じんべえ時悠帖Ⅱ

人生すべからく夢なくしてはかないません

 今日のタイトルは戦後の神戸市長、原口忠次郎の「名言」である。

内務省の役人として四国にも赴任した経験から、四国が阪神地域と

「橋」で繋がることが双方にとってメリットが大きいと確信した。

 連絡船は度々難破してそのたびに多くの犠牲者を出していた。

土木技術者でもある原口は明石海峡を跨ぐ橋の建設を、国に請願し、

市議会に調査費を提案するが、原口の「白昼夢」と笑われた。

 幅4キロ、強い潮流の明石海峡に橋を架けるなんてまさに夢の夢。

それに反論したのが「人生すべからく夢なくしてはかないません」だ。

原口の長年の調査活動などを知る議会は皆圧倒された。

 原口の生前に橋の建設が始まるかに見えたがオイルショックで

起工式の直前に延期。原口は「墓は橋が見えるところに建ててくれ」

言って3年後に没する。

 明石海峡大橋の袂に「夢レンズ」というモニュメントがある。

丸い穴から明石海峡大橋の雄姿を望む。近くに「人生すべからく・・・」

の名言も刻まれる。そして原口の遺言通り、明石海峡大橋を望む神戸

の高台に墓が建てられた。

 市長業務の傍ら、世界中の吊り橋の技術文献を翻訳し「調査月報」

として関係企業などに送り続けた原口忠次郎は並の役人ではなかった。

この原口の「調査月報」を貪るように読んだ若い技術者がいた。

 11日(土)放送の「新・プロジェクトX」は、原口の夢を実現させた

技術者たちにもスポットを当てるが、それは次回。

 

一昨日の三日月と昨日の日の出

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
阪神淡路震災は試練でしたね、でも高さ300mの主塔が見事耐えました。
明石海峡大橋が息子さんの土木技術者への契機になった、いい話ですね。
ykoma1949
私の息子が、長野高専4年生の時の阪神淡路震災でした、それ
まで漠然としていた息子の将来は、あの阪神淡路の大災害の中で
毅然として工事中の橋が数十センチの移動だけで立っていたこと
ボランティアの帰りに、この橋の現場に立って、息子は自分の
将来を決めたようでした。1998年(平成10年)4月5日に供用が
開始され、その5月に大学の仲間と共にそこを走ったと、目を
輝かして語っていたのが今でも思い出されます。
一人の神戸市長の夢が‥大きな日本の夢に、そして我々の子供
たちの夢に繋がっていることに感動を覚えました。
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