資料があったのです。

 

 それには南耀、すなわちナーカルと書かれており、ナーカル碑文に関する資料であることが判明します。

 アメリカ軍はその資料をもとに調査をおこない、チャーチワードが著書の中で語っていたインドの古代寺院を特定。1998年3月に考古学者たちと編成チームを組んで現地調査をおこないました。

 そしてアメリカ軍は軍事衛星によるレーダースキャンによって秘密の部屋を発見し、そこからナーカル碑文の現物を入手することに成功したのです。

 証拠となる写真は2009年に発売されたムー〈スーパーミステリーファイル[特集]オーパーツ〉の31Pにも掲載されました。

 そこに描かれている絵文字は、チャーチワードが著書の中で紹介したものとまったく同じものでした(3本の長い線が〇を支えているようなやつです)。

 かくしてムー伝説最大根拠「ナーカル碑文」が実在したことが明らかになったのです。

 というお話しでございます。

 ところでヤフー知恵袋で「ムー大陸の存在は、オカルト雑誌のムーですら否定していますから」という回答を見かけたことがあるのですが、何年の何月号のムーにそのような文が載ったのでしょうか?詳しく教えてほしいものです。

【まとめ】

 ●懐疑派は「ナーカル碑文の写真は存在しない」などと言っているが、雑誌のムーなどでとっくに発表されている。

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