goo blog サービス終了のお知らせ 

john note〜マリアニストの霊的日記

いちカトリック者です。イエズス・マリア様に捧げるブログです。勝手に書いてます。お気にさわりましたらすいません。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 15

2017-12-27 07:15:48 | Yブログからの転載

イエズス様からコンソラータへ


「コンソラータ、あわれな罪深い人類のために、あなたがゆるしを願いなさい。そして、私の愛の勝利を願いなさい。新しい聖霊降臨において、燃えさかる神の愛の火が、人類の多くの罪を清めるように願いなさい!神の愛のみが、背教者を使徒に、汚れた百合を潔白無垢に、敵意に燃えて反逆する罪びとを、愛の獲物に変化する事ができる!あなたのため、また今、地上にあるものと、世の終わりまで存在する全ての霊魂のために、私の愛の勝利を願いなさい。あなたの絶え間ない祈りによって、私の聖心と愛が、全世界に勝利を占めるよう、準備しなさい。





多くの信者は、愛の生活のために創造されていながら、神の愛が世界を革新するよう、絶え間なく愛し、祈ってほしいとのイエズスの渇望を知らず、また知っていても無視して、神の事も神の愛も忘れて暮らしている。


だから、イエズスは仰せられた。


「コンソラータ、小さい霊魂にも、全ての人々にも、私の、言葉に言い表せぬ愛のへりくだりについて語りなさい!どんなに私が優しく、母らしく、またどんなに人々からただ愛の他何も望まぬか、私の愛に答えてほしいと渇望しているかを伝えなさい。


あなたは私の限りなく大きなあわれみ、母らしい愛のへりくだりを、世界の人々に伝えるために召されている。」





イエズス様からコンソラータへ


「霊魂を聖化する事がどんなに私の喜びであるか、あなたが知ったならば! その喜びを私に与えるため、全ての者は聖なる者とならねばならない!」





「コンソラータ、私がいつも慈悲に満ちていることを忘れてはいけない。この事実を決して、間違えてはいけない! あなたも知っている通りを人々は、苦業、鞭打ち、鎖などを描き出して聖徳を説明する。・・・けれども聖徳はそんなものではない。もし一人の聖人の生涯に犠牲や苦業が見られたとしても、それだけが聖人の生活のすべてではない。」





ある日、コンソラータは重いインフルエンザにかかり、ふらふらしていたために、聖堂の席のところへ体を支えていたが、やがて座り込んでしまった。そんなことは普通の時ならけっしてやらなかったことである。あとでそれを悔やんで、イエズスにゆるしを願った。


イエズスは仰せられた。


「コンソラータ、安心しなさい。私を厳しい者だと考えてはならない! あなたの師父聖フランシスコを起こすため毎朝鳥を送った私は、ある朝、フランシスコが夜ほとんど眠らなかったから遅くまで鳥を送らなかった。同じようにあなたはインフルエンザにかかっているのだから、座り込んでも赦します。イエズスが親切、慈愛、寛大そのものである事はもうわかっているね?

カトリック信者は、自己の聖化とともに人の救いのために働かなければならないと常日頃思うようになった。
自己の聖化・・・・が難しいのだ。
他人をとやかく言う前に、自分はどうなのか?と考えた時、反省してしまう。
厄介なのは、自分との闘いなのだ。
「神様・・・・私は、・・・・・の罪を犯してしまいました。明日から、また、一から頑張ります!!!」
と言ったにもかかわらず、また、次の日に同じ罪を犯してしまう。
ガ――ン!!
しかし、神様はおっしゃるのです。
同じ罪を何回、何千回犯そうが、悔い改めて私のもとに来るならば全て、ゆるそうと。
私の愛は、いつも変わらない・・・と。
神様は、最初は誰もが感じる”恐ろしい”というイメージがある。
何故だろうか?
神様のイメージは、閻魔大王というイメージに近いのでは?



