楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

タイの洪水・私流の総括(2)

2011-12-03 21:05:06 | タイの暮らし

タイの洪水から私自身が何を感じたのか、その総括の2回目です。前回は、日系企業のタイ進出の実態が、洪水のニュースを通じて、初めて一般の日本人に明らかになったこと。また「日本の産業空洞化」という複雑な問題を、今回の洪水にからめて言う人がいることに、正直驚いたということを書きました。

「空洞化」という問題に興味を持っている人がどれだけいるか、私には分かりませんが、洪水を通してタイとの関係に一時的にでも関心を持つようになった日本人が増えたことだけは確かでしょう。それはこのブログを含め、タイの洪水について書いているブログへのアクセスが10月中旬ごろから急増したことからも、そして洪水が一段落した11月下旬に、潮が引くように、全体的にタイ関連のニュースやブログへのアクセスが減少していったことからも明らかです。

空洞化についての私の考えは、既にこのブログで何回か書いていますが、タイなどへの海外進出によって、日本企業の多くが成長を遂げてきたのだ、という一貫した見方です。メリットもないのに進出するわけがなく、「空洞化」を円高や工場の海外進出のせいにして、国内での生産を完結させるのがベストだという考えは、今のグローバル時代にはまったく非現実的だと思います。日本国内で生産して海外で売れるという時代がとっくに終わっていることは、自動車でなくても、ものづくりに関係している人が一番よく身にしみて知っているのではないかと思います。ただし、グローバル化や国際分業に縁のない分野では、「島国根性」も、それなりに意味を持っているかもしれません。そんな分野があったら教えてほしいとは思いますが。

 

さて、そんな面倒くさい話はさておき、今回の洪水騒ぎによって、タイの庶民の特質が少し見えてきたような気がします。日本人と違って、組織的に動くということがほとんどなくて、それぞれ勝手に情報を解釈して、勝手に対策をたてて行動する(あるいは、しない)、というような、「おおらかな個人主義」であることが明らかになったような気がします。個人主義といっても、西欧的な、確固たる信念や信条のある個人主義ではなく、仏教などの宗教は別ですが、人を束ねる原理原則がないので、それぞれ勝手に考えて行動しているだけだと思います。

というのは、オンヌットのわが家の近所の人たちの対応ぶりが、バラバラでした。まずお隣さんは、わが家と同じ借家なのですが、アユタヤの浸水が始まった10月上旬にはホアヒンに一家で避難しました。約2か月も避難生活をしていました。多くの住民は、「今回はここにも洪水が来るかもね」と言いつつも、全然支度をしないのです。

一番熱心に備えをしたのは私の妻でした。水や食料を大量に買い込み、早い段階で土嚢まで買いました。近所の人が水を分けてもらいに来ても、分けてあげようとはせず、「自分で買いなさい」と追い返していました。ケチというのではなく、まだ間に合うんだから自助努力をしろということです。

ところがこの話には後日談がありまして、妻から水をもらおうとしていたキュートな若奥さんは、いよいよ洪水が来るかもしれないと感じた10月下旬、自分の実家のあるイサーンに帰って、ピックアップトラックにいっぱいのペットボトルを仕入れてきました。立派なものです。そしてわが家にも来て、大量の水を置いていきました。というか押し売りしました。そのおかげで、わが家のリビングが、さらにペットボトルの水だらけになってしまいました。洪水には程遠いですが。

というわけで、近所で実質的に洪水対策をしたのは、わが家と、その若奥さんだけでした。もうすこし離れたところでは、百個以上の土嚢を買った家があったり、入口の所をコンクリートで塞いでしまった家もありました。でも、アリとキリギリスでいえば、そういうアリ派は、あくまでも少数派です。タイの庶民は、「隣近所がこうしているから、うちもそうしよう」という考えがないようなのです。みんな「それぞれわが道をゆく」という感じだったのです。危機感がないわけでもないのです。でも前もって準備するわけでもない。「なるようにしかならないさ」という感覚の人たちが多いのではないかと思います。津波でもないのに、600人以上もの人が亡くなったのは、こうした国民性も関係しているかもしれません。

 

ではそれは、タイの庶民だけなのか?そういう目で考え直してみると、洪水の報道をしているタイのテレビも、日本などと比べたら、かなり危機感に乏しいような印象を受けました。

アユタヤなどのバンコクの北が壊滅的に被害を受けていて、バンコクもきわめて危ないようだという、そういう時にも、タイのテレビは確かにニュースの時間帯では洪水のニュースを流していましたが、そのごく一部の時間を除いては、通常の番組を流しているのには少々驚きました。また以前書きましたが、ニュースの中でヘリコプターからの映像を使い始めたのは、10月下旬か11月になってからで、それまでは、被害地域の全体像がよくわかる映像は、タイのニュースではあまりありませんでした。

台風や地震や津波など、一刻を争う災害に慣れている日本人の感覚からすると、とても悠長です。逆にタイ人の感覚からすると、ゆっくりとしか来ない洪水について大騒ぎしても仕方ないということなのかもしれません。膝から上まで水につかりながら、ゆっくりゆっくり歩いている人々の映像も、そこがタイだから違和感はないのかもしれませんが、もし日本だったら、あれだけたくさんの人々が三々五々と深い水の中を歩いていたら、「何じゃこの人たちは」となるでしょうね。

 

記事更新の励みにするために、ブログ・ランキングに参加しております。

僕も日本にいる父も、がんばってこのブログを続けたいと思います。

応援していただけるようでしたら、ポチッとクリックをよろしくお願いします。 

   ↓↓

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ    タイ・ブログランキング   人気ブログランキングへ 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
危機感の違い (アオチンチン)
2011-12-04 12:35:48
今回、まさにそれを感じました。
私が今度引っ越してきたコンドミニアムはかなりの日本人家族が住んでいます。
もちろん、ほとんどが賃貸です。
オーナー日本人は私が知る限り、私を含め3人程度です。
それはさておき、11月12日に越してきたわけですが、日本人をほとんど見かけません。
そうです。ほとんどが日本に帰国してるんですよ。
子供の日本人学校の生徒も20人以上いますが、今週に入って、かなり戻ってきました。
しかし、いわゆる3学期から戻ってくるような子もかなりいるようです。

まぁ日本人は逃げ場があるからいいといわれたらそれまでですが、
私はここを生活の場に選んだ人間なので、ギリギリまでやってやろうと思っていました。
結果はご覧の通り、事なきを得たような感じですが(笑)。

要は、災害に関しても日本のように突発性のある災害の経験がないタイ&タイ人ですので、
今回の感覚の違いもよく理解できました。
また、メディアも例えば局が違えば言うことが違う、テレビや新聞、ネットと入る情報が違う。
つまり情報統制がされていないのかなと思いました。ひどい話ですけど、今となれば笑い話にはなります。

この経験が、将来の踏み台になるか…
たぶんならないでしょうね、この国は。
でもそれがタイ。タイのいいところでもあるのかなって思っていますが、どうでしょう(笑)。
返信する
タイのよさ (うさぎ)
2011-12-04 19:25:42
アオチンチンさん、コメントありがとうございます。
私は日本よりタイが好きです。日本はかなり面倒くさい社会です。周りに合わせない人を非難したりする癖が、いまだに残っていますから、何が正しいかではなく、協調性があるかどうかで人を 見るのです。それはそれでよいのですが、面倒くさいですね。タイは余計なおせっかいがないので、個性的な人間には住みやすいところですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。