しかしここはあっさりと、「わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた」(使徒28:14)と書くということは、この後には難なく旅が続けられたということであるように思われます。ただ、ここに「兄弟たち」がすでにいたという記録は見逃せません。キリストを信じる者のちらばりでありましょう。ローマ近くに、すでに教えは広まっていたのです。イエスの十字架から四半世紀を越えています。キリスト教最大の伝道者パウロが健在です。その他弟子たちも多くが存命ではないでしょうか。このエネルギッシュな伝道とその成果には目を見張ります。もちろん、すでにローマ人への手紙の中で、ローマにいる信徒が前提となってパウロが書簡を送っていたのは分かっていますが、この「そこ」はプテオリのことです。当時重要な大きな町であったそうですが、島にも兄弟たちがいたということがさらりと述べられています。ローマ高官に贈るこの記録書にあっても、ローマ近辺において信頼おける人々が多数いたという報告になっているのでしょうか。七日の滞在という長期の理由は書かれていません。兄弟との交わりということなのでしょうか。他の囚人たちはどうしていたのでしょうか。この後、パウロは一人住まいを許可されていますから、他の囚人たちと同様に行動していたかどうかは不明です。パウロだけが特権的な立場にあったのかもしれません。ローマ市民ですから、犯罪人とされたわけでもなし、手篤く扱われていた可能性があります。ローマまでは船というよりも一定の陸上における道が考えられますが、ルカはそれについては詳述しません。ともかく、ローマに入りました。「あのローマですよ」という調子が窺えます。