
黙示録講解メッセージ最終章。現代の、そして罪ゆえに自己欺瞞に陥る人間すべてに宛てられた神様からの手紙に祝福の約束を受け取る!

☆Good News Stationのメインページはこちら!

「後の雨」が降り注いでいる今こそ、クリスチャンは神の御声に耳を傾け、世界を見極めよ!今を知るための黙示録講解第五巻!!

☆Good News Stationのメインページはこちら!
今、日本で公開されている映画『ザ・ブック・オブ・エリ』主演はハリウッド俳優としては珍しい敬虔なクリスチャンのデンゼル・ワシントン。この映画は、世の終わりが来た後に生き残ってしまった人たちの間に、たった一冊だけ残された聖書をめぐってストーリーが展開される。題材としては非常に面白いが、地上が終わってしまった後で、いくら「聖書とは何か!」と騒いでも仕方がない。私たちはこの世が終わる前に、聖書とは何かということを知らなくてはならないのだ。
終末に関する預言は黙示録だけではなく、聖書全体から預言がされており、福音書にもしっかりとが記されている。たとえばマタイの24章。オリーブ山に座っておられるイエス様のところに弟子たちが来て、「世の終わりが何時なのですか? その印(しるし)は何ですか?」と質問した。するとイエス様はこう答えられた。
■マタイ24章の預言
□第一期 (24:4-14) 迫害下のリバイバル(生みの苦しみの初め)
1) 偽預言者による惑わし:4-5(マコ13:6、ルカ21:8)
2) 戦争の騒ぎと噂:6(マコ13:7、ルカ21:9)
3) 民族紛争と飢饉と地震:7(マコ13:8)
4) 迫害による背信と混乱:9-10
5) 天からのすさまじい前兆:ルカ21:10-11
6) 不法が蔓延し愛が冷える:11
7) 福音が全世界に宣べ伝えられる:14
□第二期 (4:15-28) 7年の大艱難時代
不幸な身重の女と乳飲み子を持つ女:19-20
(迫害に耐えられない結実していない律法的・霊的幼子の教会)
神は選ばれた者(クリスチャン)のために期間を縮めてくださる:22
悪魔は選ばれた者(クリスチャン)を出来れば惑わそうとする:24
□第三期 (4:29-31) 主の再臨
■始めの雨と後の雨
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、その時には、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。(使徒2:17-21/ヨエル3:1-5)
イスラエル地方の気候は、乾季と雨季の二つに分かれている。4月と10月の年に2回、滝のようなどしゃ降りの雨季があり、その間の5月中旬から10月中旬にかけての約半年間は、ほとんど雨が降らない乾期である。種まきの時に、土地を柔らかくし、発芽させるために降る雨を『前(春)の雨』と言い、豊かに実を結ばせるために降る収穫の雨を、『後(秋)の雨』と言う。つまり、ペンテコステにおける聖霊降誕の『前の雨』から、暫く続いた乾期の後、主が最後の収穫の時に降らせてくださる最後の恵み雨が『後の雨』である。
この後の雨こそ、最終的な世界規模のリバイバルである。この時期に、それまで限られた人物にしか与えられなかった霊の賜物が、求めるクリスチャン全てに与えられるようになる。特に終わりの時に用いられる賜物が『預言』である。リバイバルのために祈る教会や信徒は多い。しかし、迫害、戦争、地震、飢饉等の災害、また、預言や霊の見分け等に対する祈りの備えと、預言が成されている教会は実に少ないのである。
■今こそ最終的な世界リバイバルの時
神のご計画に目を向けると、アダムからノアまで約千年、ノアからアブラハムまで約千年、アブラハムからダビデまで約千年、ダビデからイエスまで約千年、そして教会が誕生してからもう直ぐ2千年が終わろうとしている。多くのクリスチャンが終末時代の後に、神の御国が到来すると考えているが、実はそうではない。黙示録をよく読むと、終わりの時、つまり主の再臨の後、神は『千年王国』という暫定的な神と人間の世界を置かれているのである(黙示録20:1-6)。『千年王国』とは何なのか?何故神はこのような世界を創られたのだろうか?
神は地球を6日間で創造され、7日目に安息された。『安息(ラ・アソート)』と言う言葉には、「成長するため、再生するため」と言う意味があり、これは『再創造(Re-Creation)』つまり、新しく創造するための期間(休み)なのである。神はサタンに縛られた6千年間の時を閉じられて、新しい御国建設のために、千年間の再創造のための休息を取られるのである(Ⅱペテロ2:8)。こうして、神のタイムテーブを見てみると、“主の時が近い”ということが分かる。
「私の霊をすべての人に注ぐ!」と主は言われる。今、全て求めているクリスチャンに、主の霊が注がれている。だからこそ、今、土砂降りの聖霊の雨の時に霊の賜物を求めよ!私たちは、収穫の後の雨の時代。つまり、“最終的な世界リバイバルの時”に生かされているのである。
■黙示録の預言
黙示録は、聖書の約束と預言の成就であり、全66巻の総括-完結編(旧約から348回引用)である。黙示録がなければ、聖書は結論のない書物になってしまう。黙示録を読まずして、聖書を読んでいることにはならない。また、聖書の総集編である黙示録は、聖書全体とリンクしており、黙示録だけを読んで、理解することは難しいは。黙示録を正しく理解するためには、聖書全体をバランス良く読み、総合的に理解することが必要とされる。
■黙示録の記述はその通りに起こる
聖書は自分の先入観や道徳観念を入れないで、先ずそのまま読むことが大切である。聖書が、地上の3分の1が焼けるというのなら、文字通りそうなり、海の3分の1が血に変わる(8:8)と言うのなら、文字通りにそうなるのである。
例えば、黙示録には、人間の3分の1を殺す2億の軍隊が登場するが(9:15-16)、本書が記された2千年前の全世界人口は1億人足らず、兵隊同士の剣と弓の戦争で、2億の軍隊が人間の3分の1が殺すことなど到底理解不可能であり、人々はこれは、何かの喩えであると考えていた。
しかし、第二次世界大戦における原爆投下以来、黙示録に対する理解が大きく変わった。現在の中国の総人口は約14億人、多くの国民が飢えや災害で苦しんでいる中、中国政府は、年間一千億ドルという莫大な軍事費を投入している。今や、黙示録に記されている数字は、決して喩ではなく、現実のものとなっているのである。
■黙示録は立体的に読む
黙示録には、様々な解釈の方法がある。代表的なものとしては、これは2千年前に起こった出来事だと考える「過去派」、教会史全般の中で起こることだと考える「歴史派」、将来的に起こることだと考える「未来派」、そして、黙示録にある記述は歴史的事件とは関係なく、神の世界が象徴的に記されていると考える「霊解派」がある。しかし、黙示録の意味を、そのいずれかに限定させてしまうことは、明らかな間違いである。
