「惑わされないように」(ルカによる福音書21章5-19節)
本日は「聖霊降臨後最終主日」。文字通り、教会の暦の上では最後の主日に当たります。教会の1年の終わりに当たって私たちに与えられた御言葉は「終末」についてのメッセージです。エルサレムの人々が神殿を支えている見事な石と飾られている色とりどりの奉納物に目を奪われていると、イエスさまは言われました。「あなた方はこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」立派で堅固で豪華絢爛に見えるエルサレムの神殿が跡形もなく崩れ去ってしまう日が来る?本当にそんなことが起こるのだろうか?まさか?と人々は思ったようです。彼らは矢継ぎ早にイエスさまに尋ねました。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか」「そのことが起こる時には、どんなしるしがあるのですか」と。
この類の質問に対して、「それは○○○○年です」「現に今、私たちの世界で起こっている○○がそのしるしです」と得得と答えてみせる輩が今なお後を絶ちません。イエスさまはそのような輩から私たちが惑わされることのないよう「気をつけなさい」と口を酸っぱくして言われました。飢饉や疫病、地震や災害、暴動や戦争、そして『世の終わりの時が近づいた』『私が再臨のキリストだ』と名乗る者の登場…それらは確かに起こることだが、だからと言って終末がすぐには来るわけではない。その日、その時は、ただ神のみが知っておられる。だから周囲に惑わされたり踊らされたりすることなく、落ち着いて自分に与えられている務めを果たしなさい、とイエスさまは答えられたのでした。
ルターの有名な言葉に「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日、りんごの木を植える」というのがあります。本当にルターが言ったかどうかは定かではないようですが、信仰によってのみ救われることを確信していたルターを彷彿とさせる言葉です。似たような言葉に、アッシジの聖フランシスコの言葉があります。ある日、フランシスコが仲間の修道士と一緒に庭仕事をしていた時、「もし今晩、世の終わりが来ると知ったら、あなたは何をしますか」と尋ねられました。すると、フランシスコはただ一言「庭仕事を続けます」と答えたそうです。たとえこの世の様が移り変わろうとも、浮き足立つことなく、惑わされることなく、神を信頼し、神から託された務めを果たしていく。苦しみの中でも悲しみの中でも、神から離れることなく神と共に歩んでいく。パウロがコリントの教会の人々に語りかけた言葉もまさにそのことを教えているのではないでしょうか。「私の愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にはならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
本日は「聖霊降臨後最終主日」。文字通り、教会の暦の上では最後の主日に当たります。教会の1年の終わりに当たって私たちに与えられた御言葉は「終末」についてのメッセージです。エルサレムの人々が神殿を支えている見事な石と飾られている色とりどりの奉納物に目を奪われていると、イエスさまは言われました。「あなた方はこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」立派で堅固で豪華絢爛に見えるエルサレムの神殿が跡形もなく崩れ去ってしまう日が来る?本当にそんなことが起こるのだろうか?まさか?と人々は思ったようです。彼らは矢継ぎ早にイエスさまに尋ねました。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか」「そのことが起こる時には、どんなしるしがあるのですか」と。
この類の質問に対して、「それは○○○○年です」「現に今、私たちの世界で起こっている○○がそのしるしです」と得得と答えてみせる輩が今なお後を絶ちません。イエスさまはそのような輩から私たちが惑わされることのないよう「気をつけなさい」と口を酸っぱくして言われました。飢饉や疫病、地震や災害、暴動や戦争、そして『世の終わりの時が近づいた』『私が再臨のキリストだ』と名乗る者の登場…それらは確かに起こることだが、だからと言って終末がすぐには来るわけではない。その日、その時は、ただ神のみが知っておられる。だから周囲に惑わされたり踊らされたりすることなく、落ち着いて自分に与えられている務めを果たしなさい、とイエスさまは答えられたのでした。
ルターの有名な言葉に「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日、りんごの木を植える」というのがあります。本当にルターが言ったかどうかは定かではないようですが、信仰によってのみ救われることを確信していたルターを彷彿とさせる言葉です。似たような言葉に、アッシジの聖フランシスコの言葉があります。ある日、フランシスコが仲間の修道士と一緒に庭仕事をしていた時、「もし今晩、世の終わりが来ると知ったら、あなたは何をしますか」と尋ねられました。すると、フランシスコはただ一言「庭仕事を続けます」と答えたそうです。たとえこの世の様が移り変わろうとも、浮き足立つことなく、惑わされることなく、神を信頼し、神から託された務めを果たしていく。苦しみの中でも悲しみの中でも、神から離れることなく神と共に歩んでいく。パウロがコリントの教会の人々に語りかけた言葉もまさにそのことを教えているのではないでしょうか。「私の愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にはならないことを、あなたがたは知っているはずです。」