イメージ 2


私は、この御絵を見た時、魅了されてしまいました。
神様の眼差しは、本当に憐み深く、優しい。


神様は、人間一人一人の全てをご存知で、全ての人間を愛し、全ての人間の事情を熟知されていて、人間に決して強制はされない。
全てを寛容に見て下さっていて、全てを善意によって解釈してくださる。
神様は、病気なのに、ミサに行きなさいとは言わないし、出来ない事を強制もしない。
全てを人間の自由意思に委ねられているのだ。
人間の自由意思は、神様ですら曲げることは出来ないんだ。


神様が私たちにお望みになられていること。
それは、一言で言うと”愛してほしい”ということなのだと思う。


神様は”愛”だから”愛”しか望まない。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 14

2017-12-27 07:10:36 | Yブログからの転載


「コンソラータ、全世界のあらゆる霊魂のために、彼らに代わって私を愛しなさい。私は愛に飢え乾いている。非常に!」



「コンソラータ、私を愛して!私は、かわく人が新鮮な水の湧き出る泉を恋い慕うように、あなたの愛に飢え乾いている」



「コンソラータ、これを書き留めなさい。あなたが一度でも愛の心を起こしてくれたら、私は天国を創造するだろう」



コンソラータ、あなたが絶えず私を愛してくれる時、私はあなたの心の中で天国を楽しむことが出来る」

😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
自分の霊感?によって、(霊感というとまた突っ込まれそうですが)、祈りの会をスタートしたわけです。
祈りの会の創設は自分の悲願でした。
祈りの会と言っても、どのようにしたらいいのかわからず、考えていました。

ロザリオ3環とか一日に祈るのは、絶対できないし、祈りがいやいやになってしまうと考えた。
それならば、短くでも、心を込めて祈れるもの、そして、神様のみ前に効果のあるものと考えました。
そして、私に最も関係のある3つの短い祈りが選ばれました。

一日に3回の祈りを一年間やったとしたら・・・3×365=だと考えると1095になります。
ロザリオを多く祈っている人たちにはかないませんが、でも、ちりも積もれば山となります。
このような祈りでも、神様に捧げている人たちが増えたら・・・・それは、強力な力となります。
『最も小さい霊魂の会』は小さなことを、神様に捧げる祈りの会です。

会のスタートは何を隠そうずっこけました。
内容は、詳しくは書けませんが、私としてはそれが罪だとは思ってはいないのですが。
とにかく、ずっこけました。
今、お一人の方が入って下さいました。
そして、入る気持ちはちょっとわからないけれど、祈って下さっている方が何人かいます。

やっぱり難しいですね。
そう思いました。
確かに、この会に入らなくても祈れますし、入ったって入らなくたって祈れますしね。
でも、私はこの会を形として残すことは決して無駄じゃないと思います。
聖テレーズが、幼子の信仰の道を示し、それを具体的にしたコンソラータの道を継承する人間がいてもいいかと思います。
自分が適格者かどうかはわかりません。
でも、神様がカトリック者である私に幼子の道をしめし、聖テレーズをしめし、そして、コンソラータの本を与え、そして、このような感情にさせたのには意味があると思います。

本当に、傍観者たちはいろいろなことを言います。
でも、いろいろな事を言う代わりに、短い祈りをする方がどれほど神様が喜ばれるのかを考えません。
私は、人の事に対してなにかを言うより、一つの祈りを神様に捧げたいと思います。

人の事を言うより、まず、自分と神様。
神様とどう向き合うのか、考えたいと思います。

一年たったら、どれくらい入ってくれているかな・・・。
5人くらいいたらいいなぁ~と思います。

私は、緑のスカプラリオによって多くの人をマリア様につなげてきました。
今回も、『最も小さい霊魂の会』によって、多くの人をイエズス様につなげたい。
そう、思っています。

これが、私の生涯の使徒的活動になると思っています。
イエズス様とマリア様、多くの天使と聖人たちに感謝。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 13

