じんべえ時悠帖Ⅱ

昭和二十年八月、占守(シュムシュ)島

 ベルリンでヒットラーを倒しドイツを降伏させたソ連軍(赤軍)のある

部隊、意気揚々と故国へ凱旋するはずだった。しかし故郷のウクライナや

モスクワを過ぎても軍用列車は止まらない。

 騒然とする兵たちを載せて着いたのは、何と東の果てカムチャッカ半島。

ドイツ軍との戦闘と長旅に疲れた部隊に下された命令は、対岸の千島列島

北端の占守島の日本軍への攻撃であった。

 降伏前の日本領を侵略、占領した「事実」を作ることが狙いだが、疲れ

果てた赤軍部隊は「武装解除は米軍の仕事だろう」の士気は上がらない。

 一方、満州から移された戦車大隊を中心に、歩兵隊、砲兵隊、高射砲隊

などからなる帝国陸軍九十一師団は、練度、装備から見てまさに最強部隊

だが、戦闘もなく力を持て余していた。

 そこへ着いた奇妙な3人の補充兵の一人は、英語を解する出版社の翻訳

編集長。他の二人は招集四度目で歴戦の勇士の軍曹と弘前医専を卒業した

ばかりの軍医見習い生。降伏の通訳要員(編集長)のカモフラージュで

あった。それを知るのは、これも唐突に前線視察の名目で派遣された第五

方面軍(北海道)の少佐だけ。降伏担当士官である。

 彼ら四人が占守島に着いて幾日か後、降伏を知った九十一師団は連合軍

(米軍)への武装解除の準備を始める。しかし、攻め込んだのは何とソ連軍。

売られた喧嘩は買わにゃならん。

 武装解除を注視し、意気が上がらないソ連軍をほゞ壊滅するほどの圧倒的

優位に立ったところで、軍使を送り降伏を告げ、武装解除する。

 捕虜となるはずの日本軍はシベリアに送られ、極寒の中の重労働で次々と

命を落としていく。カモフラージュで補充された若き軍医は、薬もない中で

先輩軍医などを看取るだけ。

 浅田次郎の「終わらざる夏」のメインストーリーは以上だが、本土決戦へ

向けた根こそぎ動員、児童疎開、東京市民の暮らしぶりなど、終戦(敗戦)

の夏、昭和二十年八月の国民の生活や思いも詳しく描かれる。

 愚かな指導者による愚かな戦争、被害者はいつでもどこでも国民である。

昨日の日の出と飛行機雲、南の空から東へ追った連続写真で


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
七十代半ばで亡くなった義父がシベリア帰りでした。
よく一緒に飲みましたが抑留時代についてはほとんど語らなかったですね。
jinbei1947
ワイコマ様
景気浮揚=インフレ、大企業の収益が改善すれば何とかなる、愚策でしたね。
今の資本(大企業)のけつの穴が小さくなっていることに気が付かない
「小人」だったということになります。
えめ
ロシヤは大東亜戦争にほんのちょっと参戦しただけで、シベリヤへ57万5千人もの日本人を連れて行って労働させました。劣悪な環境のもと、5万人余りが亡くなりました。ウクライナの捕虜に対しても、同じような利用をすることでしょう。どうしても好きになれません。しかし学生時代には、共産主義を賛美して皆ロシヤの歌を歌いました。
ykoma1949
いつも感じますが、戦争は愚かなトップの数人の判断だけで
最後負けるまで・・そこに本当の客観論や民主論などは一切
なくて、その判断はトップの思い一つだけで・・多くの国民
が犠牲となってきた・・日本もこの十年余、Aのミクス政策
で今出口も見えなくこの国の金融政策経済戦争に敗北して
負け逃げして数億円の退職金を持ち逃げするトップになんか
心の中が落ち着かない。亡くなった人に鞭は打てないので
日銀に向かって・・大声で叫びたい。
いろんな戦争は 今も 身近で起きている。
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