輸入盤 最新新譜情報  【BUYER'S EYES】

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RUMER/BOYS DON'T CRY

2012-04-23 | Rock&Pops
<発売日>5/29

<JAN(番号)>5053105230754

<情報>http://www.youtube.com/rumerofficial

<キーワード>
大人のための子守歌(ララバイ)。
ルーマーのセカンド・アルバムは、男性シンガー・ソング・ライターの名曲の数々を取り上げたカヴァー・アルバム

<内 容>
<ルーマー『ボーイズ・ドント・クライ』とは>
「P.F.スローンが気になっていたの…」 とルーマーは語る。

●ミステリアスなP.F.スローンという人自身も『ボーイズ・ドント・クライ』の意味を解き明かす鍵を握っている。スローンは60年代を通じて活躍した有名ソングライター。バリー・マクガイアの「明日なき世界」やママス&ザ・パパスの「カリフォルニア・ドリーミング」に使われた有名なリフを作曲した人物だ。しかし、自ら歌いたいと思ったスローンは、それら全てを捨てソロ・アーティストとしてレコーディングをしたが、全く売れなかった。彼は無名となり消えていった。残ったのは、ジミー・ウェッブの曲「P.F スローン」としてのみだった。本物のアーティストでいる事の代償について歌った、あるソングライターが他のソングライターに贈ったほろ苦いトリビュート。「これは忘れ去られた素晴らしい作家、もしくは商業的な音楽業界の波に乗れなかった作家に対して書かれた曲。」とルーマーは言う。「P.F.スローンがアルバムをまとめてくれてると思うの。彼のように道を切り開いた人達に対するリスペクトね。」

●この18か月という期間は、ルーマーにとって大きな意味を持つ時間だった。デビュー・アルバム『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』がリリースされるまで、この31歳のシンガー・ソングライターは全くの無名だった。レコード会社と契約する為、10年も努力してきた事、そして個人的にも様々なエモーショナルな事があった人生。それらが全て彼女の音楽から伝わってくる。2010年秋、『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』が初登場3位を記録。評論家から非常に高い評価を受け、6週間でプラチナ・セールスに認定された。10年の下積みを経て、一瞬で成功はやってきた。

●ミリオン・セールスとなった『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』の大成功で、パキスタンで育ったルーマーはバート・バカラックが所有するカリフォルニアの自宅に招かれるまでになった。ブリット・アワードにも2部門ノミネートされ、モジョ・アワードでもブレイクスルー・アクトに選ばれた。アメリカのiTunesチャートでも1位を記録。ロイヤル・アルバート・ホール、グラストンベリーのピラミッド・ステージでもライヴを行った。有名人にも彼女のファンは多いが、特にエルトン・ジョンのコメントは印象的だ。「こういうシンガーがイギリスにいるって事が嬉しいよ。そうそう出てこない逸材だよ。」

●しかし、幸福感を味わっている時間はあまりなかった。その間もルーマーは、非常に忙しく、しかし充実した活動を続けていた。まだ休みたいとは思っていない。2011年のルーマーは、新しいスタジオ・プロジェクトの準備を静かに進めていた。気になるそのタイトルは『ボーイズ・ドント・クライ』。

●『ボーイズ・ドント・クライ』は、1970年代のあまり知られていない名曲を集めたコレクション。オリジナルを歌っているのは全て男性だ。「とにかくソングライターが好きなの。」とルーマーはこのプロジェクトについて語る。「彼らの作品を歌う時は、女優とか画家みたいな気分で挑むの。歌に秘められたキャラクターを見つけ出すように。」これらのキャラクターは、かなり手ごわい。トッド・ラングレン、タウンズ・ヴァン・ザント、ロニー・レイン(そしてロニー・ウッド)、ティム・ハーディン。そして、レオン・ラッセル、アイザック・ヘイズ、ボブ・マーリーなど有名なアーティストでも、あまり記憶に残っていない曲がある。それらを掘り起し、新しいイメージを吹き込んだ。「仕上がりは、オリジナルからかけ離れた音になっている事もあるわ。」とルーマーは指摘する。「でも、それは曲の持つ感情を表現した形なの。」彼女が曲から得た直観に、離れた所から見た視点と知恵のある解釈をプラスする事で、ルーマーは何年も失われていた曲に新しい光を照らしたのだ。

