jogo式Canoe Life

2005年のこと

 2005年3月だったと思う。ファルトボート でタイのメコン川を下り、バンコクに戻った時。顔は灼熱の太陽で真っ赤、腫れぼったく、だけど気持ちは高揚し、数日のバンコク滞在を楽しむつもりだった。
 インターネットカフェへ。メールをチェックしたり、日本の情報を集めたりするために。久しぶりに日本語が読めて嬉しい〜。Yahoo!ニュースのトップに目をやると、気になる記事が目について。すぐにクリック。内容は八重山の西表島でガイドツアー中の事故が起きていること。そのガイドは、日本縦断をシーカヤックで成功させているエキスパートだと書かれていた。
 その場で、葉山のパフさんにメール。まさか本郷さんか?。全く理解出来ない。何で?。すぐに折り返しのメールが来て、本郷さんであること、詳細は分からないので、詳しく調べると返事が届いた。
 涙が止まらなかった。インターネットカフェで、安い椅子に座りながら、回りから見たらただの変な人だったと思う。

 サーフカヤック用のパドルが欲しいと当時逗子に住んでいた柴田さんに相談したところ、「閉店セールで東京エコマリンに手頃なものがあるから行ってきな、今、村田くんと本郷くんが店にいるから話てきな」と紹介され、話をさせてもらったのが、この時より7年ぐらい前だったか。

 その後、シーカヤックの先輩に「なぜあれ程の人が遭難するのか?」聞いて回っても、誰も答えてくれなかった。
 
 仕方なく、イギリスのシーカヤッカー、jeff allenに、メールで状況を話し、意見を求めた。返事はこうだった。「jogo、実はエキスパートカヤッカーの遭難死はよく起こっているんだ」という書き出しで、具体的な例や、自分の身近なところで起こった事故の話をしてくれた。そしてメールの最後に「海へのリスペクトを忘れた時、自ら悪運を引き込む」と書かれていた。この言葉を読んで初めて、腹に落ちたような、納得できた気がした。

 この話にはさらに先があって、僕は機会があるごとに、本郷さんを知る人や、その周辺の人に会えたら、本郷さんの話を聞いていた。誰もが信じられないとか、なぜか分からないと言ったり、言葉を濁した。

 しかし、一人だけ真正面から僕の疑問に答え、直球な話をしてくれた人が現れた。石垣の八幡暁さんだ。スケールがでかく、えれー男だった、八幡さんは。本当に誠実な男だ。

 今でもバンコクで流した涙を、熱い涙を思い出すことがある。今日も、想いがそこに至った。だから文章を書いてみた。

コメント一覧

jogo
 しんのじ先生
 はい、両方の事故、それで間違い無いと思います。
 ずっと忘れてはいけない事故だと思ってます。

しんのじ@ 長崎
セニョール本郷さん(シーカヤッカー誌で憧れていました)の遭難死の件、千葉でエクストリームレースの練習中に謎の死を遂げられたカヤッカーの件と共に、エキスパートカヤッカーの痛ましい事故として強く記憶しています。6歳位の女の子とその母上を、たしかシングル艇+タンデム艇(タンデム艇が本郷さんと子供?)で島渡りした後、強風の中、帰路で遭難、という経緯だったと記憶していますが、間違ってないでしょうか?
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