アメリカに暮らす

アメリカのTV番組や日常生活等について綴ります。ニュースのネタバレ度は弱~中、エピガイのネタバレ度は強です。

Manzanar National Historic Site

2007年07月25日 | 旅行
昨年、マンザナール強制収容所の跡地であるManzanar National Historic Siteを訪れた。マンザナールは第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されたキャンプ地の1つで、最近になって資料館/博物館として復興されたのだ。

第二次大戦中、アメリカに移民していた日本人(「一世」)や日系アメリカ人(「二世」)たちは敵国の日本帝国の国民と同類と見做され、強制的に住居を立ち退かされ、人里離れた荒地や砂漠地帯の特設キャンプ地(合計10ヶ所)に送られた。その数は約12万人。マンザナール強制収容所だけでも1万人余りが暮らしていたという。また、強制収容所で生まれた人たちもいたが、彼らは強制収容所の廃止とともに故郷を失ったので複雑な気持ちだろう。

こういったキャンプ地は一応、「転住センター (relocation centers)」という名目だったが、有刺鉄線&鉄柵で囲ってあり、見張り台も設置されていた。一般的には「relocation camps」、「internment camps」、あるいは「concentration camps」とも呼ばれていた。(ただし、ナチスの「concentration camps」のように大虐殺が行われたわけではない。)

「転住」の際、各自は荷物と同じようにタグ(名札)を身に着けさせられた。強制収容所に持ち込める荷物は自分で持てる範囲内に限定され、それ以外の所有物は没収されるか、または処分しなければならなかった。

強制収容所内の住まいは急ごしらえの「バラック」で、トイレにも仕切りがなかった。「住民」(実は「囚人」)は敷地内での移動はほぼ自由に行えたが、余程の事情(重病等)がない限り、フェンスの外には出られなかった。仕事場も学校も農地もフェンスの内側にあった。

Manzanar National Historic Site(以下、「MNHS」)があるのはカリフォルニア州のシェラ・ネヴァダ山脈の東側、The Owens Valleyという地域。ロサンジェルス地域からはハイウェイ395号線(U.S. Highway 395)を北上してマンモス・マウンテンのスキー場に向かう途中にある。

オーウェンズ・ヴァレーの景色は綺麗で、特に冬場はカリフォルニアのハイウェイ/フリーウェイから見る景色としては最も美しいと思う。また、395号線は5号線や101号線のように混んだりしないので、目的地によってはかなり便利な裏道としても利用できる。(夜間は視界が悪そうなので避けた方が良いかも?)

MNHSがある辺りは夏季と冬季の温度差が激しく、風も強いため、住むのには過酷な場所だろうと想像できる。MNHS自体はハイウェイ395号線のすぐ脇にあるのだが、周りには他に何もない。長大なシェラ・ネヴァダ山脈がビーチ方面への交通をほぼ完全に断ち切ってしまっているので、どこかに行く「ついでに」寄るのにもあまり適していない。(だから道が混まないのだろう。)

私たちの場合、マンモス・マウンテンで遊ぶための拠点としてビショップに宿泊していたので、その帰りに寄ることができたのだが、それ以外にはローンパインインディペンデンスに泊まるか、デス・ヴァレーに行く「ついでに」寄るという手もあるだろう。夏場なら、近くの山でキャンプもできる。

MNHSは395号線の出口がそのまま駐車場に繋がっている。繰り返すが、他には何もない場所なのだ。MNHSの看板も派手ではないし、建物も目立たないので、知らなかったらそのまま通り過ぎてしまっただろう。

駐車場に車をとめ、資料館/博物館の中に入ると、まず、小さなギフトショップがある。強制収容所に関する書籍だけでなく、昭和の日本を偲ばせるような玩具等も置いてある。

奥は意外と広い。まず目に入ったのは見張り台だ。マンザナール強制収容所には8つの見張り台があり、それぞれから銃が常に内側に向けられていた...と知った後にあらためて見上げると、圧迫感と恐怖と怒りと悲しみが混ざったような感情が込み上げて来る。

また、実際に使用されたバラックの一部もあり、その内外には強制収容された日系人たちの生活用品、当時の日本帝国に関する新聞記事や日系人宛の「転住」通告、手紙等も展示されている。写真も沢山あるし、関連ビデオも見れる。