●『ボーイズ・ドント・クライ』でカヴァーされたアーティストの幅広さを見ると、忘れられた素晴らしいものに対するルーマーの愛を垣間見る事が出来る。しかし、このアルバムは、そのような名曲に敬意を表しただけではない。選曲は色々なテーマに触れられるよう細心の注意を払って行われた。始めに取り上げたテーマは、男性の曲を歌う意義というものだった。「初めは遠い存在に思えた男性の声に挑戦して自分のものにしたかったの。」とルーマーは説明する。それが最も現れているのはニール・ヤングの「ア・マン・ニーズ・ア・メイド」だろう。この曲が生まれた当時、フェミニストは怒りを覚えただろう。しかし今日、この曲の歌詞は愛を求め、世話を焼いてもらいたいという男性の声と解釈されている。「私にとってこの曲は、もう自分の世話を焼けなくなって、与える事が出来なくなった人の声なの。共感出来るわ。」とルーマーは言う。ルーマー風にカヴァーされたアイザック・ヘイズの「ソウルズヴィル」も意外だと感じる人は多いだろう。元々はハーレムの貧困を何とかしたいというゲットー・アンセムだったが、現代は人権保護活動家の気持ちを掴んだ楽曲となっている。「この曲は私が14年住んで、今も暮らしているブリクストンを思い起こさせるの。」とルーマー。

●オリジナルの意図とは別のところで、『ボーイズ・ドント・クライ』の楽曲達は時代を超え、現代社会に当てはまる意味を持つようになった。アルバム・タイトル自体も「男性は複雑で繊細。感情が曖昧なら、更にその要素が強くなる。」というルーマー流の表現なのだ。勿論、今回新しくレコーディングされたカヴァーでも、オリジナルの意図は曲げられていない。ルーマーは言う。「フォーク・ミュージックでは、ストーリーテラーが物語を語るの。伝統的に、心地よいからと言って性別、人種、背景を変える事はないわ。語り手は、あくまでも語り手なの。」それでも、これらのオリジナル曲にルーマーは心を奪われた。「一目惚れって事ではなかったわ。曲によっては、プロダクションがやり過ぎだと思ったものもあったし、シンセがヘンで古いって思うものや、泥臭いヴォーカルだと思ったものもあった。それでも、どうしてこの曲達に挑戦しようって思ったかは、自分でもよくわからないの。そこに秘められた美しさや感情は、目立っていなかったから。」

●2007年から始まった『ボーイズ・ドント・クライ』のセッションは、『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』のリリース後18か月で更に盛り上がった。ルーマーは、休みが出来ればスタジオに入った。彼女が温めていたコンセプトを形にして、息を吹き込む為に。そして、驚くべきは、作業が進むにつれ、楽曲達が思った以上に彼女に対して深くパーソナルな響きを持っていた事だった。クリフォード・T・ワード「ホーム・ソウツ・フロム・アブロード」とポール・ウィリアムスの壮大な「青春の旅路」はどちらも“故郷から離れて暮らすミュージシャン”がテーマ。「アンドレ・ジョーレイ」は、栄光を手にしたばかりで昔を思い出すノスタルジックな内容。作家は違うが、他の楽曲も昨年ルーマーが感じたプレッシャーに通じるものが多い。タウンズ・ヴァン・ザント「フライング・シューズ」は、エスケープを掻き立てられる頌歌だ。「ビー・ナイス・トゥ・ミー」でトッド・ラングレンは“皆のものになる”事を嘆いている。このような楽曲にぶつかって行く事をルーマーは“心の闇の部分に入っていく感じ”と表現している。「初めに選曲した時には、この楽曲達が私の18か月をこれほど映し出しているものだとは気付いていなかったわ。」

