やらかしてしまいました。
タイトルから想像して「え、事故?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、ご安心を。
交通事故ではありません。
実はこの半月ほど肩の調子がよくありませんでした。
肩甲骨のあたりに寝違えたような違和感があり、ヨガの練習も何となくやりにくい。
それが先日、激痛となって襲ってきました。朝、目を覚まして起き上がろうとすると、突き刺すような痛みが走り、寝返りも打てない有様です。
これはただの筋肉痛じゃないな、というイヤな予感。
その日のうちにかかりつけの医師に診てもらうと、案の定、炎症との診断。どうりでいくら待っても違和感が消えないわけです。
炎症を抑える薬を処方してもらいましたが、その際に「少なくとも2週間は肩になるべく負荷をかけないように。それから、ヨガもお休みしてくださいね。」と言い渡されてしまいました。
9月のティーチャートレーニングに向けて、苦手なアーサナ(ポーズ)を少しでも克服して臨むつもりで練習を重ねていたのに…。
現在教わっている先生が「関節の痛みには気をつけて。絶対に無理をしないように」と私たち生徒に向かっていつも注意喚起しています。
というのも、適切な処置を怠ると痛みは手首→肘→肩、膝→腰へと広がっていくのを長年の経験の中で学んだからです。
私もこの一年ほど手首の調子があまり良くなかったので、ひょっとするといつかこんな日が来るんじゃないかと薄々感じていました。
でも、もっと先のことだろうし、それまでにはきっと上手いこと回避する術を身につけているだろう。だからたぶん大丈夫、と心の片隅で高をくくっていたのではないかと今になって振り返っています。
頭では十分に理解しているつもり。
でも、実際には“つもり”に過ぎず、技術面の向上に囚われて、わが身が発信している黄色信号を見落としていたわけです。
これではヨガの「自己観察」という大切な要素がすっぽり抜けています。
ひと言で言うなら、まさに自業自得。(自分で言っても凹みます。)
しばらくヨガができないということに数日間ふてくされていましたが、昨日今日でようやく観念できてきました。
診断結果にどんなに抵抗を覚えても、今は無駄に葛藤を呼び起こすだけ。
そんな矢先に、とあるヨガのガイドブックを手に取ってページをめくっていると、次のような記述に出会いました。
要約すると、ヨガにおける成長を一本の木に例えて、「練習を積み重ねていれば、必要に応じて芽吹いていくものであって、直線的にどんどん伸びるわけではない」と。
知らず知らずのうちに、私はいかに自分に対して直線的成長を期待していたことかと、改めて気づかされました。
よくよく考えたら、私はティーチャートレーニングのためにヨガをやっているのではないのだから、たかが2週間練習できないからといって何も焦ることはないんです。
生涯ヨガと付き合っていくために、今は敢えて立ち止らなくてはいけない。
葛藤が全くなくなったわけではないけれども、「アーサナだけがヨガじゃない」ってことを思い起こし、8月中は治療に専念しようと思います。
おそらくはそれが心の準備のために私に与えられた時間であろうことを願いつつ。
皆さんも、ご自分の体が発する信号を見落とさないよう、特に暑さ厳しいこの季節ですから、十分にお気をつけてお過ごしください。
ナマステ&シャローム
Nozomi
タイトルから想像して「え、事故?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、ご安心を。
交通事故ではありません。
実はこの半月ほど肩の調子がよくありませんでした。
肩甲骨のあたりに寝違えたような違和感があり、ヨガの練習も何となくやりにくい。
それが先日、激痛となって襲ってきました。朝、目を覚まして起き上がろうとすると、突き刺すような痛みが走り、寝返りも打てない有様です。
これはただの筋肉痛じゃないな、というイヤな予感。
その日のうちにかかりつけの医師に診てもらうと、案の定、炎症との診断。どうりでいくら待っても違和感が消えないわけです。
炎症を抑える薬を処方してもらいましたが、その際に「少なくとも2週間は肩になるべく負荷をかけないように。それから、ヨガもお休みしてくださいね。」と言い渡されてしまいました。
9月のティーチャートレーニングに向けて、苦手なアーサナ(ポーズ)を少しでも克服して臨むつもりで練習を重ねていたのに…。
現在教わっている先生が「関節の痛みには気をつけて。絶対に無理をしないように」と私たち生徒に向かっていつも注意喚起しています。
というのも、適切な処置を怠ると痛みは手首→肘→肩、膝→腰へと広がっていくのを長年の経験の中で学んだからです。
