結局のところ、昨日はなぜお腹の激しい痛みを訴えたのか、病院でもわかりませんでした。とりあえず、痛みは治まっているので、家に帰すことにしました。
医者はあまりいい顔はせず、何かあったらすぐに病院へ連れてくるように言いました。というか、何があっても自己責任というような書面にサインさせられたようです。妻の親指に、新しいインクの跡がありましたし、お坊さんの姿をした青年もサインさせられていました。なぜか夫のわたしではなく・・・
今朝の7時半。妻が入院している病室の外のベランダのようなこの場所に、この人たちが泊まり込んでくれました。当然安眠した人はいないはずなのに、みんな元気でした。
妻の母、私よりひとつ年上の67歳です。まだまだ元気です。
バンコクから、もう2週間以上も妻に付き添ってくれている叔母さん(55歳)です。妻のケアの方法をめぐって、しょっちゅう私と意見を異にし、口喧嘩になります。どちらも気が強くて頑固なので、一触即発の事態が何度も起きました。でも、お互いの気持ちを分かりあっているので、ときに叔母さんが私に譲歩し、ときに私が叔母さんをたてます。
私たちの住んでいる地区の世話をしているピー・オイ、52歳。もう何年も、ほぼ毎日のようにわが家を訪問してくれて、庭の手入れや犬の入浴をはじめ、あらゆる局面で私たち家族を助けてくれています。とくに妻がこういう病状になってからは、一日のうちの数時間は、私たちのために時間を割いてくれています。酸素ボンベの手配、病院の救急車の手配、村長さんを家に呼んできてくれたのも彼女です。前回の1週間の入院でも、3晩も病室に泊まり込んで妻の世話をしてくれました。
妻は、ここに5年前に引っ越してきてから、この女性とはギブアンドテイクの関係をあっと言う間に築きました。彼女の家には車がないのです。チェンライにいる年老いた病身の親戚を訪問するために、妻が車を運転して何度も彼女を連れて行きました。ガソリン代を出すと言っても、妻は受け取らなかったようです。
お向かいに住んでいる軍関係の仕事をしている若い男性のお母さんです。今朝、退院直前にお見舞いに来てくれました。遺言を作成してくれた弁護士とは実は家族ぐるみの付き合いをしているそうです。だから、聞いたらびっくりするような嘘みたいな料金で全部やってくれました。私たちも、彼らが留守のときに、5匹もいるシベリアンハスキーの犬の世話をしてあげたりしていますし、何よりも妻はこのお母さんの話し相手をずっとしてきました。
妻は昨夜は病室でほとんど寝ていなかったそうです。そして、ときどき私の名前を呼んでいたとお坊さんは言いました。家に帰ってくると安心したのでしょう。ぐっすり眠ったまま起きません。呼吸も病院にいるときよりも格段に安定しました。何を思いながら眠っているのでしょうか・・・
日本で出会った私たち。出会って3年目くらいのときの写真です。出会ったのは13年前です。当時、日本人の妻と別居していた私は東京の下町で、小さい男の子を連れている彼女をよく見かけました。たまたま短期間ですがタイに関係した仕事を企画して手掛けていたので、タイ人だとすぐに分かって、興味本位で私から声をかけました。それが運命的な出会いとなりました。
二番目の娘を抱っこしている妻です。27歳くらいです。妻は20年近くも日本で暮らしました。彼女の波乱に満ちた半生を書く機会が今後はあるかもしれません・・・・
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幅約40cmで作り、常時病人の体の下に敷いて置き、排便・尿時に二人でそれを持ち上げ病人ごと便器に移動させる。下着は当然その前に脱がします。長じゅばんのようなものが便利でしょう。
2. 「差し込み便器(BEDPAN)」を使うのも良いでしょう。
2.終わったら1.の逆の順序で病人をベッドに戻す。