ZCCの仲間が鶏を飼っています。普段は卵を取る。また上質の肥料(鶏糞)も取れるので、たくさんいただきました。この日は、年老いた雌鳥を潰して、食材とする、という趣旨で集いました。
鶏を潰して食べるというのは、今はほとんど見られない行為です。ですが僕の親の世代、そう、終戦前後の生まれなのですが、鶏を飼い、卵を取り、最後は殺して食べるというのが普通に見られる営みだったそうです。
捕まえると手の中にジワリと温もりを感じます。暴れてるし、生きるを感じられずにはいられません。僕は、食べるということに、人一倍というほどではないですが、関心を持つタイプです。自分が食べる(口から入れる)ものがどこに由来するか、どうやって育てられたものか知っておきたい方の人間。だから魚を釣ったり、野菜を育てたりします。
鳥を潰すということに前から興味を持っていて、それは自分の手の中で生きた命を食材に変えるという行いだからです。ですがなかなか機会がなく、過去に2回経験があり、そのうち1回は海外にまで行って山岳民族の方から習ったぐらいです。
うちの子も来て、作業を手伝ってくれました。羽をむしるだけでしたが、それでも色々思うところがあったようです。「かわいそう」「悲しい」など、気持ちを言葉にして表現していました。でもランチには鳥の唐揚げを食べていたのですが・・。
魚にしろ、豚や牛にしろ、人間は生きる上の業、その命をいただいて、それを糧として生きている。これは野菜や米を食べることだって、命をいただいてるので同じだと思っています。
スウェーデンはは資本主義と社会主義の間で第三の道を模索していた。そのおかげで(東ドイツの)博物館での調査を許可してもらえたのだろう。