私もこの一年ほど手首の調子があまり良くなかったので、ひょっとするといつかこんな日が来るんじゃないかと薄々感じていました。
でも、もっと先のことだろうし、それまでにはきっと上手いこと回避する術を身につけているだろう。だからたぶん大丈夫、と心の片隅で高をくくっていたのではないかと今になって振り返っています。
頭では十分に理解しているつもり。
でも、実際には“つもり”に過ぎず、技術面の向上に囚われて、わが身が発信している黄色信号を見落としていたわけです。
これではヨガの「自己観察」という大切な要素がすっぽり抜けています。
ひと言で言うなら、まさに自業自得。(自分で言っても凹みます。)
しばらくヨガができないということに数日間ふてくされていましたが、昨日今日でようやく観念できてきました。
診断結果にどんなに抵抗を覚えても、今は無駄に葛藤を呼び起こすだけ。
そんな矢先に、とあるヨガのガイドブックを手に取ってページをめくっていると、次のような記述に出会いました。
要約すると、ヨガにおける成長を一本の木に例えて、「練習を積み重ねていれば、必要に応じて芽吹いていくものであって、直線的にどんどん伸びるわけではない」と。
知らず知らずのうちに、私はいかに自分に対して直線的成長を期待していたことかと、改めて気づかされました。
よくよく考えたら、私はティーチャートレーニングのためにヨガをやっているのではないのだから、たかが2週間練習できないからといって何も焦ることはないんです。
生涯ヨガと付き合っていくために、今は敢えて立ち止らなくてはいけない。
葛藤が全くなくなったわけではないけれども、「アーサナだけがヨガじゃない」ってことを思い起こし、8月中は治療に専念しようと思います。
おそらくはそれが心の準備のために私に与えられた時間であろうことを願いつつ。
皆さんも、ご自分の体が発する信号を見落とさないよう、特に暑さ厳しいこの季節ですから、十分にお気をつけてお過ごしください。
ナマステ&シャローム

Nozomi
肩、大丈夫ですか?とうとう病院だなんて・・・。
怪我をすると、練習を少し無理してでも続けるか、それとも休むか、見極めが難しいですよね。
でも今回はやはり休んで治すべきですね。
私の右肩もまだ違和感があります。
だいぶ良くはなりましたが、完全には治っていません。
そうそう、アサナだけがヨガではないですよ。少し瞑想したり、マントラを唱えたり、YouTubeでいろんな先生方の動画を見てイメトレしたり。。。(笑)
今は焦らず、肩を治してくださいね。
聞いてて聞かないふりっていうのかなw
希さんのブログ見たりして、ヨガに対する感心どんどん高まってますよ~~。
ちびが幼稚園入ったらウフフ なんて計画中!
ゆっくり体 休めてください。
先日のメールでチラッと予告しておりましたが、まさかこんなに早く痛めてしまうとは…。
たしかに見極めが難しかったです。
日本のアシュタンギはレベルが高いので「TTはなおさら」と思うと、
自分を止めることができませんでした。
レベル云々よりも、人と比べるこの癖を克服する方が先決みたいです。
自分の体の声、ついつい聴き逃すよね。
いちいち耳を傾けることに、私は自分を甘やかしているような罪悪感を覚えてしまいます。
特に子供が生まれてからというものは、自分の優先順位が下がりました。
子供たちが小さい時期は特にね。
ところで、ヨガへの関心が湧いてきたとのことで、
私としては「しめしめ」ですよ。(笑)
ぜひ、その計画を実行してくださいな。
その通りでまさにその通りで、耳が痛い次第です。体の信号をちっとも真剣に受け止めない自分にとって、よい刺激となりました。
そのガイドブックの成長の木の例は素敵なイメージですね。
やりたい事が出来ない時もまさに、鍛える時期として自分に必要不可欠な時間ですものね。nozomiの肩、大事にしてください。
なにやら思い当たるフシがおありのようで…。
どうも私たちは「ちょっとくらいの無理」を美化しがちなところがあるようです。
その「ちょっとくらい」が段々と「ちょっと」じゃなくなってきていることになかなか気づけない。
むしろ、「こんなに頑張っている自分」というのを大いに認めてしまうので、
立ち止って見つめ直すことに罪悪感さえ覚えてしまう。
本当は全然そんなことないのにね。
よく私たちの体は叡智にあふれた宇宙に例えられます。
それに比べて心はまるでカオスです。
だとしたら、体が発する信号を無視するなんてナンセンス。
小宇宙からのメッセージ、未病のうちにしっかり受け止めていきたいですね。
仰るとおりです。
思わず再びコメントせずには居られませんでした。
私の体よ今までゴメンナサイ、ですね。
これからは小宇宙からのメッセージ、受け止めます。今足の小指折れてるのだけど、痛いと言ってます(笑)