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[2004年8月美浜原発3号死傷事故]140度の蒸気 一気 肌ただれ「痛い、痛い」床一面に高温の湯

2011-11-30 19:29:45 | 原発・放射能

 

2004年8月 美浜原発3号死傷事故

140度の蒸気 一気 肌ただれ「痛い、痛い」床一面に高温の湯

― 二次系配管損傷による蒸気噴出で十一人もの死傷者を出した、国内最悪の原発事故 ―

 

高温、高圧の蒸気を浴びて肌や服がただれた作業員

配管を内側からめくり上げるように噴き出した蒸気は、タービン建屋内を映し出すモニター画面を一瞬のうちに”真っ白”にするほどの勢いだった。高温、高圧の蒸気を浴びて肌や服がただれたようになった作業員を必死に助けようとする原発職員。意識がある負傷者は医師らに「痛い、痛い」とうめき声で訴えた。

 「やけどをした人がいる。氷をくれ!」。原発内の食堂に勤務する女性従業員(65)は、原発職員が食堂に走りこんできた様子を語った。「ありったけの氷をボウルに入れて渡した。二十四年間ここで働いて、こんなことは初めて」
 午後三時半ごろ。建屋二階にいた作業員の頭上、直径五十六センチの配管から約百四十度の蒸気が突然噴き出した。床一面にあふれた高温の湯も作業員の足元を襲う。
 敦賀美方消防組合の隊員(31)は「原発職員らが『頑張れ』『もうすぐ助けがくる』と声を掛けながら負傷者にホースやバケツで水をかけていた。負傷者は顔をしかめ、痛みをこらえていた」と直後の惨状を明かした。

4人の作業員は心肺停止、作業服が黒く焦げていた

 八人が運ばれ、うち四人が死亡した福井県敦賀市の市立敦賀病院。到着時、四人の心肺はすでに停止し作業服が黒く焦げていた。
 午後六時ごろ駆け付けてきた遺族の控室からは男性の泣き叫ぶ声が聞こえ、廊下に座り込む女性の姿もあった。
 三人の負傷者が運び込まれた国立病院機構福井病院では、全身やけどの重傷を負った岡田真一さん(43)が、親族に対し「すぐに水で体を冷やした」と当時の様子を説明しながら、現場にいた部下を「子供が生まれたばかりなのに」と思いやった。
 同病院の川端義雄事務部長は「搬送されたうち一人は搬送後に呼吸不全に陥り、ヘリで転送した。ここには皮膚科の専門医がおらず、別の病院に医師の派遣を要請した」と力なく語った。

惨劇の跡が生々しく、あちこちに血のりが 突入の消防署員「とんでもない事故」

 「扉を開けた瞬間、尋常でない熱気が押し寄せた―」。タービン建屋内に突入した消防隊員は、事故直後の現場のすさまじさに圧倒された。配管が破裂したとみられる二階部分には、アルミ破片や建材の一部が散乱し、あちこちに血のりが付着。惨劇の跡が生々しく残されていた。
 敦賀消防署の小保博幸・消防司令補が現場に到着したのは午後四時ごろ。被害者は既に、原発の従事者らに建屋内から救出され順次、救急車で搬送されていた。小保消防司令補はちょうど、たんかで運ばれる二人の被害者を見た。一人は顔中に包帯を巻かれ、もう一人からは「うぅ、うぅ」と苦しそうなうめき声が聞こえた。
 午後四時二十分、建屋内部に侵入可能な室温になったとの判断が下りた。小保消防司令補らは耐熱服、酸素マスクを身につけ、建屋内の検索に先陣を切って突入した。緊張感を漂わせながら三階の扉を開けると「四、五十度はあったと思う」という熱気。ただ視界も普通で惨劇を示すものはなかった。同五時十七分、同署の須藤慶一消防司令らが事故現場の二階に入った。ここも重装備を素通しするような熱さ。フロアや階段部分などに散乱したアルミ片やあちこちに残る血のりを見て「とんでもない事故とあらためて思った」という。