1章19節に、「見たこと(1章)を、今あること(2-3章)を、今後起ころうとしていること(4-19章)を書き留めよ」 とあるように、黙示録は、過去に起こったこと、現在起きていること、これから起こることが、立体的(螺旋状)に記されている。例えば、7つの教会は、黙示録が執筆された当時に、西アジア地方(現在のトルコ)に現存していた教会であり、また、2千年間の各時代を象徴する教会であり、また、現在地上に存在している教会のタイプでもあるのだ。
■黙示録の手紙
□手紙の主旨:「悔い改め、勝利を得よ!」
□共通の言葉:「私はあなたの行いを知っている」、「耳のある者は聞きなさい」
□私たちの応答:Remember(初心を思い出し)、Repend(悔い改め)、Return(神に立ち返れ)
□エペソ教会 →初めの愛を忘れていないか?(△)
□スミルナ教会 →恐れるな!死に至るまで忠実であれ!(◎)
□ペルガモの教会 →信仰的妥協をしていないか?(△)
□テアテラの教会 →不品行・偶像礼拝に陥っていないか?(△)
□サルデスの教会 →信仰を建前にしていないか?(△)
□フィラデルフィアの教会 →主を証し続けよ!(◎)
□ラオデキアの教会 →自己欺瞞に陥っていないか?(X)
この手紙のメッセージを、全て私たちは読みすごしてはならない!
■サルデス (宗教改革時代の教会)
BC1200年から美術工芸の街として栄え、高原に位置する難攻不落の要塞都市として知られていたが、恵まれた自然要塞に安住し、過去に二度(BC6にペルシア、AD3にローマ)に征服された。この街には、キュベレという女神を祭った神殿があった。AD17の大地震以降、この街は二度と甦ることはなかった。ることは正しくても、実行が伴なっていない言行不一致の教会。何故、宗教改革の教会が、言行不一致なのか?
現在のプロテスタント教会の柱は、宗教改革の理念と同じく、「信仰のみ」、「聖書のみ」、「万人祭司」である。私たちはこれを当然のことと受けとめているが、実際は、信仰のみと言いながら、救いに条件をつけ、聖書のみと言いながら、教会の伝統や教理を聖書よりも上に置き、万人祭司と言いながら、キリストを証ししていない。それが、「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」という意味である。(写真はサルデスの遺跡)
□ 白い衣:黙示7:14、19:8 キリストの血によって清められた聖徒の正しい行ない。
□ 命の書:黙示20:15 この世の知恵を得る前に、命の書に名を書き記せ!
■フィラデルフィヤ(世界宣教時代の教会)
BC150年ごろ創立され、AD5年頃に繁栄を極めた小アテネとも言われた街。この街で使用されていたコインのデザインは開かれた扉。それは、開かれた福音の戸を意味する。(3:8)多くの人は、大きな教会の大きな出来事、大きなイベントの何か新しい教えを求める。しかし、その多くは生きているようで、実は死んでいるのだ。
終わりの時に生きるキリスト者は、小さな群れであっても、主に拠り頼み、主に忠実である教会である。大きなホールで行なわれるイベントに参加することで、信仰を求めるのではなく、普段の生活で自分の信仰を証しして行くことが遥かに大切である。
□ダビデの鍵: エルヤキムは、南ユダ王国のヒゼキヤ王の家臣で、ダビデの子孫。フィラデルフィヤの教会には、伝道の鍵が預けられていた。(イザヤ22:22)その理由は、この教会は非力だが、御言葉を守り、イエスの名を告白していたからである。フィラデルフィヤの教会は、小さくて貧しい教会であった。
□サタンの会衆に属する者:ユダヤ人でありながら、イエスを信じていない者は、たとえアブラハムの子孫でも、サタンの支配下に属する。
□神の名:神の子としての権威、エルサレムの名→天国の市民権、
□わたしの新しい名:キリストの花嫁として名前
メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html
☆Good News Stationのメインページはこちら!
終末に関する預言は黙示録だけではなく、聖書全体から預言がされており、福音書にもしっかりとが記されている。たとえばマタイの24章。オリーブ山に座っておられるイエス様のところに弟子たちが来て、「世の終わりが何時なのですか? その印(しるし)は何ですか?」と質問した。するとイエス様はこう答えられた。
■マタイ24章の預言
□第一期 (24:4-14) 迫害下のリバイバル(生みの苦しみの初め)
1) 偽預言者による惑わし:4-5(マコ13:6、ルカ21:8)
2) 戦争の騒ぎと噂:6(マコ13:7、ルカ21:9)
3) 民族紛争と飢饉と地震:7(マコ13:8)
4) 迫害による背信と混乱:9-10
5) 天からのすさまじい前兆:ルカ21:10-11
6) 不法が蔓延し愛が冷える:11
7) 福音が全世界に宣べ伝えられる:14
□第二期 (4:15-28) 7年の大艱難時代
不幸な身重の女と乳飲み子を持つ女:19-20
(迫害に耐えられない結実していない律法的・霊的幼子の教会)
神は選ばれた者(クリスチャン)のために期間を縮めてくださる:22
悪魔は選ばれた者(クリスチャン)を出来れば惑わそうとする:24
□第三期 (4:29-31) 主の再臨
■始めの雨と後の雨
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、その時には、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。(使徒2:17-21/ヨエル3:1-5)
イスラエル地方の気候は、乾季と雨季の二つに分かれている。4月と10月の年に2回、滝のようなどしゃ降りの雨季があり、その間の5月中旬から10月中旬にかけての約半年間は、ほとんど雨が降らない乾期である。種まきの時に、土地を柔らかくし、発芽させるために降る雨を『前(春)の雨』と言い、豊かに実を結ばせるために降る収穫の雨を、『後(秋)の雨』と言う。つまり、ペンテコステにおける聖霊降誕の『前の雨』から、暫く続いた乾期の後、主が最後の収穫の時に降らせてくださる最後の恵み雨が『後の雨』である。
この後の雨こそ、最終的な世界規模のリバイバルである。この時期に、それまで限られた人物にしか与えられなかった霊の賜物が、求めるクリスチャン全てに与えられるようになる。特に終わりの時に用いられる賜物が『預言』である。リバイバルのために祈る教会や信徒は多い。しかし、迫害、戦争、地震、飢饉等の災害、また、預言や霊の見分け等に対する祈りの備えと、預言が成されている教会は実に少ないのである。
■今こそ最終的な世界リバイバルの時
