楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

お知らせ

2017年5月20日、私を世界で一番愛してくれたタイ人の妻が乳癌のため亡くなりました。 私が2012年に日本を去り、チェンマイに家を建てて移り住んだ理由は、そう長くは生きられないかも知れない妻が、バラバラに育った子供たちと一緒に暮らせるようにするためでした。そして5年。楽しかったことや辛かったこと、実にいろいろなことがありました。妻は最後に日本語で「シ・ア・ワ・セ」と言って息を引き取りました。44歳でした。

番外編~ブログをこれで終了します~

2017-06-13 20:52:46 | タイの家族
一旦休止します、また改めて妻のことを書きます、と宣言しました。でも心変わりしましたので、また筆を執りました。 亡くなって一か月近く経った6月の中旬になっても、毎日毎日、妻のことが思い出されて胸が張り裂けそうになることがあります。でも、先日チェンマイ在住のある方から、こんなことを言われて心境が変わりました。 「仏教的に言えば、人は過去に生きてはいけないのです。「今」が一番大切です。亡くなった奥さ . . . 本文を読む

お知らせ

2017-06-06 19:39:23 | タイの家族
いつもブログを読んでくださっている方々へ 亡くなった妻のことをきちんと書き残しておきたいという気持ちがだんだん強くなってきました。家庭の事情で、7歳の時からろくに学校も行かずに重労働に従事し、10代半ばの頃はバンコクの工場や建設現場を経験しました。そして人身売買のような形で18歳のときに日本へ・・・過酷な運命というよりは、裏社会の思いもしない境遇に置かれたひとりのタイ人女性。そんな中で授かった3 . . . 本文を読む

ホタルが飛んできましたけど・・・

2017-06-05 08:46:35 | タイの家族
昨夜は少し早めに床に就きました。最近はなかなか寝付けず、夜12時近くに寝ていたのですが、珍しく10時半頃に電気を消しました。 少しウトウトし始めたときでした。閉まっている部屋のドアがカチャっと音をたてたような気がしました。ほんの僅かな音です。あれっと思っていると、何とホタルが1匹勢いよく入ってきたのです。ドアの向こうはリビングです。どうして入ってきたのだろう・・・そう思っていたら、部屋の中をぐる . . . 本文を読む

糸の切れたタコ

2017-06-04 20:27:56 | タイの家族
私のゴルフ友達が、つい数日前にこう言いました。「奥さんが亡くなったので、糸の切れたタコのように遊びまわるのかなと思っていたんですけど・・・」これは私に向けられた言葉です。でもこの言葉はそっくりそのまま、高校生の息子に当てはまります。 とにかく、毎日毎日車を乗り回して困ります。家に帰ってくるのは10時を過ぎることが多くなりました。学校の行き帰りはバイクよりも安全ということで、妻も認めていましたし、 . . . 本文を読む

妻が好きだった日本料理店で食事しました

2017-06-02 22:51:02 | タイの家族
一昨日、3日ぶりにじゃじゃ馬の長女がわが家にやって来て、「明後日の夕食は、みんなで寿司〇〇へ行きましょう。私がおごります」と言いました。寿司〇〇という日本料理店は妻の一番お気に入りの店でした。高級店ではなく、ごく庶民的な日本料理店です。チェンマイに住んでいる日本人なら、ほとんどみんな知っている店で、私たちは月に1回は家族みんなで行っていました。 ということで、今夜はそこへ行きました。ただし高校生 . . . 本文を読む

娘とタイ語で会話できるようになりました

2017-05-30 21:06:24 | タイの家族
妻の生い立ちや、“魂の伴侶”とも言うべき私たちの不思議な出会いについては、もう少し落ち着いてからゆっくり書いていくことにします。毎日毎晩、妻のことを思い返していると、やはり心の中の「喪失感」が強くて私自身が苦しいのです。感情に流されず冷静に書けようになってからにします。 さて、今日は妻がいなくなってからの我が家の現状のお話です。 今は5人暮らしです。私、二番目の娘、その . . . 本文を読む

妻の日記

2017-05-27 23:58:48 | タイの家族
妻が亡くなって、あっという間に8日が経ちました。昨夜、寝る前にまた例によって妻のことを思い出していました。そうしたら、あることにハッと気づいて、思わず「ゴメンね!」と口に出してしまいました。 妻は13年ほど前、私と一緒に暮らし始めた頃から3年間ほど、私の知らない間に日記を書いていました。もちろんタイ語です。自分の生い立ちや、当時はバラバラに暮らしていた子供たちのことも書いているのですが、内容の多 . . . 本文を読む