2017-12-27 07:05:01 | Yブログからの転載

イエズス様のコンソラータへの言葉

「何が私をあなたの霊魂にひきつけているかわかるだろうか? それはあなたが私に対して持っている盲目的な信頼だ」



「あなたの盲目的な、子供のような無限の信頼は、大変私を喜ばせる。私があふれる愛と優しさであなたに身をかがめるのはそのためだよ」



「コンソラータ、私はあなたの中に驚くべきことを果たす。あなたの信頼は無限だから。

あなたはイエズスを信じ、イエズスの慈悲深い聖心を信じている。信じるものには出来ない事はない。」



「コンソラータ、私はあなたを使徒たちの使徒としよう」

この信頼のためにイエズスは、コンソラータを成聖の高みまで引き上げ、使徒として世界に遣わしたもうばかりではなく、使徒職に励む霊魂の使徒とされた。



「人々にどれほど神に信頼すべきかを告げるため、一人の幼児を使徒たちの使徒として召し出した神は、その幼児を信頼の使徒とした。また、その幼児があらゆる試練に耐え、目的地に凱旋できるように剛毅の精神を与えた。」





イエズス様のコンソラータへの言葉

「コンソラータ、何も恐れてはいけない。あなたが決勝点へ向かって素晴らしいはやさで飛翔するのを誰も止める事は出来ない。私があなたと一緒にいるから。だからあなたは盲目的に完全に私に信頼しなさい。私は、それを喜ぶ。私があなたを材料としてどれほどの成聖を創りうるか、今にわかるだろう。」

何も、そして誰も恐れてはならない!神があなたと一緒にいるのだから!神はあなたの事をいつも配慮し、神の目の瞳のようにあなたを守っている。私はこれをあなたに誓う。あなたは完全にイエズスの計画通りにするだろう。聖福音のいうとおり、生ける水の川が彼のふところから流れ出るであろう。イエズスに信頼しなさい!いつも!それがどんなに私を喜ばせるかをあなたが知りさえしたら!死の影の中でさえ、私に信頼して私を慰めてくれないか。決して何ものも恐れてはいけない! 完全にいつもイエズスにのみより頼みなさい!  暗闇があなたの霊魂を取り囲もうとも、その時こそ、より熱心に『イエズス、私はもうあなたが見えず御声も聞けません。けれども、あなたに信頼いたします!』と繰り返しなさい。どんな試練にあってもそうしなさい! コンソラータ、あなたの信頼は大きなものだ。だが、試練の日には、その信頼を英雄的にしなさい!」

😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄

イエズス様が、コンソラータを通して、将来の小さい霊魂たちに語っている様々な言葉には付け加えるものがない。
付け加える隙間もないのだ。
簡潔明瞭に話しかけてくださり、無神論者でさえももし、出現を受けたならカトリックに改宗し、たちどころに神を信じるようになるだろう。


しかし、イエズス様は聖トマスに言った言葉で結論付ける。
「あなたは、見たから信じたのか? 見ないで信じるものは幸いである。」
神様が求めるのは、見たから信じる信仰ではなく、見ないでも信じる盲目的な信仰なのだ。
コンソラータも見て信じる人の代表の一人になった。
しかし、多くがそうであったように、神秘家になるのは神様の判断である。
なりたいと思ってなれるものではない。
また、なったとしても世間でいう幸せな人生を送った人はいない。
病気、迫害、苦しみの連続で、主の受難に与るのが人生の大半の時間の使い方になるのだ。
私たちが、学ばなければならないのは、主への祈り方、信頼や委託の方法、そして主の受難にどうやって自分の苦しみを合わせるのか、ではないだろうか。
世の中には、本当に苦しみに苦しみを背負った人がいる。
どうして・・・・私だけが・・・・。  どうして・・・・何も悪い事なんてしていないのに。
という人が多くいる。
イエズス様が背負った十字架は、それらの苦しみも含んでいる。
そして、それらの苦しみが救い主なる神イエズスをとおして、多くの人を救うのだ。
苦しんでいる人がいるとするなら、その苦しみをイエズス様が背負った十字架に合わせてほしい。
そうすることによって、苦しみは無意味なものから、価値あるものになる。
人類を救うという神のみ業に協力しているのだから・・・・。