神のご計画に目を向けると、アダムからノアまで約千年、ノアからアブラハムまで約千年、アブラハムからダビデまで約千年、ダビデからイエスまで約千年、そして教会が誕生してからもう直ぐ2千年が終わろうとしている。多くのクリスチャンが終末時代の後に、神の御国が到来すると考えているが、実はそうではない。黙示録をよく読むと、終わりの時、つまり主の再臨の後、神は『千年王国』という暫定的な神と人間の世界を置かれているのである(黙示録20:1-6)。『千年王国』とは何なのか?何故神はこのような世界を創られたのだろうか?
神は地球を6日間で創造され、7日目に安息された。『安息(ラ・アソート)』と言う言葉には、「成長するため、再生するため」と言う意味があり、これは『再創造(Re-Creation)』つまり、新しく創造するための期間(休み)なのである。神はサタンに縛られた6千年間の時を閉じられて、新しい御国建設のために、千年間の再創造のための休息を取られるのである(Ⅱペテロ2:8)。こうして、神のタイムテーブを見てみると、“主の時が近い”ということが分かる。
「私の霊をすべての人に注ぐ!」と主は言われる。今、全て求めているクリスチャンに、主の霊が注がれている。だからこそ、今、土砂降りの聖霊の雨の時に霊の賜物を求めよ!私たちは、収穫の後の雨の時代。つまり、“最終的な世界リバイバルの時”に生かされているのである。
■黙示録の預言
黙示録は、聖書の約束と預言の成就であり、全66巻の総括-完結編(旧約から348回引用)である。黙示録がなければ、聖書は結論のない書物になってしまう。黙示録を読まずして、聖書を読んでいることにはならない。また、聖書の総集編である黙示録は、聖書全体とリンクしており、黙示録だけを読んで、理解することは難しいは。黙示録を正しく理解するためには、聖書全体をバランス良く読み、総合的に理解することが必要とされる。
■黙示録の記述はその通りに起こる
聖書は自分の先入観や道徳観念を入れないで、先ずそのまま読むことが大切である。聖書が、地上の3分の1が焼けるというのなら、文字通りそうなり、海の3分の1が血に変わる(8:8)と言うのなら、文字通りにそうなるのである。
例えば、黙示録には、人間の3分の1を殺す2億の軍隊が登場するが(9:15-16)、本書が記された2千年前の全世界人口は1億人足らず、兵隊同士の剣と弓の戦争で、2億の軍隊が人間の3分の1が殺すことなど到底理解不可能であり、人々はこれは、何かの喩えであると考えていた。
しかし、第二次世界大戦における原爆投下以来、黙示録に対する理解が大きく変わった。現在の中国の総人口は約14億人、多くの国民が飢えや災害で苦しんでいる中、中国政府は、年間一千億ドルという莫大な軍事費を投入している。今や、黙示録に記されている数字は、決して喩ではなく、現実のものとなっているのである。
■黙示録は立体的に読む
黙示録には、様々な解釈の方法がある。代表的なものとしては、これは2千年前に起こった出来事だと考える「過去派」、教会史全般の中で起こることだと考える「歴史派」、将来的に起こることだと考える「未来派」、そして、黙示録にある記述は歴史的事件とは関係なく、神の世界が象徴的に記されていると考える「霊解派」がある。しかし、黙示録の意味を、そのいずれかに限定させてしまうことは、明らかな間違いである。
1章19節に、「見たこと(1章)を、今あること(2-3章)を、今後起ころうとしていること(4-19章)を書き留めよ」 とあるように、黙示録は、過去に起こったこと、現在起きていること、これから起こることが、立体的(螺旋状)に記されている。例えば、7つの教会は、黙示録が執筆された当時に、西アジア地方(現在のトルコ)に現存していた教会であり、また、2千年間の各時代を象徴する教会であり、また、現在地上に存在している教会のタイプでもあるのだ。
■黙示録の手紙
□手紙の主旨:「悔い改め、勝利を得よ!」
□共通の言葉:「私はあなたの行いを知っている」、「耳のある者は聞きなさい」
□私たちの応答:Remember(初心を思い出し)、Repend(悔い改め)、Return(神に立ち返れ)
□エペソ教会 →初めの愛を忘れていないか?(△)
□スミルナ教会 →恐れるな!死に至るまで忠実であれ!(◎)
□ペルガモの教会 →信仰的妥協をしていないか?(△)
□テアテラの教会 →不品行・偶像礼拝に陥っていないか?(△)
□サルデスの教会 →信仰を建前にしていないか?(△)
□フィラデルフィアの教会 →主を証し続けよ!(◎)
□ラオデキアの教会 →自己欺瞞に陥っていないか?(X)
この手紙のメッセージを、全て私たちは読みすごしてはならない!
■サルデス (宗教改革時代の教会)
BC1200年から美術工芸の街として栄え、高原に位置する難攻不落の要塞都市として知られていたが、恵まれた自然要塞に安住し、過去に二度(BC6にペルシア、AD3にローマ)に征服された。この街には、キュベレという女神を祭った神殿があった。AD17の大地震以降、この街は二度と甦ることはなかった。ることは正しくても、実行が伴なっていない言行不一致の教会。何故、宗教改革の教会が、言行不一致なのか?
現在のプロテスタント教会の柱は、宗教改革の理念と同じく、「信仰のみ」、「聖書のみ」、「万人祭司」である。私たちはこれを当然のことと受けとめているが、実際は、信仰のみと言いながら、救いに条件をつけ、聖書のみと言いながら、教会の伝統や教理を聖書よりも上に置き、万人祭司と言いながら、キリストを証ししていない。それが、「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」という意味である。(写真はサルデスの遺跡)
□ 白い衣:黙示7:14、19:8 キリストの血によって清められた聖徒の正しい行ない。
□ 命の書:黙示20:15 この世の知恵を得る前に、命の書に名を書き記せ!
■フィラデルフィヤ(世界宣教時代の教会)
BC150年ごろ創立され、AD5年頃に繁栄を極めた小アテネとも言われた街。この街で使用されていたコインのデザインは開かれた扉。それは、開かれた福音の戸を意味する。(3:8)多くの人は、大きな教会の大きな出来事、大きなイベントの何か新しい教えを求める。しかし、その多くは生きているようで、実は死んでいるのだ。
終わりの時に生きるキリスト者は、小さな群れであっても、主に拠り頼み、主に忠実である教会である。大きなホールで行なわれるイベントに参加することで、信仰を求めるのではなく、普段の生活で自分の信仰を証しして行くことが遥かに大切である。
□ダビデの鍵: エルヤキムは、南ユダ王国のヒゼキヤ王の家臣で、ダビデの子孫。フィラデルフィヤの教会には、伝道の鍵が預けられていた。(イザヤ22:22)その理由は、この教会は非力だが、御言葉を守り、イエスの名を告白していたからである。フィラデルフィヤの教会は、小さくて貧しい教会であった。
□サタンの会衆に属する者:ユダヤ人でありながら、イエスを信じていない者は、たとえアブラハムの子孫でも、サタンの支配下に属する。
□神の名:神の子としての権威、エルサレムの名→天国の市民権、
□わたしの新しい名:キリストの花嫁として名前