最後のお別れ

2017-05-25 17:01:26 | タイの家族
昨日、葬儀はすべて終わりました。亡くなった日を数えて5日目でした。 お寺の中の火葬場です。 棺が火葬台の上に運び込まれたあと、火葬台の周りを取り囲むようにたくさんの人が見守る中、いろいろな供え物を抱えた親戚やお坊さんが火葬台の周りを3周します。このとき、実は私は携帯カメラしか抱えていませんでした(笑)。 このあと、地元の名士?や親戚代表など全部で10人くらいが、司会に呼ば . . . 本文を読む

コン・ラック、コン・ディー

2017-05-24 09:05:35 | タイの家族
妻の故郷、カムペーンペットでの葬儀2日目の様子をご紹介しておきます。 朝は7時にお坊さんがやってきて、タンブンを行います。夜の部に比べれば人数は少ないですが、近所の人なのでしょうか、早い人は6時ごろ来て、始まるのを待っています。 朝のタンブンでは、読経が一段落したあと、お坊さんに食事を出します。すべて、親戚や知人の女性たちの手作りです。同じものをお客さんにも出すので、特に夜の部ではすご . . . 本文を読む

故郷に帰った妻

2017-05-23 10:40:30 | タイの家族
妻の生まれ育ったカムペーンペットからです。 ノートパソコンを持ってこなかったので、初めて携帯からの投稿で難儀です。画像をうまくアップロードできませんので、チェンマイに戻ったら、写真を整理して載せることにします。   チェンマイの自宅での葬儀が行われたのは、妻が息を引き取った当日と、翌日の夜の2日でした。2日目は、報せを聞いてわざわざ日本から来てくれた妻の20年来の友人3人と、その娘 . . . 本文を読む

チェンマイでの通夜初日

2017-05-21 06:55:18 | タイの家族
妻が息を引き取ったのは、正確には5月20日の午後4時09分でした。 あっという間にプーヤイバーン(村長さん)や地域の人たち7~8人がやってきて、ベランダで妻のからだを洗ってくれました。妻が一番好きだった服を着せました。   気持ちよかったでしょうね。なにしろ長いことシャワーも浴びられなかったですから。なぜか、息を引き取る少し前から妻の顔が急に変わりました。闘病生活長かったので、本来 . . . 本文を読む

今朝は親戚と、ひと悶着

2017-05-20 10:39:18 | タイの家族
昨日から、妻は眠っているような時間が急激に増えました。どこかが痛いのでしょうか、ときどき「あ~」という大きな声を出して体を動かします。でも2~3日前までのように、強く足を蹴るような動作は影を潜めてきました。チアノーゼは出ていません。 昨日、末期の癌患者がいよいよ別の世界へ行こうとするとき、どんな兆候が出てくるのか、インターネットでいろいろ検索して調べました。 主として呼吸の仕方で大体わかる . . . 本文を読む

日本人との結婚

2017-05-19 18:18:19 | タイの家族
妻は18歳の時、いわゆる人身売買組織の男に騙されて日本に連れてこられました。はじめは茨城県で裏社会の仕事に就かされました。一時は裕福な日本人の中年男性に囲われたのですが、その男性は突然病死します。彼女は千葉県五井にあるタイレストランで働きました。そして横浜でディスコを経営する若いタイ人男性と出会い同棲、可愛らしい女の子を授かりました。 でもタイ人男性は例によって浮気癖がありました。結局、彼女と子 . . . 本文を読む

長女も、妻の世話をやり始めました!

2017-05-19 09:47:50 | タイの家族
昨日は午後になって、また病院の女医さんが看護婦3人を引き連れて家まで来てくれました。 傷の洗浄はいつものように看護婦さんではなく、なぜか女医さん(左)自らがやりました。とても上手な手つきでした。そして昨日に続いて我が家に戻ってきていた長女も、最初は私の手を握っていましたが、そのうち誰に促されることもなく、親戚に混じって手伝いはじめました。 上の娘が妻の看病を手伝ったのは、妙なことですが . . . 本文を読む