「息子は」「弟は」号泣 医師囲み騒然 市立敦賀病院

「何が起きたかさっぱり分からない」「うちの家族はどうなってるんですか」―。九日、美浜原発の事故で死傷者八人が救急車で運び込まれた市立敦賀病院では、一報を聞きつけた家族や知人、報道陣が次々と駆けつけ、一時騒然とした。けが人が誰なのかすら分からない。心配そうな表情でいら立つ家族らはテレビの速報をにらみ、看護師や医師を囲んだ。                        

 午後六時前、けが人が運ばれた救急処置室前の廊下には、駆けつけた家族ら十四、五人が待ち続けた。「弟なんですけど、どんな容体ですか」と看護師に詰め寄る男性。「お父さんに電話した?」と病院内を往来する母子。運ばれた負傷者の親類だという男性は「今だれが処置されているのかも分からない」と廊下に立ちつくしたまま。関電関連会社の男性社員は「何が起きたのか、だれがどうなっているか僕も分からないんです」としゃがみ込み、病院側の説明を待った。
 応急処置が終わり家族に説明があったのは午後六時十五分すぎ。四階会議室に設けられた家族控室で、医師から作業員の氏名と容体などが説明された。亡くなった作業員の家族とみられる女性は、目を真っ赤にはらし泣き崩れるのを抑えるように重い足取りで安置室に向かった。午後七時すぎに訪れた女性二人は、病院側から訃報を伝えられたのか、がっくりと肩を落として泣き崩れていた。

全身の水分が一瞬にして蒸発 「初めてみる症状」医師会見 

4人は全身に極度の熱傷を受け即死、3人は体表の50%以上にやけど

 こんな症状は今まで見たことがない―顔面は真っ白で全く血の気がない。全身の水分が一瞬にして蒸発したらしい。市立敦賀病院の医師は、亡くなった四人の姿に驚きを隠せなかった。
 中川原儀三院長らの会見によると、関電からは午後三時半に「管理区域外で労災事故が発生。やけどの作業員がいる」との連絡が入った。同四時十分から同五時十分すぎまで順次運び込まれ、医師や看護師、放射線技師ら計三十六人体制で対応した。
 杉浦良啓・救急担当診療部長によると、運ばれた八人全員がヘルメットと作業着を着けたまま。うち亡くなった四人は既に硬直し、腕を上げたままの状態だった。気道や全身の極度の熱傷で即死したものとみられるが、医師は「これだけ早い段階で死後硬直し真っ白な状態になるケースは、今まで見たことがない。よほど高温の蒸気に一瞬でさらされたのでは」と漏らした。
 市立敦賀病院で手当てを受けている早佐古清さん(44)と小矢淳平さん(23)は手、足、でん部などに20―30%のやけどで、体の皮がめくれ、赤くなっている状態。県立、福井大付属の両病院に運ばれた三人は、気道の熱傷があり、体表面積の50%以上にやけどがみられ、作業着には体液がにじんでいた。

一度も検査、交換せず 破損配管
安全思想、1次系と差 76年運転開始以来

タービン建屋内で多数の死傷者が出た美浜原発3号機は、加圧水型軽水炉(PWR)と呼ばれる原発で、二次系に放射能を含んだ冷却水が入り込まず管理しやすい利点がある半面、配管に高温高圧の負担がかかるという本質的な危険性を抱えている。ただ、一次系に比べて安全思想は徹底されておらず、破損した配管も一九七六年の運転開始以来、一度も検査しておらず、交換もされていなかった。  

老朽で延性割れか

 美浜原発3号機の蒸気漏れ事故は、金属が冷却水による腐食で薄くすり減り、引き延ばされて破れる「延性割れ」が起きた疑いが強い。事故が起きたのは、放射能を含まない二次冷却水が循環する復水系配管。

 極めて似たケースが、一九八六年の米サリー原発事故。美浜と同じ加圧水型原発(PWR)のタービン建屋で、直径四十五センチの配管が一瞬のうちに破断、高温の水蒸気と熱水を浴びた作業員四人が死亡した。その後、配管に激しい腐食が見つかった。
 この事故の後、日本のPWRはすべて点検され「異常なし」とされていた。だが、今回は直径五十六センチの配管の一部が突然大きくめくれる破損が起きており、米国のように配管が破断していれば、被害者はもっと増えていても不思議はなかった。

 

引用元:http://www.fukuishimbun.co.jp/jp/mihamaziko/kiji06.htm#060922

 


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