http://goodnewsstation.com/celebration.html

7つの教会に宛てられた手紙は、地上に存在する全ての教会に宛てられた手紙である。これ等の7つの教会は、ヨハネがこの手紙を書いた当時、西アジア地方に現存していた教会であり、また、各教会時代を象徴した教会であり、そして、いつの時代にも存在していた教会でもある。
大切なことは、7つの教会への手紙全てに、「私はあなたの行いを知っている」、「「耳あるものは、聞きなさい」、そして、「勝利を得よ!」と、イエスが言われていることである。イエスは、全ての教会の霊的状態を全てご存知の上で、この手紙のメッセージを聞き逃してはならないと、私たちに警告しておられるのである。
■スミルナ (迫害時代の教会)
スミルナという言葉は没薬を意味し、没薬は殉教を表している。スミルナ教会は、ローマ迫害時代の殉教者の教会である。この教会に対する、イエスのお叱りの言葉は一つもなく、また、長く話す必要もなかった。ただイエスはこの教会に対し、「死に至るまで忠実でありなさい」と書き送られた。真のクリスチャンは、これからの時代に迫害に遭うから、その苦難を耐え忍びなさいと言っておられるのである。
ここにある10日間の意味とは何か? 何故10日間なのか?それは、確かにクリスチャンには試練の時が訪れるが、その期間は定められており、長くは続かないということなのである。ダニエル1章12節に、「どうか私たちを10日間試してください」とある。また、復活したイエス様が昇天された後、弟子たちはエルサレムに留まり、聖霊のバプテスマが降るまで、彼らは10日間一心に祈り続けた。彼らにとってその試練の時が、必要だったからである。
スミルナの教会には、ヨハネの弟子で、ポリュカルポスという教会の監督だった人の殉教の話しが残されている。彼は、ユダヤ人たちに告訴され、ローマに対する反逆罪で火刑に処せられた。当時90歳だったポリュカルポスに、ローマ兵はこう言った。「我々はあなたのような老人を殺したくはない。イエスを知らないとさえ言えば、それで放免してやるから、そう言え」と。
しかし、ポリュカルポスは、「私は80年間近く、イエス様にお仕えして来ましたが、イエス様は私を一度として拒むことはなさいませんでした。そのイエス様を、どうして私が拒むことが出来ましょうか!」と言い、自ら殉教の死を選んだのである。イエスはこのような殉教者の教会に対して多くを語ることなく、ただ10日間の間、死に至るまで従順でありなさいと言われたのである。(写真はスミルナの遺跡)
■ペルガモ (ローマ監督時代の教会)
ペルガモは、「塔」と「結婚」という意味があり、政治と宗教が一体となった教会のこと。時代区分から言うと、キリスト教がローマの国教化となったローマの監督時代の教会であり、ローマ帝国と結婚した教会のことを意味する。この教会には、「バラムの教え」と、「ニコライ派の教え」という大きな問題が存在していた。それに対しイエスは厳しく、「悔改めよ」と警告されておられる。(「悔い改めよ」という言葉は、スミルナとフィラデルフィアの教会以外には、全て登場する)
□バラムの教え:バラムは、民数記22-24章に登場する偽預言者。彼は、イスラエルの敵国だったモアブの王からイスラエルを呪わせるために雇われたが、神の加護により、イスラエルを呪うことが出来ないことを知った。そこでバラムは、イスラエルの兵舎にモアブの女性を送るようモアブの王に提言し、さらに偶像まで浸透させて、イスラエルを破滅に追い込んだのである。つまり、バラムの教えとは、教会を破滅に導くサタンの画策・知恵のことである。
□ニコライ派の教え:この世と迎合した世俗的に堕落した信仰、宣教もしない、弟子訓練もしない、水で薄めたような骨抜きの信仰のこと。エペソの教会は、このニコライ派の教えを退けていたが、ペルガモの教会は、これと妥協していた。
□白い小石:しかし、そのような堕落した状況の中にあっても、イエスは、信仰を守り通し、勝利を得る者には、白い小石を与えると言っておられる。白い小石とは、当時の裁判に使われていた無罪の証明であり、キリストの十字架における無罪の宣言である。
■ティアティラ (中世暗黒時代の教会)
ティアティラとは、「女性の冠」という意味で、使徒言行録に登場する紫商人・ルディアが住んでいた街である。この街は布産業などの商業が盛んであったが、この街で仕事をするためには、街で開催される諸々の行事、儀式、祭りに等に参加することが義務付けられていた。
この教会には、「愛、信仰、奉仕、忍耐」があった。ところが、その反面、恐ろしい偶像礼拝と宗教的姦淫が行なわれていた。この愛と姦淫の信じ難いギャップが、このティアティラ教会の特徴である。このことは、ローマカトリックのことを思うとよく分かる。この信じがたいギャップは、ローマカトリックの現状そのままである。
マザー・テレサや須藤昭子さんなどの、カトリックの人たちの愛と奉仕に嘘はない。表に出て行って神の愛を人々に示しなさい、貧しいものを助けなさい、これは、神の御心に叶う実に素晴らしい行為である。しかしその反面、カトリックは、ローマ法王という単なる人間を神の代理としたり、イエスの母マリアを崇拝したり、7つの奇跡をつくったり等々、完全に間違った教理を捏造している。
事実、カトリックが中世の暗黒時代において行って来た宗教裁判や魔女狩りほどサタン的な光景はこの地上にはなかった。彼らが聖書を独占し、自分たちの権力のために利用し、また間違った解釈によって、いったいどれだけ人間を殺し、迫害して来たことか、このような残虐非道な行為は、サタンの仕業以外の何ものでもない。
ところが、イエスは24節でこう言われている。「このような人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなた方に言う。私は、あなた方に別の重荷を負わせない」と。確かに彼らは、教理的に間違ってはいるが、一部の教徒たちによる愛と奉仕の行いは本物であり、神に対する純粋な信仰、人々に対する愛を保っているのであれば、私は、あなたに罪の重荷は負わせないと言っておられるのである。
私たちプロテスタント教会も、様々な教派に分かれており、それぞれが自分たちが一番正しいと主張している。その中には自分たちの教理や伝統を、聖書よりも上に置いているような教団も少なくない。そのような人間の自己流解釈は、決してカトリックだけのものではない。神はいつも私たちの信仰の純粋さ、動機を見ておられる。
サタンの奥深さとは、聖書を逆に用いて人々を迷わすことである。御言葉を使って人を裁く、間違った教理で人々を不安と滅亡に陥れるのだ。しかし、このような闇の時代の中にあっても、神への純粋な愛を失わなかった聖徒人たちがいた。そのことを、私たちはこの手紙から学ぶべきである。
メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html

