楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

バンコク病院

2011-07-02 01:19:33 | タイの医療

(父と相談した結果、今日からしばらくの間は日本にいる父に直接書いてもらうことにしました。父から説明を受けても、医療のことは僕ではうまく書けないからです。ややこしい話が終わったら、また僕が戻ってきます。)

 

バンコク病院は、バンコクの中心部を東西に走る目抜き通りのひとつ、ペップリ通りを少し北に入ったところにあります。いくつかある病院のビルはすべて白で統一されており、一番高いビルは16階建てです。

開業からほぼ40年、今では東南アジアで有数の設備と医療水準を誇る病院のひとつになっています。ベッド数は500床には満たない規模ですが、建物は広々として開放的な雰囲気の病院です。本館を入るとすぐエスカレーターがあります。それには乗らず、左手に行くと小さな受付があり、初めて来た人はまずそこで病状を説明し、どの科を受診するかを決めてもらいます。

バンコク病院には20ほどの診療科があります。評判としては、心臓病センターが充実しているようです。アラブ諸国からわざわざ治療のために訪れる金持ちもいます。入院患者の病室はすべて個室で、比較的ランクの下の部屋でも高級ホテル並みの広さがあります。もちろん料金も同様です。

アラブ系の人たち専門の診療部門AMSのほか、日本人のための診療部門JMSもあり、アラビア語、日本語の通訳が常駐しています。アラブ人と日本人。この2者が金持ちの象徴だったころにこれらの診療部門が創設されたのではないかと私は思います。アメリカや日本の大学病院での教育・診療経験のある医師も多くいます。

受付をさらに奥に進むと、こじんまりとしたロビーでこの日はバイオリンなどの室内楽の生演奏が行われていました。その優雅な音色が、いかにも高級な病院という雰囲気をいやがうえにも演出していました。

さらに奥に入っていくとフードコートがあります。入口で長さが20センチ、幅10センチほどもある会計ボード(板)を渡されます。好きな食べ物を注文するたびにそのボードを従業員に渡すと、金額がボードにメモリーされるようになっています。デパートなどのフードコートは、最初に100バーツ、200バーツのクーポン券(食券)を購入しなければならないので「クーポン食堂」と呼ばれていますが、バンコク病院の食堂はそれとは違い、とてもユニークな会計システムです。食堂を出るときにその会計ボードを渡して食べた分だけお金を払うのです。デパートのクーポン食堂より少しだけお値段もいいようです。

さて、私たちのことに話を戻しましょう。昨年の5月8日に私たちはバンコク病院をはじめて訪ねることになりました。受付から、外科部門の中のひとつ「ブレストセンター」に回され、妻は乳房の専門医の診察と精密検査を受けることになりました。

ブレストセンターは本館の向かって左側のビルの3階にあります。本館のエスカレーターでまず2階へ上がり、渡り廊下を通って別棟に進み、日本人専門のJMCの横を通り過ぎ、さらにエスカレーターでひとつ上がると目的のブレストセンターの受付が目の前に現れます。時間は午前10時を回ったところ。この日は患者はほとんどおらず、受付をすませてわずか5分で看護師に呼ばれました。

最初は体温や血圧、体重などのお決まりの測定を受け、また待合のソファーで待機します。そのソファーのつくりも、日本の大学病院などにある硬いビニール製のソファーではなく、全部ではありませんが、一部は布張り、革張りの高級家具でした。

次の検査の前に一度医師の問診がありました。そしていよいよ本格的な乳房内とリンパ節の検査です。ブレストセンターというからには、もちろん訪れる患者の大半は乳がんの疑いのあるひとだろうと思います。この日、30代半ばの妻も、そのひとりになったのです。

まず行われたのはマンモグラフィーによる乳房内の撮影です。

妻が2日前に私に訴えたのは、右わきの下の違和感でした。何かグリグリしたものが動いているような感じがする、というものでした。その時点では私は乳がんについての知識はほとんどありませんでした。しかし、乳がんはわきの下のリンパ節に割合と早い時期に転移していくということは知っていました。それで、妻に乳房に違和感がないかどうか確かめたのですが、まったくないという返事でした。触ってもしこりは感じられないのです。

なぜか私はそれでも乳がんの可能性があるのではなかと、素人ながら疑いました。それでバンコク病院へ連れて行ったのです。ただ、

妻はその半年前に日本の病院で乳がん検診を受けていました。そのときの結果は白だったのです。ですから、思い過ごしだろうという気も半分はありました。

マンモグラフィーの結果はすぐに出ました。私は不安を抱えながら、それほど高級とは思えないほうのソファーに座っていると妻が戻ってきてささやきました。

「右のおっぱいに2センチくらいあるんだって。」

「何が?」

「何かわからない。でも怖い。がんかもしれない。どうしよう。針刺して調べますけど、やりますかって言われたの。」

「ああ、バイオプシーってやつだ。サイボウを取って調べるやつだ。やってもらいなさい。」

そして、すぐにバイオプシー検査が始まりました。

一連の検査がこんなテンポで進んでいくのは、医療費が高く患者数が少ない高級病院だからこそに違いないと思いました。事実、その2か月後に訪れることになる、国立病院では最高水準を誇るチュラロンコン病院の事情はまったく違っていました。

右の乳房に2センチのしこりが発見され、そのしこりと、右側のリンパ節から細胞の一部を取り出す段階に検査は一気に進みましたが、バイオプシーの結果はすぐに出るものではありません。その日は検査後1時間ほど休憩して帰ることになりました。

結果がわかるまで1週間かかるというのです。私は次の日には日本に帰って仕事に復帰しなければなりませんでした。どっちに転ぶのかわからないまま、不安がる妻を残してバンコクをあとにしたのです。

 

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