jogo式Canoe Life

真白き富士の根


 明治43年1月23日、その悲劇は起こりました。100年前の話です。旧制逗子開成中学の学生が、逗子海岸からボートで海に漕ぎ出しました。江ノ島に住み、病気療養中の先生を見舞いに行こうとしたようです。冬の湘南の海は急変しやすい。七里ガ浜沖でボートは転覆、12名の青年が命を落としました。この時、兄弟で強く抱き合ったままの状態で見つかった亡骸があったそうです。
 今日の七里ガ浜は雪に覆われていました。稲村ガ崎にはこの兄弟の像があり、湘南と富士山を見据えています。

を知るのはむずかしい 自分を知るのはもっとむずかしい 常照寺境内の掲額

コメント一覧

jogo
 森鴎外さんは衛生学が専門の医師でしたね。実は舞姫さえ読んでません。どうも、このあたりは苦手です。
丁稚
この時代、結核とともに多かったのが脚気の患者。先日、この脚気克服に挑んだ医師であり海軍軍人の小説を読みました。日清・日露戦争で無くなった兵士は戦闘による死亡者よりも脚気での死亡が多かったとか。小説の後半に出てくる森鴎外。もともと好きじゃなかったけど、自分の学説にこだわり、現実を見ず無駄に兵士を死に追いやったアホという印象を持ちました。実際、ドイツに留学しても医学も勉強より美術館回りばかりしていたようですね。
jogo
当時は病気療養中の先生というのが多かったようです。病気療養のために湘南に来ていた先生が多かったといって方がいいでしょうか。結核が多かった時代の話です。
丁稚
この遭難の話は知ってましたが、病気療養中の先生を見舞いに行こうとしての受難とは知りませんでした。母方の祖母は105歳で健在ですが、その祖母が5歳の時と思うと実感がありますね。
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