☆Good News Stationのメインページはこちら!
大切なことは、7つの教会への手紙全てに、「私はあなたの行いを知っている」、「「耳あるものは、聞きなさい」、そして、「勝利を得よ!」と、イエスが言われていることである。イエスは、全ての教会の霊的状態を全てご存知の上で、この手紙のメッセージを聞き逃してはならないと、私たちに警告しておられるのである。
■スミルナ (迫害時代の教会)
スミルナという言葉は没薬を意味し、没薬は殉教を表している。スミルナ教会は、ローマ迫害時代の殉教者の教会である。この教会に対する、イエスのお叱りの言葉は一つもなく、また、長く話す必要もなかった。ただイエスはこの教会に対し、「死に至るまで忠実でありなさい」と書き送られた。真のクリスチャンは、これからの時代に迫害に遭うから、その苦難を耐え忍びなさいと言っておられるのである。
ここにある10日間の意味とは何か? 何故10日間なのか?それは、確かにクリスチャンには試練の時が訪れるが、その期間は定められており、長くは続かないということなのである。ダニエル1章12節に、「どうか私たちを10日間試してください」とある。また、復活したイエス様が昇天された後、弟子たちはエルサレムに留まり、聖霊のバプテスマが降るまで、彼らは10日間一心に祈り続けた。彼らにとってその試練の時が、必要だったからである。
スミルナの教会には、ヨハネの弟子で、ポリュカルポスという教会の監督だった人の殉教の話しが残されている。彼は、ユダヤ人たちに告訴され、ローマに対する反逆罪で火刑に処せられた。当時90歳だったポリュカルポスに、ローマ兵はこう言った。「我々はあなたのような老人を殺したくはない。イエスを知らないとさえ言えば、それで放免してやるから、そう言え」と。
しかし、ポリュカルポスは、「私は80年間近く、イエス様にお仕えして来ましたが、イエス様は私を一度として拒むことはなさいませんでした。そのイエス様を、どうして私が拒むことが出来ましょうか!」と言い、自ら殉教の死を選んだのである。イエスはこのような殉教者の教会に対して多くを語ることなく、ただ10日間の間、死に至るまで従順でありなさいと言われたのである。(写真はスミルナの遺跡)
■ペルガモ (ローマ監督時代の教会)
ペルガモは、「塔」と「結婚」という意味があり、政治と宗教が一体となった教会のこと。時代区分から言うと、キリスト教がローマの国教化となったローマの監督時代の教会であり、ローマ帝国と結婚した教会のことを意味する。この教会には、「バラムの教え」と、「ニコライ派の教え」という大きな問題が存在していた。それに対しイエスは厳しく、「悔改めよ」と警告されておられる。(「悔い改めよ」という言葉は、スミルナとフィラデルフィアの教会以外には、全て登場する)
□バラムの教え:バラムは、民数記22-24章に登場する偽預言者。彼は、イスラエルの敵国だったモアブの王からイスラエルを呪わせるために雇われたが、神の加護により、イスラエルを呪うことが出来ないことを知った。そこでバラムは、イスラエルの兵舎にモアブの女性を送るようモアブの王に提言し、さらに偶像まで浸透させて、イスラエルを破滅に追い込んだのである。つまり、バラムの教えとは、教会を破滅に導くサタンの画策・知恵のことである。
□ニコライ派の教え:この世と迎合した世俗的に堕落した信仰、宣教もしない、弟子訓練もしない、水で薄めたような骨抜きの信仰のこと。エペソの教会は、このニコライ派の教えを退けていたが、ペルガモの教会は、これと妥協していた。
□白い小石:しかし、そのような堕落した状況の中にあっても、イエスは、信仰を守り通し、勝利を得る者には、白い小石を与えると言っておられる。白い小石とは、当時の裁判に使われていた無罪の証明であり、キリストの十字架における無罪の宣言である。
■ティアティラ (中世暗黒時代の教会)
ティアティラとは、「女性の冠」という意味で、使徒言行録に登場する紫商人・ルディアが住んでいた街である。この街は布産業などの商業が盛んであったが、この街で仕事をするためには、街で開催される諸々の行事、儀式、祭りに等に参加することが義務付けられていた。
この教会には、「愛、信仰、奉仕、忍耐」があった。ところが、その反面、恐ろしい偶像礼拝と宗教的姦淫が行なわれていた。この愛と姦淫の信じ難いギャップが、このティアティラ教会の特徴である。このことは、ローマカトリックのことを思うとよく分かる。この信じがたいギャップは、ローマカトリックの現状そのままである。
マザー・テレサや須藤昭子さんなどの、カトリックの人たちの愛と奉仕に嘘はない。表に出て行って神の愛を人々に示しなさい、貧しいものを助けなさい、これは、神の御心に叶う実に素晴らしい行為である。しかしその反面、カトリックは、ローマ法王という単なる人間を神の代理としたり、イエスの母マリアを崇拝したり、7つの奇跡をつくったり等々、完全に間違った教理を捏造している。
事実、カトリックが中世の暗黒時代において行って来た宗教裁判や魔女狩りほどサタン的な光景はこの地上にはなかった。彼らが聖書を独占し、自分たちの権力のために利用し、また間違った解釈によって、いったいどれだけ人間を殺し、迫害して来たことか、このような残虐非道な行為は、サタンの仕業以外の何ものでもない。
ところが、イエスは24節でこう言われている。「このような人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなた方に言う。私は、あなた方に別の重荷を負わせない」と。確かに彼らは、教理的に間違ってはいるが、一部の教徒たちによる愛と奉仕の行いは本物であり、神に対する純粋な信仰、人々に対する愛を保っているのであれば、私は、あなたに罪の重荷は負わせないと言っておられるのである。
私たちプロテスタント教会も、様々な教派に分かれており、それぞれが自分たちが一番正しいと主張している。その中には自分たちの教理や伝統を、聖書よりも上に置いているような教団も少なくない。そのような人間の自己流解釈は、決してカトリックだけのものではない。神はいつも私たちの信仰の純粋さ、動機を見ておられる。
サタンの奥深さとは、聖書を逆に用いて人々を迷わすことである。御言葉を使って人を裁く、間違った教理で人々を不安と滅亡に陥れるのだ。しかし、このような闇の時代の中にあっても、神への純粋な愛を失わなかった聖徒人たちがいた。そのことを、私たちはこの手紙から学ぶべきである。

