脱原発・放射能

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原爆も原発もアメリカの国際戦略なのです

2011-09-02 22:59:39 | 原発・放射能

原爆も原発もアメリカの国際戦略なのです

 投稿者:風太  投稿日:2011年 8月17日(水)07時57分19秒

 原発というものは元々アメリカが原爆を開発した過程で生まれた熱エネルギーの再利用です。
ウランを核分裂する過程で臨界の状態で維持してそのウランから発せられる熱エネルギーをもって水を沸騰させて水蒸気を出しタービンを回して電気を起こす、
非常に効率のよい発電方法であり、アメリカはこの原子力発電を国際戦略に利用したのです。
それはつまり一つにはこの発電方法のノウハウを売り膨大な利益を得ること、もうひとつはこの発電方法を世界中に広げて各国の核を管理するというものです。
この管理の手段としてIAEAという組織が利用されたのです。
アメリカが自らリードする核戦略において、この原発エネルギーが大いに威力を発揮したのはいうまでもありません。

日本は1945年に二発の原爆が落とされて実験場にさせられました。
その威力は想像以上に悲惨なものであり、天皇の玉音放送ではその原爆について「敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。」とふれています。
これはたぶん人類史上はじめての反核平和宣言であると私は考えています。
アメリカはそんな廃墟と化した広島長崎で、人々の治療ではなく情報収集に精を出しました。
その結果アメリカは多くの被爆情報を得るに至り、その間世界各国の報道機関は被爆地から離されて広島長崎の実態は長く世界の目から伏せられました。

特に長崎においては使われた原爆がプルトニウム型だった事と浦上天主堂というカソリック教会が破壊された為か、地元で反発姿勢が強かった長崎市長は米軍によりアメリカ本国に連行され、その間に長崎の被災地は短期間で米軍により奇麗に整備され痕跡も残されていません。
広島で原爆ドームが原爆の象徴として残るのと大きな違いを見せています。
もし長崎で浦上天主堂跡が残されていたならば、アメリカ(プロテスタントの国)は世界中のカソリック信者を敵に回すことになっていたと思います。
そしてプルトニウムの毒も除染され痕跡が消されたのです。

その後日本政府はアメリカの主導の下原爆被害者の救済に当たるわけですが、爆心地から離れた地点で被曝した人たちや、爆発後時間をおいてから救援活動などで現地入りして内部被曝した人たちはなぜか救済の対象から外されました。
これら低線量被曝・内部被曝者の人たちは、実際にはその多くが健康を害して苦しみ生活苦に追い込まれたのですが、日本政府はどういうわけか彼らの救済に積極的には動かなかったのです。
その後アメリカから原子力エネルギーの推進役にさせられた日本は、官民挙げての原子力の平和利用とやらで原発エネルギーに深く関わっていくことになります。

熊取6人衆と呼ばれる京都大学の研究者の方々や、高木仁三郎さんらが科学者としての良心から原発村から離れて原発の危険性を訴えましたが、政府・霞が関もマスコミも財界も総力を挙げてこれらの動きを潰して原発神話まで作り出して今日に至っています。
そこにはアメリカからもたらされて国策にさせられた原子力エネルギーを何が何でも守ろうとする姿勢が感じられます。
マスコミには巨額の広告宣伝費がばらまかれ、おかげで原発の危険性を取り上げる事は一番影響力の強いテレビの世界では完全にタブーになったのです。
熊取6人衆と呼ばれた京都大の先生達は存在を否定され、高木仁三郎さんらは狂人扱いを受けました。
そこまでしても守る必要があった原発は、またそれだけ危険なものだったのです。

その危険性こそが、たとえ低線量であっても被曝すれば健康を害するという事実です。
原発は原爆と異なり安全でなければならなかった、被爆国日本ではもしその低線量被曝の危険性の認識が国民にひろがればアメリカの戦略どころではなくなるはずです。
だから日本では低線量放射線の危険性はタブーとして押し込められて長い間ブラックボックスにされてきたのです。
原爆被爆者の資料も国の各研究機関や大学で隠ぺいされ、年間100ミリシーベルト以下は研究対象から外されました。

今日では遺伝子レベルでの研究が進み、低線量放射線による被曝についてもその健康への障害が科学的に証明されるようになってきています。
児玉先生がこの間の国会の参考人招致で発言した内容がまさにそれであり、それが最先端の科学の世界では、アメリカの影響下にあるICRPの妨害を撥ね退けて今や定説になってきているのです。
今後この分野の研究が進めば、いままでいかにアメリカがこの分野の研究を妨害してきたかも明らかになるのでしょう。
そして原子力発電は、実は平和的でも何でもないアメリカの核戦略の一環に過ぎなかった事が明らかになりつつあるのです。
だからこそ広島長崎につづいて、福島でも原子力の恐ろしさを体験した我々日本人は目覚めなければならないのです。
世界へ向かって原子力には平和利用などと言うものはないということを訴えなければなりません。

私の考えはこんなところです。
言いたい事は山ほどありますがこのくらいで抑えておきます。
私はこれ以上日本がアメリカ手先になって世界で核戦略の旗振り役になるのは辛いです。
それでは広島長崎の被爆者や福島の被曝者の犠牲はなんだったのか、あまりにも情けなくて悲しくてたまらない気持になります。

 



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