「主が来られる時」(マルコによる福音書13章24〜37節)
教会の暦は「アドベント」(待降節)に入りました。教会の新しい1年の始まりです。この1年も、主に導かれ、主の恵みと祝福に包まれて、歩むことが出来ますように。
クリスマスを迎えるまでの「アドベント」が「待降節」と呼ばれるのは、文字通り私たちが救い主イエス・キリストの降誕を待ち、霊的な準備をする期間だからです。その期間は、4週間。4本のアドベントキャンドルに、火が一つまた一つと灯されていくにつれ、私たちはクリスマスを迎える喜びが増していきます。何にも変えがたい宝物を待つ喜び!神から私たちへの最高のプレゼントを待つ喜び!すなわち、救い主イエス・キリストが与えられるのを待つ喜び!それに優る喜びはありません。
「待降節」は、キリストの降誕を待ち、祝うだけではありません。私たちに真の救いを与えるためにこの世にお生まれになられたキリストは、十字架にかけられ、復活し、神のみもとに行かれましたが、再びこの世に来られると約束されました。それは、この世にあまねく神の支配をもたらすため。神の愛にあふれたみ国を完成させるため。そのために、キリストは再び私たちのところへ来られます。それは、主を信じる者にとっては主の救いが完成する時。その時を、待つ。主の再臨の約束を信じて、日々、主の御前で悔い改めながら待つ。「待降節」には、そのような意味もあります。
それでは、その日、その時はいつ来るのか?主の再臨はいつなのか?それは、誰も知りません。天使も知らなければ、キリストも知らない。ただ、父なる神だけが知っておられる。だから、その日がいつ訪れてもいいように、目を覚ましていなさい!そう、キリストは語られます。この1ヶ月間、教会暦の終わりに当たって与えられてきた御言葉が、今日もまた与えられました。「目を覚ましていなさい」。キリストが、私たちの所にいつ来られてもいいように、信仰の目を覚ましていなさい!救い主を迎えるための準備を抜かりなく、怠ることなく、やっておきなさい!洗礼を受けたにもかかわらず相変わらず罪人に過ぎないこの私を、「非の打ちどころのない者」としてくださるその日に備えて!
「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非の打ちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは、神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」(第一コリント1:8〜9節)心配することはありません。イエス・キリストが、私たちを最後までしっかりと支え、私たちの罪をすっかり赦し、清め、非の打ちどころのない者としてくださるのですから。真実なる神が、私たちをそのキリストとの交わりに招き、導いてくださるのですから。安心して、主を迎えましょう。
教会の暦は「アドベント」(待降節)に入りました。教会の新しい1年の始まりです。この1年も、主に導かれ、主の恵みと祝福に包まれて、歩むことが出来ますように。
クリスマスを迎えるまでの「アドベント」が「待降節」と呼ばれるのは、文字通り私たちが救い主イエス・キリストの降誕を待ち、霊的な準備をする期間だからです。その期間は、4週間。4本のアドベントキャンドルに、火が一つまた一つと灯されていくにつれ、私たちはクリスマスを迎える喜びが増していきます。何にも変えがたい宝物を待つ喜び!神から私たちへの最高のプレゼントを待つ喜び!すなわち、救い主イエス・キリストが与えられるのを待つ喜び!それに優る喜びはありません。
「待降節」は、キリストの降誕を待ち、祝うだけではありません。私たちに真の救いを与えるためにこの世にお生まれになられたキリストは、十字架にかけられ、復活し、神のみもとに行かれましたが、再びこの世に来られると約束されました。それは、この世にあまねく神の支配をもたらすため。神の愛にあふれたみ国を完成させるため。そのために、キリストは再び私たちのところへ来られます。それは、主を信じる者にとっては主の救いが完成する時。その時を、待つ。主の再臨の約束を信じて、日々、主の御前で悔い改めながら待つ。「待降節」には、そのような意味もあります。
それでは、その日、その時はいつ来るのか?主の再臨はいつなのか?それは、誰も知りません。天使も知らなければ、キリストも知らない。ただ、父なる神だけが知っておられる。だから、その日がいつ訪れてもいいように、目を覚ましていなさい!そう、キリストは語られます。この1ヶ月間、教会暦の終わりに当たって与えられてきた御言葉が、今日もまた与えられました。「目を覚ましていなさい」。キリストが、私たちの所にいつ来られてもいいように、信仰の目を覚ましていなさい!救い主を迎えるための準備を抜かりなく、怠ることなく、やっておきなさい!洗礼を受けたにもかかわらず相変わらず罪人に過ぎないこの私を、「非の打ちどころのない者」としてくださるその日に備えて!
「主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非の打ちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは、神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」(第一コリント1:8〜9節)心配することはありません。イエス・キリストが、私たちを最後までしっかりと支え、私たちの罪をすっかり赦し、清め、非の打ちどころのない者としてくださるのですから。真実なる神が、私たちをそのキリストとの交わりに招き、導いてくださるのですから。安心して、主を迎えましょう。