http://goodnewsstation.com/celebration.html

☆Good News Stationのメインページはこちら!
黙示録の7つの教会への手紙は、7つの教会の全てが観覧するように宛てられた公同書簡である。黙示録を構成する「7」という数字は、完全数を意味しており、7つの教会とは、地上の存在する全ての教会を指している。
エフェソ、スミルナ、ペルガモ、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、そしてラオデキアの教会は、当時ヨハネがこの手紙を書いたAD90年頃に、西アジア地方に実際に存在していた教会であり、二千年に亘る教会時代の各時代の教会の象徴であり、そして、今現在存する全ての教会のプロトタイプでもある。
つまり、Good News Stationも、この7つの教会のいずれかに当てはまるわけである。私たちはこの黙示録を、神様からGood News Stationに宛てられた手紙として、真摯に受け取り、そのメッセージに耳をすませなければならない。この7つの書簡は、以下の7つの内容で構成されている。
□受信者
7つの書簡は全て、「~の教会にある天使にこう書き送れ。」という文頭で始まっている。つまり、各教会には、神の使信を伝える「天使」が存在していることが分かる。
□送信者
これらの手紙の差出人であるイエス・キリストの権威の表明。
□霊的状態
イエスは、「わたしは知っている」と、全ての教会の霊的状態を明らかにされる。
□賞賛と叱責
イエスは、各教会の霊的状態に対して、賞賛し、叱責されておられる。7つの教会の内、スミルナとフィラデルフィアは賞賛され、エフェソ、ペルガモ、ティアティラ、サルデスの4つは賞賛と叱責の両方があり、ラオデキアは叱責のみで、一つも誉められていない。
□再臨の勧告
イエスは「わたしは来る」という約束通り、もう一度、この地上に戻って来られる。
□“霊”が告げることへの勧告
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」この言葉は、7つの教会への手紙の最後に全て記されている。「耳ある者」とは、神の御旨を求め、聞き従う者のこと。教会にけるクリスチャンの言動・活動は、各自の自由意志に任されているのである。
□勝利者への約束
神の御声に聞き従った者(勝利者)への報酬の約束が、最後に記されている。
■エフェソ (初代教会)
当時のエフェソは、シリアのアンティオケ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ、地中海地域の三大都市の一つ。パウロが三年間滞在して造り上げたエフェソ教会は、当時の西アジア地方(現在のトルコ)に点在していた諸教会のヘッドであり、最も成熟した大人の教会であるエフェソ教会に、主はこう語られた。
□祈り!
イエスは、それぞれの教会の業を全て知っておられ、「耳のある者は聞きなさい」と、勧告しておられる。教会はイエス・キリストの身体であり、私たちはその肢体である。しかし、神は私たちをロボットではなく、自由意志を持った存在としてお創りになられた。私たちの行動は全て、私たちの自由意志に任されているのである。では、どうしたら私たちは神の意志を知り、それに従うことが出来るのか?それは、「祈り」しかない。私たちは日々の祈りによって、神との交信を深めて行く必要がある。
□悔い改め!
人間的に見れば非の打ちどころのないエフェソ教会に対し、イエスは、「初めの愛に立ち返りなさい」と叱責されている。イエスは、スミルナとフィラデルフィア以外の教会に全て、「悔い改め」を求められている。何故なら、愛のない教会、つまり、神の臨在のない教会は、もはや教会ではないからである。私たちもいつか、神の裁きの座に立たされ、「あなたは今までの人生で、どれだけ私の愛を学びましたか?」と、問われる時が来るのである。
□燃えよ!
現在の教会と、エフェソ教会に象徴される初代教会との最も大きな違いは何か? それは、「主の再臨を待ち望む熱い心」である。ほとんどのクリスチャンは、イエスと会えるのは死後だと考えている。しかし、初代教会の人たちは、この地上でイエスと再会することを、燃えるような希望を持って切望していた。彼らには、常に主イエスと向かい合って生きているアリティ溢れる再臨願望を持っていたのである。そんな生き生きとした信仰を、日々の生活において体現化する。それこそが、私たちが黙示録を学ぶ目的なのである。
メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html
☆Good News Stationのメインページはこちら!
エフェソ、スミルナ、ペルガモ、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、そしてラオデキアの教会は、当時ヨハネがこの手紙を書いたAD90年頃に、西アジア地方に実際に存在していた教会であり、二千年に亘る教会時代の各時代の教会の象徴であり、そして、今現在存する全ての教会のプロトタイプでもある。
つまり、Good News Stationも、この7つの教会のいずれかに当てはまるわけである。私たちはこの黙示録を、神様からGood News Stationに宛てられた手紙として、真摯に受け取り、そのメッセージに耳をすませなければならない。この7つの書簡は、以下の7つの内容で構成されている。
□受信者
7つの書簡は全て、「~の教会にある天使にこう書き送れ。」という文頭で始まっている。つまり、各教会には、神の使信を伝える「天使」が存在していることが分かる。
□送信者
これらの手紙の差出人であるイエス・キリストの権威の表明。
□霊的状態
イエスは、「わたしは知っている」と、全ての教会の霊的状態を明らかにされる。
□賞賛と叱責
イエスは、各教会の霊的状態に対して、賞賛し、叱責されておられる。7つの教会の内、スミルナとフィラデルフィアは賞賛され、エフェソ、ペルガモ、ティアティラ、サルデスの4つは賞賛と叱責の両方があり、ラオデキアは叱責のみで、一つも誉められていない。
□再臨の勧告
イエスは「わたしは来る」という約束通り、もう一度、この地上に戻って来られる。
□“霊”が告げることへの勧告
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」この言葉は、7つの教会への手紙の最後に全て記されている。「耳ある者」とは、神の御旨を求め、聞き従う者のこと。教会にけるクリスチャンの言動・活動は、各自の自由意志に任されているのである。
□勝利者への約束
神の御声に聞き従った者(勝利者)への報酬の約束が、最後に記されている。
■エフェソ (初代教会)
当時のエフェソは、シリアのアンティオケ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ、地中海地域の三大都市の一つ。パウロが三年間滞在して造り上げたエフェソ教会は、当時の西アジア地方(現在のトルコ)に点在していた諸教会のヘッドであり、最も成熟した大人の教会であるエフェソ教会に、主はこう語られた。
□祈り!
イエスは、それぞれの教会の業を全て知っておられ、「耳のある者は聞きなさい」と、勧告しておられる。教会はイエス・キリストの身体であり、私たちはその肢体である。しかし、神は私たちをロボットではなく、自由意志を持った存在としてお創りになられた。私たちの行動は全て、私たちの自由意志に任されているのである。では、どうしたら私たちは神の意志を知り、それに従うことが出来るのか?それは、「祈り」しかない。私たちは日々の祈りによって、神との交信を深めて行く必要がある。
□悔い改め!
人間的に見れば非の打ちどころのないエフェソ教会に対し、イエスは、「初めの愛に立ち返りなさい」と叱責されている。イエスは、スミルナとフィラデルフィア以外の教会に全て、「悔い改め」を求められている。何故なら、愛のない教会、つまり、神の臨在のない教会は、もはや教会ではないからである。私たちもいつか、神の裁きの座に立たされ、「あなたは今までの人生で、どれだけ私の愛を学びましたか?」と、問われる時が来るのである。
□燃えよ!
現在の教会と、エフェソ教会に象徴される初代教会との最も大きな違いは何か? それは、「主の再臨を待ち望む熱い心」である。ほとんどのクリスチャンは、イエスと会えるのは死後だと考えている。しかし、初代教会の人たちは、この地上でイエスと再会することを、燃えるような希望を持って切望していた。彼らには、常に主イエスと向かい合って生きているアリティ溢れる再臨願望を持っていたのである。そんな生き生きとした信仰を、日々の生活において体現化する。それこそが、私たちが黙示録を学ぶ目的なのである。