苦しみと言っても、私はガンになり抗がん剤をうち、苦しみ悶えています。といったようなとてつもない大きな苦しみを捧げよと言っている訳ではありません。
日常の些細なことでいいのです。
上司に怒られたでもいいし、仕事で失敗したでもいい、悪口を言われたでもいいし、気に入らない事があったでもいい、人を傷つけてしまったでもいい、日々の犠牲や苦しみをお捧げすればいいのです。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 12

2017-12-27 07:00:21 | Yブログからの転載

シスター・コンソラータ  1903年イタリア生まれ
本名 ビエリナ・ペトローネ  カプチン会修道女 カトリック教会の神秘家・幻視者
イエズス・キリストはこの修道女を導きつつ、最も小さい霊魂の会の精神、祈りを通して多くの人に恵みを与えていった。





イエズス様が言われる。

「あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。コンソラータ、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。

あなたは罪を犯し、不忠実で不完全な事をするだろう。それらは謙遜の源となり、あなたの進歩を助けるだろう。」



神のお恵みを楽しむ時、信頼を保つのはやさしいが、霊的暗闇を歩くとき、そうはいかない。

その危険に備えて、イエズス様は警告された。

「あのね、コンソラータ、きょう、あなたの霊魂の空は、自然の空のように晴れて、バラ色、水色に輝いている。だがまもなく愛と信頼に満ちた美しい空は、底知れない暗闇に閉ざされるだろう。コンソラータ、勇気を出しなさい!その時こそは実りの多い試みの日だ!

実際に神に愛と信頼を証明する時だ!信頼しなさい。いつもイエズスに信頼しなさい!

それがどんなに私を喜ばせるかを知ったら! 死の暗闇の中でさえ、あなたは常に信頼して私を慰めてくれないか?どんなに暗闇に囲まれても『イエズス、あなたに信頼いたします!』という声でいつも私を喜ばせてはくれまいか。』



イエズス様のコンソラータへの言葉

「何が私をあなたの霊魂にひきつけているかわかるだろうか? それはあなたが私に対して持っている盲目的な信頼だ」
😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄

また、ブログを始められることに感謝します。
本当にうれしいです。


私がブログをやめた、数日間後・・・・
ブログをまた書きたいという衝動に駆られました。
いや、今でも本当は早いのかもしれません。
でも、時間がもったいないと思ったのも事実です。
イエズス様がお話になる聖人たちの本を読むことによって、私たちは神様への接し方を学ぶことが出来ると思います。
イエズス様は、私たちの間違いや欠点を決してあからさまに否定したりはしません。
むしろ、その間違いにより、より良くなりなさいとエールを送って下さいます。
見守って下さっているのです。
神様をよりよく愛するコツは盲目的な信頼です。


このことは、カトリック信者ですら難しい人がいます。
神様を盲目的に信頼する人は、理由なしに神様を信頼します。.
どんなに苦しくても、自分の身に何が起ころうとも、理由なしに信頼します。
信頼すること以外、何も考えません。
私は、これは、一種の神様が与えて下さった恵みではないかと思います。
生まれながらにして、持っている人といない人がいるように感じます。


これを読んでいるうちに、一つの事を書きたいと思います。


コンソラータの部分を自分の名前に置き換えましょう。
イエズス様が言われる。

「あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。コンソラータ、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。
あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。(自分の名前を入れる)、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。             

あなたは罪を犯し、不忠実で不完全な事をするだろう。それらは謙遜の源となり、あなたの進歩を助けるだろう。」


コンソラータに言っているのではあるが、実はコンソラータを通して未来の私たちに言っているのだ。


十字架上で使徒聖ヨハネに行ったように。
この本は廃版となってしまいましたが、今なお、持っている方がいらっしゃいます。
私も、コピーさせて頂いたものを20年も持っていました。


これから、このブログを通して、主要な部分を載せていきたいと思っています。

このブログは、イエズス様とマリア様に捧げています。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 11