●『ボーイズ・ドント・クライ』の本質は、ルーマーの息を飲むほど素晴らしい声が紡いだ物語で、彼女本人がここ1年程で経験したものを土台とした作品なのだ。「2010年10月にBBCエレクトリック・プロムスでレオン・ラッセルと共演したの。」とルーマーは回想する。「その時、私は彼に“マイ・クリケット”が好きだと伝えたんだけど、そしたら彼はゆっくりとこう言ったわ。“そう言ったのは君が3人目だよ。1人目はジェリー・リー・ルイス。2人目はウィリー・ネルソン。そして君だ。”って。」

●『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』はカレン・カーペンターの作品と比較されたが、『ボーイズ・ドント・クライ』はルーマーのサウンドを更に枝分かれさせ、広げる作品となった。(例えば、カントリー色が強まっていたりする部分だ)リチャード・カーペンターが直々に称賛を贈っているのが、その何よりの証拠だろう。リチャード曰く、ルーマーを知ったのは共通の友人が彼女のアルバムを褒めていたからだという。「彼は正しかったね。」とリチャードはルーマーへの手紙に綴っている。「君は美しく歌うだけじゃない。君の音楽は、本当に音楽的だよ。最近の音楽には欠けている要素だ。実際にアルバムが売れているという事実に、僕は安心感も覚えてるんだ。人々は自然で上質な音楽に触れた時、ポジティヴなリアクションをすると信じている僕としてはね。おめでとう。」

●『ボーイズ・ドント・クライ』は、非凡なキャラクターを思い出させてくれる作品である。曲が出来た当時には、あまり脚光を浴びず、評価を受けるのが遅すぎた曲達とも言える。ルーマーという存在のお陰で、彼らはまた世に出る事が出来た。数多くのルーマー・ファンには、音楽から離れていた人も多く、何年もCDを買っていなかった者も少なくない。他には『シーズンズ・オブ・マイ・ソウル』のようなアルバムを好きになるとは思わなかったというタイプのファンもいる。ある評論家はこう言う。「ルーマーは隙間という場所で活動する事が大切だと考えている。彼女にとって、新たに受けた注目は、このプロジェクトを世に出さなければいけないという意思を更に強めるものとなった。2012年のラジオでジミー・ウェッブのP.F.スローンがかかる事がクールだと思っているんだよ。」

<収録曲(オリジナル・アーティスト)>

1. P.F. SLOAN (ジミー・ウェブ、アソシエイションで有名)【1stシングル】
2. IT COULD BE THE FIRST DAY (リッチー・ヘヴンズ)
3. BE NICE TO ME (トッド・ラングレン)
4. TRAVELLING BOY/青春の旅路 (ポール・ウィリアムス、アート・ガーファンクルで有名)
5. SOULSVILLE (アイザック・ヘイズ)
6. THE SAME OLD TEARS ON A NEW BACKGROUND (スティーヴン・ビショップ)
7. SARA SMILE (ホール&オーツ)
8. FLYIN' SHOES (タウンズ・ヴァン・ザント)
9. HOME THOUGHTS FROM ABROAD (クリフォード・T・ワード)
10. JUST FOR A MOMENT (ロニー・レーン)
11. BRAVE AWAKENING (テリー・リード)
12. WE WILL (ギルヴァート・オサリヴァン)

【ルーマー・バイオグラフィー、…ドラマチックな人生の先に「歌」があった!】
・まさに本物でエモーショナルなソングライターであるルーマーのクラシックであると同時にコンテンポラリーでもあるサウンドは、彼女の育った、風変わりな音楽環境により形成されたと言える。父が建設の仕事をしていた関係で、彼女はパキスタンで生まれ、幼少期を過ごした。7人兄妹の末っ子だったルーマーは、テレビや新聞のない海外の地で、家族と一緒に歌い、曲を書いて育ったのだ。そして、この別世界から、イギリスのニュー・フォレストに移り住んでも、彼女はそのフォークな要素を新しい土地に持ち込んだ。イギリスで彼女が初めて夢中になったものは、カラーで放送されるミュージカル映画だった。「あれ以来、私はいつも軽く弾むような、そしてロマンティックなメロディーを求めているの」