http://goodnewsstation.com/celebration.html







聖書には、主が来られるその日を「悟りなさい」、「用意していなさい」、「待ち望んでいなさい」、そして「迫っている」と語る。そして、黙示録講解説教の第二回目は、12節の「語りかける声」から始まる。村上龍氏が司会を務めるテレビインタビュー番組で、「知らないということほど、恐いことはない。」と、しみじみと語っていた。正にこの言葉こそ、私たち自身が知り、人々に伝えねばならないことである。「神の存在を知らないことほど、恐ろしいことはない。」と。だから私たちは、黙示録を学ぶ。
神様が人間に語りかけた第一声は、「あなたはどこにいるのか?」。食べてはならないと命じられていた実を食べてしまったアダムに呼びかけられた言葉である。そして、人類最初の殺人事件を犯したカインに対しても、「お前の弟アベルは、どこにいるのか?」と、問われている。「どこにいるのか?」これが神に対して罪を犯し、神に自ら背を向けている私たちに語りかけられている言葉である。
自分の子供がどこかへ行ってしまった。いくら呼んでも応えがない。親ならば、この凍りつくような思いを経験したことがあるだろう。迷子となった自分の子供を必死に探しながら感じる不安、恐れ、焦り。自分の命と引き換えてでも、子供の安全と帰還を願う心。神は、ずっとずっとその思いで、失われた魂を探し続けていてくださっている。この叫び求め続けておられる主の声を聞き、主の方に振り向いた時、私たちは、私たちの真の親である神と出会うことができるのだ。
聖書には、ヨハネ、ダニエル、パウロ、ペテロなど、人が神と出会った様子が記されている。例えば、ダニエルとヨハネが神と会った時、彼らは死んだように倒れてしまった。絶対的善であり、絶対的聖である神の御姿、罪のある人間は、正視することが出来ないのである。その私たちが生きて、身を起こし、立つことができるのは、ただ御言葉によってのみ。神はそのような私たちに「恐れるな」と語られている。聖書には、「恐れるな」という言葉は365回登場する。神は毎日私たちに「恐れるな」と励ましていてくださるのだ。
□神の顕現
神は今も生きておられる。絶対的、圧倒的な存在でありながら、私たちに声をかけ、助け、導いてくれる方として、声をかけ続けていてくださる。
□教会
燭台は聖書中重要なモチーフとされるが、旧約ではその意味が伏せられていた。しかし今、ゼカリヤが見た第五の幻の意味が、黙示録によって解き明かされた。
□イエス・キリスト
その燭台の中央に「人」であり、「一度は死んだ」方がいらっしゃるのを知る。教会の真ん中におられる方、それはイエス・キリストである。
□現在・過去・未来
黙示録は、1章で「見たこと」、2-3章で「今あること」、そして4章以降の「起ころうとしていること」で構成されている。時空を超越されている神の言葉は、過去を通して現在を、現在を通して未来を知ることが出来る。
□書き留める
神はモーセに用意させた石板に十戒を書き留められた。黙示録では、ヨハネと、この書を読む者に「書き留めよ」と命じられている。
黙示録を学ぶ目的は、終末に関する詳しい知識を得ることではなく、キリスト者としての根本的な生き方をより聖書的に創り返ることにある。人間というものは、地上のものだけに視線が限定され、周囲の狭い世界しか見なくなると、自ずと自己中心的になってしまう。自分にとって都合のよい人生観、自分と自分の家族の保身だけが全てとなってしまうのである。
主の時は必ず来る。それぞれの報いに応じて、神から裁きを受ける時が必ず来るのである。だからその時まで、神の民として造りかえられ続け、神の呼びかける声に応えながら、勝利ある人生を歩んでいこう!