2017-12-26 07:07:40 | Yブログからの転載


コンソラータの性格


誰でも欠点や不完全さを持っている。
コンソラータもも持っていた。
その欠点は人目に付きやすいものだったが、コンソラータは隠そうとはせず、かえって人目につくことを喜んだ。
それは、憤慨する事だった。
コンソラータは性急で激しい性格なので「雷様」というあだ名をもらっていた。
規則を守ろうとする熱心のあまり、時々心の中で、自分の意志ではなく感情が激してきて、衝動的に憤慨の声が漏れても、どうしてこんなわずかなことが神の前に罪となり得ようか?
一日のうち、十回も二十回もその衝動を抑えるため、英雄的に戦わなければならなかった。
それでも思わず知らず声が洩れると、すぐに痛悔して神にお詫びし、その欠点を治す誠実な決心をした。
その上、この外部的欠点は、神がある霊魂に与えたもう賜物と働きを人の目から隠すため、霊魂の上からかけるベールのようなものだった。


ノリッジの聖ユリアナ

「神は愛し給う者を至福に導くために、神の目には罪ではないが、世の人々の目には批評と非難の材料になるものを彼らに与え給う」
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
使徒聖ヨハネも雷の子と呼ばれるほど性格が荒かったらしい。
私自身も荒い部分があったし、今でもあると思う。
三位一体の聖エリザベトもそれを克服するためにかなりの苦しみをしたと思う。
カトリック者にとっては全ての苦しみの、辱しめはイエズス様のため、忍耐できる。
全ては私達がイエズス様に似るものになるために必要なもの、なんだと思う。
私も今の部署に移動になってから、自分の悪いところ、ミス、欠点が露骨に指摘され、ずいぶん苦しい思いをした。
上司だけではなく部下やパートにまで及んだ。
精神的にも肉体的にも病気になり、それは今でも進行中だ。

しかしながら、私を最初に公然に批判した人はどうなったか?
病気になり、とうとう会社に出てこれないまでに悪化し、もう仕事はできないだろう。
≪その時の私が受けた言葉に、周りの人たちは凍った。
私は、その時、よく忍耐したと今さらながら思う。
ナイフで心臓をえぐられたような言葉だった。
マリア様が支えて下さったから、我慢できたのだと思う≫
私は、それでも憐れみを懇願する。たしかに、その時は本当に悲しい思いをした。
けれども、今は一人の病人だ。あとは、イエズス様におまかせしょう。

私は、病気によっていろいろな事がわかると確信している。
病気によって、いろいろな事を考えるからだ。
私もそうだったように、自分の無力を感じて、神様に頼って欲しいと願う。
同じ病を持った者として、良くなるように願わずにはいられない。
人は、自分の言葉に対して責任をもたなければならない。
自分の発した言葉が自分に帰ってくるとは本当の事である。

人をさばいてはいけない。
これも真の言葉だと思う。


復讐もそう。
復讐するのは、神にまかせよ。

復讐は神のすることだからである。

他人の欠点を指摘するのは優しい。
しかし、自分の欠点を一つなくすのすらできないのだ。


これを読んで下さっている方に内緒で記事を書き加えます。
最も小さい霊魂の会の記事は、まだまた書き加えるつもりです。
コンソラータは、聖テレーズを具体化したもので、幼子の道がよりわかりやすくなっています。
コンソラータは、列福もされていませんが間違いなく聖人です。
私は、復帰したときのために記事をしたためています。
今は、祈りたいので祈らせてください。
いつ、復帰するのかは私にもわかりません。
しかしながら、その時、より充実した記事を書けるはずです。
でも、その時まで待っている必要はありません。
一人一人読んでいる人も、違う方法で神様を知り、愛せるはずだと信じています。
祈りこそ、この世で最も美しい行為だと思います。
そして、私に必要なのは祈りだと思うのです。
弱いゆえ、神様により頼みます。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 10

