そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

関西にお住まいのTさんからいただいたメール

2007-03-05 23:30:32 | こにぃ企画
こんにちは、私は○○県に住む、Tといいます。

今年、40歳になるアテト―ゼ型・脳性麻痺です。
障害の程度は軽くて、日常生活にはなんの不自由なく(もちろん、家族や職場の同僚など、たくさんの人々に支えられて生きていますが)生活しています。

さて、こにぃさんのブログを拝見していて是非、私も意見をいいたくなりまして、メールをさせていただきました。
2月20日付け「好きな人が障害者になったら」という内容です。
こにぃさんは「美談?」と書かれていますよね?もちろん世間にはそのような考え方をされる人が存在するのは事実です。私自身も何年か前まではそんな風に考えていました。

しかし、最近は「美談」ではなく「“縁の不思議さ”」っを感じる気持ちが強くなってきました。というのは実は、2年ほど前から、ある市民講座で知り合った、女性と付合っているんですが、この女性は健常者なんです。
付合い出してから、「僕のような障害者で本当にいいの?」と恐る恐る聞いてみたら、「私は、やさしい人がいいの」といってくれました。

僕は時々「Tさんはやさしい人」と言われます。
でも気に入った女性に対して、やさしくなるのは健常者・障害者に関係なく、だれでもそうなりますよね?それにも関わらず、彼女は私を選んでくれました。
生まれて初めて本格的に付合う女性、ということもあって、中々彼女の気持ちが掴めず、いっそのこと別れてしまったほうがいいのでは?と思うことも何度かありました。
でも彼女は私と別れることなんか、これっぽちも考えていなかった、ということを最近知り、感動しています。

優柔不断で、弱いところだらけの私を選んでくれた彼女は、決して私との交際を「美談」とは思っていないはずです。

でなければ、2年半も付合っていなし、結婚の話しもでてこないと思うのです。
これは、神様が私に対して「人生の課題」を与えてくれたんだ、と思っています。
この「不思議さ」=「“縁”」というものではないでしょうか?

世の中には考えられないカップルが存在します。
最重度の脳性麻痺で寝たきりの男性が美人の健常者の方と結婚している例も少なからずあります。
そんな彼らをみると「“縁”」の不思議さを感じざるを得ません。

私達のようなカップルは世間では「障害者とつきあうなんて・・」とか、「彼女は偉いよね。障害者と付合って、結婚まで考えているなんて」とかいいます。(実際に職場の同僚に言われました)でも、私は彼女を「偉い」とか思った事など一度もありません。
「こいつと結婚するかもしれんな」と思い「これが“縁”というものなんだ」と思っています。
   
なんだか長々と書いてしまい、申し訳ありません。
でも、「障害のせいで恋人ができない」と悩んでいる、仲間に「違うんだよ、自分から“縁”を作る努力をしたら恋人が出来るんだ」ということを伝えたかったのです。

初めてのメールでこのような長文をおくってしまう事の非礼をお許しください。そして、もし、状況がゆるさえるのであればこのメールをそのまま、こにぃさんのブログに掲載していただければ、全国の仲間にたいする激励になると思っている次第です。
それでは失礼いたします。