・ルーマーの歌詞は、複雑で豊富な彼女の人生ヒストリーから生まれている。彼女が11歳の時、両親が離婚。この時に、彼女の実の父は、実は家族が雇っていたパキスタン人のコックで、母親が関係をもっていた事が発覚した。数年後、彼女がインディーズ・バンド、ラ・ホンダで歌っていた頃には、母が乳がんと診断された。直後、母親の近くにいる為に、ニュー・フォレストに戻ったルーマーは、ゴミ収集所に置かれたヴァンに暮らし、資格がないにも関わらず地域の大学で演劇を教えたりして生計を立てた。2003年に母親が死去。その後、ルーマーはロンドンに戻り、皿洗い、ポップコーン売りなど、あらゆる仕事をしながら、どん底の生活を送っていた。そんな彼女が救いを求めて行ったのが、田園地帯にある豪邸だった。そこはカリスマ性のある社会奉仕精神に溢れた准男爵の土地で、彼女はそこに暮らした。このカラフルで、開放された空間でルーマーはまた曲作りを再開した。

・「スロー」は、ルーマーの運命がやっと変わってきた時に出来た曲だ。ケンサル・ライズにあるクラブのオープン・マイク・ナイトに参加した彼女を、名誉ある賞を受賞した経験もあるテレビ/ミュージカル作曲家であるスティーヴ・ブラウンが、たまたま見ていたのだ。その後、彼はルーマーのプロデューサーになり、色々な事柄が前進するようになった。たまたま音楽とは全く関係ない質問を現在のマネージャーが自らのFacebookのページに書き込んだ事で、ルーマーにマネージャーがついた。その質問とは「あなたが知っている人の中で最も過小評価されている人は誰?」というものだった。5人の全く関係ない人達から「ルーマー」という回答が寄せられたのだった。そして、3月に彼女の努力が報われ、アトランティック・レコーズと契約が結ばれた。

・ルーマーのデビュー・アルバムは、美しく自叙伝的だが、同時に普遍的な作品に仕上がっている。「スロー」は、素晴らしいポップ・ソングが詰まったこのアルバムの一部を垣間見られるシングルだ。飛び立つような「アム・アイ・フォーギヴン」、「ヒーラー」の痛み、そして「アレサ」の壊れそうな美しさ…。これ以上、この才能溢れるタレントに確証がほしいというなら、バート・バカラックに聞いているといい。彼は、ルーマーの存在を噂で知り、聴いてみるとあまりに素晴らしかった為、わざわざ彼女をカリフォルニアに呼び、一緒に曲を書こうと言ったのだ。ルーマーは言う。「バート・バカラックに招待されたって知ったときは嬉しくて泣いちゃったわ。彼に上手いって言われたら、自分が上手いんだって自信が持てるでしょ!」

・そんな彼女の音楽を、イギリスのメディアは大絶賛。メジャー紙のザ・ガーディアン紙も“ルーマーの歌声はカレン・カーペンターやキャロル・キングを彷彿とさせる「無垢な歌声」だ”と手放しで褒めている。あのエルトン・ジョンもルーマーを自らのステージに招くなど、絶賛しており、「最近のイギリスは、素晴らしい声を持つシンガーを沢山輩出しているよね。アデル、ダフィー、エイミー・ワインハウス。そして、今回はルーマーだ。そういう人は、滅多に出ない。そんな中、ルーマーのような素晴らしくて美しい声の持ち主が現れたんだ。彼女はビッグ・スターになるよ。」 とコメントしている。

・2010年の11月1日にイギリスで発売になったルーマーのアルバムはすでに本国で40万枚を突破し、プラチナ・ディスクを獲得した。イギリス最大の音楽賞、ブリット・アワード 2011でも、最優秀新人賞、最優秀ブリティッシュ女性アーティスト賞の2部門にノミネートされた。日本でもシングル「スロー」がFM局でヒットし、アルバムは20,000枚を突破し、2011年6月3日ルーマーの誕生日に一夜限りのライヴを東京で行った。



<同時発売情報>
●ボーナス・トラック4曲追加収録のデラックス・エディションも同時発売(5053105230853)

●CDとは異なるジャケット・アート・ワーク輸入盤限定アナログ盤も同時発売
(5053105230716)