2017-12-26 07:06:19 | Yブログからの転載


コンソラータは、その時、成聖の道に進んでいて、自分の意志でなく罪を犯すよりも死んだ方がいいと考えていた。
イエズスのこの御言葉は、コンソラータのような聖なる霊魂ばかりではなく、全ての霊魂に向かって語りかけておられる.。
改心したばかりで猛烈な戦いに直面している霊魂にも、また相当完徳の道に進歩し、長い間神の御助力で罪を遠ざけることが出来たので安心していたのに、み摂理によって突然悪魔の猛烈な攻撃に合って罪を犯し、改めて人間の弱さを感じでいる霊魂にも。


イエズス様からコンソラータへ
「コンソラータ、見てごらん。悪魔はあなたの盲目的な信頼を揺り動かそうとあらゆる努力をするだろう。

でもあなたは、私が限りなく優しく、慈悲深くて、そうでないようにすることが全然できない事を決して忘れてはいけない。

コンソラータ、私の心に入ってきて、私の心を、私の愛を、わかっておくれ。

不信頼によって一瞬でも悪魔が入り込む隙を与えてはいけない。

決して❕

私は本当にいつもあなたのためにお母さんなのだよ。

指にほんの少しかすり傷を受けるたびに、すぐお母さんの所に飛んでいき、包帯をしてもらう小さな子の真似をしなさい。

ちょうどお母さんが本当の傷でも、また想像によって、傷のように思えるものでも、いつも指に包帯をしてあげるように、私もあなたの欠点をいつも直してあげる事をよく覚えなさい。

もし、子供が本当に腕なり頭なりに大けがをすれば、母はどんなに優しく、愛情深く、心配しながら包帯をしてやることだろう❕

そうです。私は黙ってはいても、転んだ時には同じことを霊魂にしてあげるのだよ。

いいですか。コンソラータ❓ 

だから、決して、決して、決して疑いの影さえももってはいけない。

信頼の足りない事が一番私の心を傷つけ、苦しめる」

😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊

どんな信仰深いと思っていても、悪魔の猛攻撃を食らえば、人間はいとも簡単に負けてしまう。
神なしでは、人間は無力な事を改めて実感する事となる。


悪魔といえども、元は神が創った天使なのだから、私たち人間が勝てるわけはない。
しかしながら、神様が共にいるならば勝つことが出来る。


体の怪我や病気は病院に行けば治してくれる。


しかしながら霊魂は神様しか治すことが出来ない。


コンソラータに言った言葉は、コンソラータを通して全ての人間に語りかけておられます。


霊魂を治すことのできるのは、霊魂を愛によって創造した愛である神にしか出来ない。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 9

2017-12-26 07:05:56 | Yブログからの転載

無限に慈悲深いイエズスの聖心は愛と恵みと親しさを常に霊魂へ注ぎたもうので、何度失敗しても、決して落胆してはならない。


イエズス様からコンソラータへ
「コンソラータ、私の心は、あなた方の徳よりも、弱さ、みじめさに負けてすぐに引き寄せられる!神殿から出てきた2人の中、どちらがゆるされたか?取税人だったね。

謙遜で罪を深く悔いている.霊魂を見ると.、私はすぐに負けてしまう。

・・・・私は、いつもそうだ。よく覚えておきなさい。私はあなたを愛している。愚にいたるまで・・・・

いつも愛し続けるだろう。あなたが自分の意志でなくあやまちを犯しても、だからあなたのあやまちのために私が約束を守らないだろうと、決して、決して、決して、少しでも疑ってはならない。

一度もそうしないね!コンソラータ。もしあなたが疑えば、私の心を深く傷つけるのだよ!

私だけがあなたの弱さを底の底まで知り、私だけが人間性のもろさを、そっくりそのまま知っている。

コンソラータ、あなたは、決して、決して、決して、私が約束を守るかどうかと疑う罪を犯してはならない!