http://goodnewsstation.com/celebration.html

ヨハネの黙示録は、聖書66巻の完結編、総括編であり、この黙示録を正しく読んでいないのに、「私はクリスチャンです!私はイエスを愛します!」と言うのはおかしい。それは、大好きな映画を絶賛している人に、その映画の結末を聞いたら、知らないと答えているようなものである。私たち人間にとって、聖書を読むことは祝福であり、特に、「このを読む者は幸いである!」と書いてあるのは黙示録だけである。
サタンは人間が聖書を読むことを嫌い、あらゆる手段を使って、私たちが聖書を読むことを阻止しようと働いている。特に読んでほしくないのが黙示録である。何故なら、黙示録には、完全なるサタンの敗北と神の国の到来が、明確に記されてあるからである。黙示録は聖書全66巻の総集編で、他の書とリンクしているので、黙示録を正しく理解するには、聖書全体をバランスよく、黙示録と平行して読んで行く(総合理解)ことが大切である。
「黙示」とは、「覆いが取れる」、「幕が開く」という意味。つまり、黙示録とは、今まで誰にも分からなかったイエス・キリストの奥義が今、明らかになった。ということである。(ダニエル:12:4-9、Ⅱコリント3:14)
黙示録は長老ヨハネによって、神の霊で書かれた書物である。イエスが昇天されてから約65年後、エルサレムが崩壊してから35年後に黙示録は書かれた。イエス様の弟子は全員殉教、ヨハネだけが黙示録を書くために生き残っていたのである。当時、長老ヨハネは、激しい迫害を受け、パトモス島に流刑されていた。(写真は、ミレトスから約40マイル沖合いにある現在のパトモス島)
黙示録は、パトモス島にいる時に、神からの啓示を受けて見た幻を、開放された後(おそらくエペソで)書かれたものである。聖書は全て神の霊によって書かれた書物だが、それぞれにそれぞれの筆記者の個性が出ている。しかし、この黙示録に限っては、書いている人の感情、理性、知性、類推が一切入り込む隙間が全くない。
つまり、黙示録は人間の類推が全く効かないため、これを二次元的な解釈で読む私たちにとって、黙示録の理解には、おのずと限界が出てくる。黙示録は、過去、現在、未来と時間が螺旋状に立体的に書かれている第三の天から送られて来た書物なのである。
ヨハネは神からの啓示を受けて、7つの教会へ手紙を送る。7とは完全数。その意味は、3(三位一体の神)+4 (福音書、東西南北、4大陸、火水風土等、全世界を表す数字)=7。黙示録は、7つの教会、7つの霊、7人の天使、7つの星、7つの燭台等、「7」という数字で構成されてる。
7つの教会に宛てられた手紙は、当時現存していた教会へ、これからの各時代の教会へ、そして今、私たちの教会へ送られた特別な手紙である。
黙示録1章7節には、イエスが昇天された時と同じ様で、また世に来られると記してある。(ダニエル7:13、マタイ24:30、マタイ26:64、使徒1:9,11参照)イエスの再臨は、クリスチャンにしか分からないように、そうっと起こるのではなく、誰にでも明確に分かる形で実現する。間もなくイエスはこの地上に来られる。時が迫っているのである。
メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html

☆Good News Stationのメインページはこちら!
サタンは人間が聖書を読むことを嫌い、あらゆる手段を使って、私たちが聖書を読むことを阻止しようと働いている。特に読んでほしくないのが黙示録である。何故なら、黙示録には、完全なるサタンの敗北と神の国の到来が、明確に記されてあるからである。黙示録は聖書全66巻の総集編で、他の書とリンクしているので、黙示録を正しく理解するには、聖書全体をバランスよく、黙示録と平行して読んで行く(総合理解)ことが大切である。
「黙示」とは、「覆いが取れる」、「幕が開く」という意味。つまり、黙示録とは、今まで誰にも分からなかったイエス・キリストの奥義が今、明らかになった。ということである。(ダニエル:12:4-9、Ⅱコリント3:14)
黙示録は長老ヨハネによって、神の霊で書かれた書物である。イエスが昇天されてから約65年後、エルサレムが崩壊してから35年後に黙示録は書かれた。イエス様の弟子は全員殉教、ヨハネだけが黙示録を書くために生き残っていたのである。当時、長老ヨハネは、激しい迫害を受け、パトモス島に流刑されていた。(写真は、ミレトスから約40マイル沖合いにある現在のパトモス島)
黙示録は、パトモス島にいる時に、神からの啓示を受けて見た幻を、開放された後(おそらくエペソで)書かれたものである。聖書は全て神の霊によって書かれた書物だが、それぞれにそれぞれの筆記者の個性が出ている。しかし、この黙示録に限っては、書いている人の感情、理性、知性、類推が一切入り込む隙間が全くない。
つまり、黙示録は人間の類推が全く効かないため、これを二次元的な解釈で読む私たちにとって、黙示録の理解には、おのずと限界が出てくる。黙示録は、過去、現在、未来と時間が螺旋状に立体的に書かれている第三の天から送られて来た書物なのである。
ヨハネは神からの啓示を受けて、7つの教会へ手紙を送る。7とは完全数。その意味は、3(三位一体の神)+4 (福音書、東西南北、4大陸、火水風土等、全世界を表す数字)=7。黙示録は、7つの教会、7つの霊、7人の天使、7つの星、7つの燭台等、「7」という数字で構成されてる。
7つの教会に宛てられた手紙は、当時現存していた教会へ、これからの各時代の教会へ、そして今、私たちの教会へ送られた特別な手紙である。
黙示録1章7節には、イエスが昇天された時と同じ様で、また世に来られると記してある。(ダニエル7:13、マタイ24:30、マタイ26:64、使徒1:9,11参照)イエスの再臨は、クリスチャンにしか分からないように、そうっと起こるのではなく、誰にでも明確に分かる形で実現する。間もなくイエスはこの地上に来られる。時が迫っているのである。

http://goodnewsstation.com/celebration.html

☆Good News Stationのメインページはこちら!