「お言葉どおりに」(ルカによる福音書2章25〜38節)
本日の福音には、二人の老人が登場します。シメオンとアンナです。シメオンは「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」とのお告げを聖霊から受けていました。彼の年齢はつまびらかにされていませんが、幼子イエスにまみえて歌ったその歌の内容から、齢を重ねた老人であることは明らかです。「今わたしは、主の救いを見ました。主よ、あなたは、み言葉のとおり、僕を安からに去らせてくださいます」。皆さんもよくご存知の『ヌンク・ディミテイス』です。彼は、長い間待ち望んでいた救い主に出会えた喜びゆえに、もはや安心してこの世を去ることができます!と歌っているのです。これは、やはり齢を重ねた信仰深い人でなければ歌えない歌でありましょう。私なんかは、まだまだその域に達しておりません。
信仰というのは、齢を重ねるほどに深まっていくものです。いくら聖書の勉強に励み、神学書を読みあさったところで、それで即、信仰が深まるわけではありません。信仰には、時間が必要なのです。上質のお酒がそうであるように、信仰も十分に寝かせなければなりません。その点、長い信仰生活を送って来られた方々には、大いに見倣うべき点があります。そのような方々は、信仰というものを頭ではなく体全体で分かっておられるからです。シメオンのように、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安からに去らせてくださいます」と一気に歌い切る信仰があるからです。たとえ歌う声は小さくかすれていようとも、心の底から本気で歌っておられる…そのような凛とした姿に、どれだけ後に続く者たちは励まされることでしょうか。それこそが、まさに伝道でありましょう。
シメオンに続いて登場したアンナは、女預言者でした。新約聖書中、女預言者として名前まで記されているのは、アンナただ一人です。彼女が幼子イエスと出会ったのは、84歳の時。彼女はこの年になっても「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」と紹介されています。つまり彼女は84歳にして、現役バリバリの女預言者だったのです。私たちも終生、教会から離れずに、兄弟姉妹たちと共に神に祈り、讃美をささげていると、アンナのように長生きできるのかもしれません。否、たとえ身体的には衰え弱ろうとも、その信仰は最後までアンナのように生き生きと燃えているのではないでしょうか。彼女は、神殿で幼子イエスを見つけると、「近づいて来て、神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話し」ました。アンナは主の救いを待ち望んでいたすべての人々に向かって、この幼子こそまことのキリストである、と伝えたのです。こうしてアンナは、文字通りイエスを救い主として証しする最初の預言者となり、宣教者となったのです。私たちもアンナやシメオンにあやかりたいですね。
本日の福音には、二人の老人が登場します。シメオンとアンナです。シメオンは「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」とのお告げを聖霊から受けていました。彼の年齢はつまびらかにされていませんが、幼子イエスにまみえて歌ったその歌の内容から、齢を重ねた老人であることは明らかです。「今わたしは、主の救いを見ました。主よ、あなたは、み言葉のとおり、僕を安からに去らせてくださいます」。皆さんもよくご存知の『ヌンク・ディミテイス』です。彼は、長い間待ち望んでいた救い主に出会えた喜びゆえに、もはや安心してこの世を去ることができます!と歌っているのです。これは、やはり齢を重ねた信仰深い人でなければ歌えない歌でありましょう。私なんかは、まだまだその域に達しておりません。
信仰というのは、齢を重ねるほどに深まっていくものです。いくら聖書の勉強に励み、神学書を読みあさったところで、それで即、信仰が深まるわけではありません。信仰には、時間が必要なのです。上質のお酒がそうであるように、信仰も十分に寝かせなければなりません。その点、長い信仰生活を送って来られた方々には、大いに見倣うべき点があります。そのような方々は、信仰というものを頭ではなく体全体で分かっておられるからです。シメオンのように、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安からに去らせてくださいます」と一気に歌い切る信仰があるからです。たとえ歌う声は小さくかすれていようとも、心の底から本気で歌っておられる…そのような凛とした姿に、どれだけ後に続く者たちは励まされることでしょうか。それこそが、まさに伝道でありましょう。
シメオンに続いて登場したアンナは、女預言者でした。新約聖書中、女預言者として名前まで記されているのは、アンナただ一人です。彼女が幼子イエスと出会ったのは、84歳の時。彼女はこの年になっても「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」と紹介されています。つまり彼女は84歳にして、現役バリバリの女預言者だったのです。私たちも終生、教会から離れずに、兄弟姉妹たちと共に神に祈り、讃美をささげていると、アンナのように長生きできるのかもしれません。否、たとえ身体的には衰え弱ろうとも、その信仰は最後までアンナのように生き生きと燃えているのではないでしょうか。彼女は、神殿で幼子イエスを見つけると、「近づいて来て、神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話し」ました。アンナは主の救いを待ち望んでいたすべての人々に向かって、この幼子こそまことのキリストである、と伝えたのです。こうしてアンナは、文字通りイエスを救い主として証しする最初の預言者となり、宣教者となったのです。私たちもアンナやシメオンにあやかりたいですね。