私に約束してほしい、そんな侮辱を決して私に与えてはならない。
そんなことをすれば私をひどく苦しめるだろう。

😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄


イエズス様への信頼の不足はイエズス様をすごく苦しめる。
イエズス様は、罪を犯すことよりも罪を犯したのに自分のところに来ない事に対して心を傷めていらっしゃるのだ。
イエズス様は、人間が弱い事を知っていらっしゃり、後悔する人間を赦したくてしょうがない。
しかしながら、人間は神様に向かう代わりに、ほかのものに行ってしまう。


自分もイエズス様を苦しめているのだろうか?
考えてしまう・・・。


私は、聖テレーズの霊性を継承するコンソラータも大好き。


最も小さい霊魂の会っていう本、今は売っていないんだよね。


カトリック者は、と言うかカルメルの霊性を持つ者は絶対読んでおきたい本です。
でも、コンソラータはカプチン会なんだよね。
関係ないけど。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 8

2017-12-25 07:15:25 | Yブログからの転載

イエズス様からコンソラータへ
「コンソラータ、次の二つの霊魂のうち、どちらがより完全たろうか。一方の霊魂は私に向かっていつも"自分は不完全です"と嘆き声を上げるばかりで、重ねて過ちばかり犯し、決心した事も忠実に守らない。

もう一方の霊魂は私に嘆き声を聞かせる代わりに微笑みかけ、出来る限りの力をあげて、いつも私を愛し続けることに没頭しているので、自分の意志から犯したのではない欠点をくよくよ考えて時間を損失する事がない。

どう思うか、言ってごらん。」


コンソラータ
「私は、二番目の霊魂の方が好きだと申し上げました。」


イエズス様
「だから、出来るだけの力を尽くして私を愛しなさい。もし、私にちょっと背いたことに気がついたら、もっと熱心に愛の心を起こし、また新たに愛の歌を始めなさい。私は、虐待者ではない。イエズスはたった一つの愛の心に対して罪悪に満ちた全生涯をもゆるすのだから、あなたがたった一日自分の意志ではなく無益な思いに浸ったからと言って、どうして気がついて問題にしよう❓ だから繰り返し"イエズスよ、私の悪かった事をご覧ください。私はなんと不忠実だったのでしよう。"などと私に嘆くことは無駄で、時の損失だよ。それと正反対に、もっと深い熱心な一つの愛の心を起こせば、あなたの霊魂は恵みに浸され、私の心を喜ばせる。わかりましたか❓ ・・・・自分の意志ではない欠点に目を注ぐのはやめなさい。」

イエズス様は、優しいですね。
神様は、本当に誤解されているのがわかります。




ふたたびブログを再開する力が湧いてまいりました。
イエズス様、マリア様、そして新たにピオ神父様が見守って下さっています。
聖ヨハネ使徒、聖テレーズ、
及び私の愛する天使と聖人たちの見守りのもとに再開いたします。


ブログの内容が変わる事もなく、今まで通りの内容ですが・・・・。


今後ともよろしくお願いいたします。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 7

2017-12-25 07:10:17 | Yブログからの転載

イエズス様から コンソラータへ 


『もし、なにか罪を犯したら、くよくよと悲しまずに急いできて、その罪をみな私の心の中に入れなさい。それからその罪の反対の善徳を実行する決心を固めなさい。

しかし、落ち着いて静かにやりなさい。

そうすればあなたの罪の一つ一つは、全て進歩への一歩一歩となるだろう』


『平和な霊魂は新鮮で純粋透明な水が絶えず湧き出る泉のようなもので、私は欲しい時にいつでもその水で渇きをいやすことが出来る。

だが、霊魂に不安が入れば、ちょうど棒で水底の泥をかき回したようになって、そこから私は飲むことが出来なくなる。』




『決して不安に思ってはいけない。決して!本当に決して!

あなたが不安になれば、悪魔が満足し、その勝利は確実なものとなる。』

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 6

2017-12-25 07:05:50 | Yブログからの転載


イエズス様からコンソラータへ    1935/11/3

『 コンソラータ、善良で信心深い霊魂、あるいは私に捧げられた霊魂ですら『私は救われるでしょうか?』という疑いの言葉をもらして、私の心を底の底まで傷めることがしばしばある。聖福音を開き、私の約束を読みなさい。

私は、私の羊たちに約束した。

『私は彼らに永遠の生命を与えるから、彼らは永遠に滅びることなく、また私の手から彼らを奪うものはないであろう』

わかりましたか?

