高千穂といえば夜神楽です。
冬の間の土日には各地で夜通し行われるみたいです。
大分の神楽もルーツは高千穂なんかなぁ。
親父にとっての血の騒ぐ神楽は伊勢大神楽です。
通称、獅子舞です。
今もこの画像を見たら、体中の血がグングン回り、血圧上がりまくりです。
子供の頃、娯楽なんかそんなに無かったので2月くらいに、獅子舞が来たらハタキを持って追いかけていました。
親父の家は2つの獅子が踊ってくれました。
庄屋さんやお金持ちのところ・神社ではおやま道中があり、みんな見物したものです。
今のサーカスと演劇が一度に見られた感じかなぁ。
親父の母が大人になった頃良く言っていました。
◯◯は、獅子舞が来たら追いかけて晩まで帰って来んかった。
おやま道中はションベタレしながらも見とったとね。
伊勢大神楽を見る事は、もう無理やろけど、今度の高千穂は夜神楽を見に行こう。
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翻って,伊勢大神楽は「お伊勢参りにおこしやす!」という観光プロモーションの匂いがぷんぷんするんやなー。いまやったら,さしずめ「まちおこしヒーロー」によるヒーローショウちうところか(「一緒にすなー!」と物投げられそうやな)。
いや江戸時代に式年遷宮の経費をひねり出すためには,「伊勢」をブランド化して,多くの人を集める必要があったし,「伊勢参り」が日本人に観光旅行の習慣を植え付けたんやから,太神楽の功績は大きかったんやけど。
伊勢の神楽は大津までも来てたから、ほんま好きやったわ。
あの頃回ってくるのは、伊勢の神楽と訳わからんキリスト教やったわ。
伊勢と聞いたら、小学校の修学旅行を思い出すわ。
米を持っていって、赤服は行く前に注文して、二見ヶ浦で写真を撮って。
一二三旅館と違うたかなぁ。
中学も羽田空港でしか撮らんかったんかな。これまたクラスが違いますね。
中学は皇居やったんと違うん。
夜の東京をバスで回ったんは先日、話題になったわ。
夜神楽の笛の音は心地よいですねー
オヤジさんは子供の頃は獅子舞が怖くなかったのですね。怖がる子供が多いのに。
獅子舞に頭をかまれると頭が良くなるとかで噛ませるじゃないですか。あれがトラウマになって怖がる子が多いんでしょうねー。
親父も九州に来てから神楽に興味を持ったけど、ええもんやわ。
子供の頃に見たのやろうなぁ。
親父、獅子舞に何十回も噛んでもろたけど、賢くはならんかったわ。
もう一回噛んでもろたら、アホが治るかなぁ。
びわこ博(69年)の団体写真を発掘しましたが,それだけがカラーですね。
うちの親父が店を出して大赤字こきましたね。
フラッシュが火のつく奴やったんは覚えているわ。これもわからんけど。
琵琶湖博は、5年か6年の時やったなぁ。
親父さんが店出してたんや。知らんかったわ。何やったん。