第442連隊戦闘団のドキュメンタリー・ビデオもある。第442連隊戦闘団というのは日系アメリカ人だけで編成された部隊で、ヨーロッパ戦線で大活躍した。実はアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊である。その合言葉は「Go for broke. (当たって砕けろ!/とことんやれ!)」だった。ちなみに、ロサンジェルスのリトル東京にもGo For Broke Monumentという記念碑がある。

MNHSに入場した際に地図をもらったのだが、それは建物内部の見取図ではなく、実は建物の外の地図だった。強制収容所そのものは何十年も前に取り壊され、今ではほとんど何も残っておらず、木や草が勝手に生えている。ただ、かつて鉄柵があった所が道になっており、車でグルっと回ることができるのだ。ハイウェイ395号線の辺りを正面とするなら、ちょうど、その反対側の一番奥まった場所に慰霊塔(写真)が建てられているので、私たちもお参りさせてもらった。

MNHSは気分が滅入る場所かもしれない。日本人や日系アメリカ人にとってだけではない。「日系人の強制収容」という事実は「自由と平等」を謳うアメリカ合衆国にとって、歴史上の汚点なのだ。だが、それに敢えて直面して反省するキッカケを与えてくれる貴重な資料館/博物館が作られた事を感謝したい。折しも、(その正当性はともかく)アメリカは現在、中東で戦争をしている真っ最中である。しかし、だからといって、もし、「アラブ系アメリカ人の強制収容」という事態が起こったりしたら、一体どうなるか?

MNHSの管轄は「U.S. National Park Service」となっているが、現場で働いている人たちは陸軍の制服らしき物を着ている。去り際、若い白人兵(20代前半?)が「Thank you.」と言ってくれた。お互い、第二次大戦を知らない世代だが、白人が日本人の私にMNHSへの来訪を感謝しているのだ。「時代は変わった」と思わせる瞬間だった。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日系人強制収容所 (ジョウ)
2007-07-26 05:08:19
『American Pastime』という映画のレビューを書いていたところ、日系人強制収容所に関する説明が長くなりすぎてしまいましたので、分けることにしました。

映画のレビューはまた、後ほど...。
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Unknown (TB)
2007-07-26 19:23:13
ありきたりですが、やはりアラン・パーカー監督作の「愛と哀しみの旅路」(原題:Come See the Paradise)を思い出しました。あの映画でも舞台になったのは砂漠の収容所だったので、日本語ですこし検索してみましたが場所は分かりませんでした。(でもデニスクエイドが歌っていたのが「鴛鴦歌合戦」の歌だと分かったのはうれしい。印象的なシーンでした。) 近いうちに見直したいと思います。
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Come See the Paradise (ジョウ)
2007-07-28 04:50:14
TBさん、英語で調べてみました。WikipediaにもIMDbにも『Come See the Paradise』に出て来る強制収容所の具体的な場所は書かれてませんが、Amazon.comにはカリフォルニア州と書かれてますので、マンザナールもしくはツールレイク(Tule Lake)なんでしょうね。

ちなみに、Yahoo! Moviesによると、同映画の撮影場所はこうなってます:
Portland and Astoria, Oregon
Seattle, Washington
Palmdale, California

この情報から想像すると、Palmdaleあたりの荒野にセットを作ったのではないでしょうか?

ところで、私は『Come See the Paradise』を未見ですので、見てみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。
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マンザナー行きました (スージー)
2007-08-23 02:33:23
はじめまして。

私も1999年に日系人の皆様と一緒に
マンザナーを訪れました。

いろんなことを考えさせられました。

そして、「Come See the Paradise」とてもいい映画です。
ぜひ!ご覧ください。
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ようこそ♪ (ジョウ)
2007-08-24 07:40:07
スージーさん、はじめまして。日系人の方たちと一緒に行かれたのなら、特別な感慨を抱かれたことでしょうね。よろしかったら、もう少し詳しくお聞かせ下さい。

ところで、1999年にいらした時には資料館/博物館はあったのでしょうか?見張り台が復興されたのは2005年らしいですが...。
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