誰も私から一つの霊魂を取ることが出来ないのだ!

次を読み続けなさい。  
『私の父が私に与えたもうたものは、全てに勝って尊いものである。誰もそれを私の父の御手から奪うことは出来ない・・・・・永遠に至るまで彼らは滅びないであろう・・・・なぜなら私が彼らに永遠の生命を与えたからである。




誰のために私は、これらのことを言ったのであろう?

全ての羊のため、全ての霊魂のために!

それなのになぜ『私は救われるでしょうか?』という侮辱的な言葉を言うのだろう。

私は聖福音の中で、誰も私から一つの霊魂も奪うことは出来ない。そして霊魂に永遠の生命を与え、霊魂は滅びることが出来ない、と確証している。

コンソラータ、私を信じなさい。

地獄へは、本当に行きたい者だけが行くのだ。なぜなら、誰も私から一つの霊魂も奪うことが出来ないが、私の与えた自由意思により、霊魂は私から逃れ、私に背き、私を否定し、自分の自由意思のままにサタンのもとに行けるからである。




このような不信頼によって私の心を傷める代わりに、あなたたちはもう少し天国について考えなさい。

私は、あなたたちを地獄へ行くため、悪魔の仲間に入れるために創ったのではなく、天国へ行くため、永遠の愛の中で私と一致して楽しむために創ったのである!

わかりましたか?




コンソラータ、地獄へは行きたい者だけが行くのだ・・・・・地獄へ行くのではないかとあなたたちが恐れるのはなんと愚かなことだろう。あなたたちの霊魂を救うために私の血を流し、全生涯中、恵みにつぐ恵みを注いだのに・・・・・私のあがないの果実を取り入れようとするまさにその時・・・・・つまり霊魂が私を愛そうとしている時である臨終にあたって、最大の敵サタンが、私から霊魂を奪い去るのをどうして許せようか?




聖福音の中で、私か゛霊魂に永遠の生命を与え、誰も私の手から奪い去ることができぬと約束しているのに、どうして私があえてそんなことができようか?

コンソラータ、どうしてそんなひどいことが信じられるのか?




わかりましたか?

最後の最後まで回心しないのは霊魂がわざわざ地獄へ行きたいと望み、どうしても私の憐みを拒む場合だけだよ。

私は、どんな人でも決して許さぬことはないから!

私は、全ての人々に無限の憐みを贈る。

私の血は全ての人々のために流されたのだから!
全ての人々のために!

霊魂を永遠の災いに堕すのは犯した罪の多いためではない。

悔い改めさえすれば、私は何もかもゆるすのだから。むしろその霊魂が、どうしても許してもらいたくない、地獄へ行きたいと望むからだ!




十字架上の盗賊、聖ディスマスは、非常に多くの罪を犯したが、私に対してただ一度信頼の心を起こしたために、瞬間的にゆるされ、その回心したちょうどその日に、天国へ入り、聖人の一人となった。

私の憐みと、私への信頼の勝利をこれによって悟ることができよう!




コンソラータ、私に全ての霊魂を賜った父なる神は、全ての悪魔よりもずっと偉大で、全能である。

私の父の御手から、誰も霊魂を奪い去ることはできない!

コンソラータ、私を信頼しなさい! いつも私を信頼しなさい! 私が必ず成し遂げることを盲目的に信じなさい。

私は限りもなく優しく、あわれみに満ち、『悪人の死を望まず、かえってその罪びとが回心して、生きることを望む』



地獄へは、本当に行きたい者だけが行くのだ!
というイエズス様のお言葉。


神であるイエズス様は、人間から愛されることを望んでいるのです。
全能の神であるのにも関わらず、ちりのような価値のない人間から愛を乞うている。
なんていう神なんだろう。


愛である神。
愛ゆえに、弱い人間を愛さずにはいられないのだ!
被造物たちよ、この愛に少しでも答えてもいいのではないかと思うのです。